>>>『キッカケ』
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2005/03/19 22:01 投稿番号: [67528 / 118550]
東さん、あなたとは話がかみ合いませんねー。
>ドラさん、昨日の投稿はわかりやすく、理解できたのですが、今日のはよく判りません。^^;
なぜかなー。
>結局、誰に対して何を求めているのか。
???
求める?
>>キッカケというなら、【日本帝国が侵略戦争を始めたから】ですよ。
>昨日と話が違う...
???
>>天皇は、【侵略戦争の責任者】ですからね。
>天皇の戦争責任はまたそれで膨大なテーマです...
そんなこと無いですよ。
彼が戦争を認可し、彼が終わらせたのです。
ほかの誰ができますか。
アメリカの都合によって免罪されたに過ぎず、彼が国のトップでした。
アジア2000万人の犠牲者、戦災孤児、傷病者、消滅した財産・・・償いきれない損害を与えました。
日本国民にも。
>一応、リクエストには答えておきます。
>満州国の人口
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog239.html
その間、満洲の状態は一変した。治安は完全に確保され、国内には一人の兵匪もいなくなった。農業国から立派な工業国となり、総生産額は倍増した。国民生活は目覚ましく向上した。東亜各地から集まってくる人は数多く、3千万人であった人口は5千万人を超えるにいたった。・・・
>まあ、『妄想本』と一蹴されてしまえばそれまでですケド...
ほんと、【中国人強制連行が抜けているし・・朝鮮人も?】
実際は↓・・・
★満州開拓
満州事変による満州国の建設とともに満州の経済開発も着手された。
1932年から大蔵省や商工省の官僚が送り込まれ関東軍に協力して開発にあたった。
対ソ戦にむけて軍需生産、特に鉄鋼、石炭、硫安などの増産が図られた。
【太平洋戦争下で労働力が不足すると中国人労働者を強制労働させて補ったが、多くの犠牲者を出した。】
一方、大恐慌によって窮乏した本土の農村への対策として、また対ソ戦にむけた軍事力の補助として
【満州への移民が1933年から始められた。】
1936年に関東軍の計画に基づいて20か年百万戸送出計画を立て、500万人を送出そうと本格的に移民を進めた。
1938年からは村を分割して集団で移民する分村移民が開始された。
【移民にあたってはすでに耕作していた中国人を追い出して土地を奪い取ることも行われ、】
移民が日本軍による武力を背景にしていたことを示していた。
また同年からは15歳から19歳の男子によって編成された満蒙開拓青少年義勇軍も送り込まれはじめ、太平洋戦争中にはこれが満州移民の主力となった。
【終戦時の在満邦人約155万人のうち、】開拓団や義勇軍などの移民は約27万人に達した。これらの移民の多くはソ連との国境地域に沿って送り込まれた。
太平洋戦争で日本の形勢が不利になるにつれ、関東軍から精鋭部隊が南方に引き抜かれていった。
そのため開拓団などから在留邦人を根こそぎ徴兵したが訓練も装備も不十分な部隊であった。
1945年5月に大本営は満州南部の新京(長春)より南に防衛線を作ることを決定したが、
開拓団には伝えなかった。
【取り残された開拓団はかかしの役割を果たさせられた。】
ソ連軍の攻撃が開始された8月9日には関東軍司令部は新京を放棄して朝鮮との国境に近い通化へ「転移」した。
【そのため成年男子を徴兵で取られて老人や女性子どもばかりが残されていた開拓団は関東軍に置き去りにされ、ソ連軍に蹂躙されることとなった。】
ソ連軍による殺傷、強姦、略奪をうけ、集団自決した開拓団もあった。
その中で数千人の子どもたちが中国人に引き取られて生き延び、後に中国残留孤児と呼ばれるようになった。
【死者は在満邦人全体では約17万6千人とされているが、うち8万人あまりは開拓団ら移民であり、彼らの犠牲の多さは際立っている。】
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper60.htm
>ドラさん、昨日の投稿はわかりやすく、理解できたのですが、今日のはよく判りません。^^;
なぜかなー。
>結局、誰に対して何を求めているのか。
???
求める?
>>キッカケというなら、【日本帝国が侵略戦争を始めたから】ですよ。
>昨日と話が違う...
???
>>天皇は、【侵略戦争の責任者】ですからね。
>天皇の戦争責任はまたそれで膨大なテーマです...
そんなこと無いですよ。
彼が戦争を認可し、彼が終わらせたのです。
ほかの誰ができますか。
アメリカの都合によって免罪されたに過ぎず、彼が国のトップでした。
アジア2000万人の犠牲者、戦災孤児、傷病者、消滅した財産・・・償いきれない損害を与えました。
日本国民にも。
>一応、リクエストには答えておきます。
>満州国の人口
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog239.html
その間、満洲の状態は一変した。治安は完全に確保され、国内には一人の兵匪もいなくなった。農業国から立派な工業国となり、総生産額は倍増した。国民生活は目覚ましく向上した。東亜各地から集まってくる人は数多く、3千万人であった人口は5千万人を超えるにいたった。・・・
>まあ、『妄想本』と一蹴されてしまえばそれまでですケド...
ほんと、【中国人強制連行が抜けているし・・朝鮮人も?】
実際は↓・・・
★満州開拓
満州事変による満州国の建設とともに満州の経済開発も着手された。
1932年から大蔵省や商工省の官僚が送り込まれ関東軍に協力して開発にあたった。
対ソ戦にむけて軍需生産、特に鉄鋼、石炭、硫安などの増産が図られた。
【太平洋戦争下で労働力が不足すると中国人労働者を強制労働させて補ったが、多くの犠牲者を出した。】
一方、大恐慌によって窮乏した本土の農村への対策として、また対ソ戦にむけた軍事力の補助として
【満州への移民が1933年から始められた。】
1936年に関東軍の計画に基づいて20か年百万戸送出計画を立て、500万人を送出そうと本格的に移民を進めた。
1938年からは村を分割して集団で移民する分村移民が開始された。
【移民にあたってはすでに耕作していた中国人を追い出して土地を奪い取ることも行われ、】
移民が日本軍による武力を背景にしていたことを示していた。
また同年からは15歳から19歳の男子によって編成された満蒙開拓青少年義勇軍も送り込まれはじめ、太平洋戦争中にはこれが満州移民の主力となった。
【終戦時の在満邦人約155万人のうち、】開拓団や義勇軍などの移民は約27万人に達した。これらの移民の多くはソ連との国境地域に沿って送り込まれた。
太平洋戦争で日本の形勢が不利になるにつれ、関東軍から精鋭部隊が南方に引き抜かれていった。
そのため開拓団などから在留邦人を根こそぎ徴兵したが訓練も装備も不十分な部隊であった。
1945年5月に大本営は満州南部の新京(長春)より南に防衛線を作ることを決定したが、
開拓団には伝えなかった。
【取り残された開拓団はかかしの役割を果たさせられた。】
ソ連軍の攻撃が開始された8月9日には関東軍司令部は新京を放棄して朝鮮との国境に近い通化へ「転移」した。
【そのため成年男子を徴兵で取られて老人や女性子どもばかりが残されていた開拓団は関東軍に置き去りにされ、ソ連軍に蹂躙されることとなった。】
ソ連軍による殺傷、強姦、略奪をうけ、集団自決した開拓団もあった。
その中で数千人の子どもたちが中国人に引き取られて生き延び、後に中国残留孤児と呼ばれるようになった。
【死者は在満邦人全体では約17万6千人とされているが、うち8万人あまりは開拓団ら移民であり、彼らの犠牲の多さは際立っている。】
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper60.htm
これは メッセージ 67487 (from_east_coast_25 さん)への返信です.
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