寛容は非寛容にどう対処するべきか
投稿者: urbannet2 投稿日時: 2005/02/12 00:10 投稿番号: [64416 / 118550]
元投稿の補足。
むろん言論はリベラリズムにのっとるべきだ、ということからいえば、
「ある人を、なんの証拠もなく、匿名公開掲示板で特定宗教の信者あつかいすることも、ゆるされるべきだ」
となります。
この種の「非寛容の言論=特定言論にラベリングをして、婉曲に排除しようとする言論」
にいかに対処するべきかは、私のようなリベラリズムにのっとる論者が昔から苦しまされてきた難問です。
極端な例でいえば、大東亜戦争中の日本のリベラリストも、欧州のリベラリストも、寛容の精神を固守したために、非寛容の精神すなわち軍国主義やファシズムに、最終的には敗北した。
私が尊敬するフランス文学者、日本のリベラリストであった渡辺一夫はこの難問にたいして、
「たとえ非寛容に最終的に敗北するにせよ、寛容はあくまでも寛容でなくてはならない」
と言っていたといいます。
だが私は、非寛容に敗北するくらいなら、「非寛容は絶対に許さない。非寛容は排除する」という、別種の非寛容の立場を、時と場合によっては、寛容は採用するべきかな、ともおもっています。
匿名公開掲示板を見ているかぎりでは。
これは メッセージ 64413 (urbannet2 さん)への返信です.
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