言論はリベラリズムに則っているべきだ
投稿者: urbannet2 投稿日時: 2005/02/11 23:47 投稿番号: [64413 / 118550]
便宜上oxnardnokakashi様の投稿につけます。
私も以前Yahoo!掲示板で、なんの根拠もなく、ある新興宗教(統一教会ではない)の信者だという濡れ衣をきせられた経験があります
=そのときに私に濡れ衣をきせた人間のひとりが、いまoxnardnokakashi様に統一教会信者だということを言っているようですが。ちなみに私はうまれてこのかた、いかなる既成宗教にも所属したことはありません=
ですからoxnardnokakashi様がもし信者でないのなら、お気持ちはわかります。
匿名公開掲示板では、本人が「私は○○教信者です」と言わないかぎり、他の人間が「○○教信者」だというラベリングをすることは絶対にやめるべきだと私はおもいます。かりにいかにその信者に見えたとしても。
もしその人が信者ではなかった場合、たいへんな失礼になります。
その人は匿名公開掲示板では、疑惑をはらす手段はありません。個人情報をあきらかにできる場所ではありませんから。
それがまえもってわかっていて、「おまえは○○教信者だろう」ということは、きわめて卑怯なやりかたです。
もしそのラベリングをされた結果、なにかの被害が実生活で起こった場合、その人は、民事の損害賠償を、ラベリングした相手に請求することもできるとおもいます。
もし実際に信者であったとしても、本人が明言していないのなら、いかにその疑惑が濃厚でも、ラベリングはしないのが、多文化共生を許すデモクラシー社会の礼儀というものでしょう。
◇ ◇
『ワシントンタイムズ』が数年前に統一教会に買収されたという事実は、私も数年前に調べたので知っています。
そのことを掲示板に数年前書いたこともあります。
しかし編集にどの程度統一教会が関与しているかは、明確な証拠をつかんでいません。
明確な証拠がない限り、「あの新聞の編集には統一教会の意向がある」などと言うべきではありません。
統一教会批判派、統一教会側、両方とも、利点があるので「あの新聞には統一教会の意向がある」と世間には言うにきまっています。
統一教会にすれば、新聞の編集に関与できるほどの力がある、と言う方が、すくなくとも信者にたいしては、有利に決まっています。
カネはだしても口はださない、というメディアの経営者もいます。
有名な例では、映画雑誌『キネマ旬報』はかつて過激な新左翼の論者の牙城でもありましたが、当時の同社経営者は、著名な総会屋すなわち右翼である上森士鉄でした。
上森氏はカネはだしても口はいっさい出さず、自身の思想とは正反対の新左翼の発言をゆるしたのです。
上森氏の手からはなれてから、あの雑誌の先鋭な論調は影をひそめました。
同様な例は『情況』などの左翼系雑誌によくあります。
『ワシントンタイムズ』が統一教会の資本の新聞である、ということをここに書けば、それでじゅうぶんではありませんか。
ここをromっている人のなかには、それだけで警戒して、『ワシントンタイムズ』をニュースソースとする投稿はいっさい信用しない人もいるでしょう。
それでいいではありませんか。
それがわれわれの生きるリベラリズム社会であり、言論はそもそもリベラリズムに則るべきです。
人類は原始時代からすこしも賢くなっていない、ということがよく指摘されます。
しかし歴史をかんがみて、すこしでも人類が賢くなっているとすれば、
言論はリベラリズムに則っていないといけない。特定の言論を封じてはならない。だれでもが、だれでもの言論に自由に賛成や反対ができるべきだ
ということを、みながすこしずつ認める方向にむかっていることだ、と私はおもています。
私も以前Yahoo!掲示板で、なんの根拠もなく、ある新興宗教(統一教会ではない)の信者だという濡れ衣をきせられた経験があります
=そのときに私に濡れ衣をきせた人間のひとりが、いまoxnardnokakashi様に統一教会信者だということを言っているようですが。ちなみに私はうまれてこのかた、いかなる既成宗教にも所属したことはありません=
ですからoxnardnokakashi様がもし信者でないのなら、お気持ちはわかります。
匿名公開掲示板では、本人が「私は○○教信者です」と言わないかぎり、他の人間が「○○教信者」だというラベリングをすることは絶対にやめるべきだと私はおもいます。かりにいかにその信者に見えたとしても。
もしその人が信者ではなかった場合、たいへんな失礼になります。
その人は匿名公開掲示板では、疑惑をはらす手段はありません。個人情報をあきらかにできる場所ではありませんから。
それがまえもってわかっていて、「おまえは○○教信者だろう」ということは、きわめて卑怯なやりかたです。
もしそのラベリングをされた結果、なにかの被害が実生活で起こった場合、その人は、民事の損害賠償を、ラベリングした相手に請求することもできるとおもいます。
もし実際に信者であったとしても、本人が明言していないのなら、いかにその疑惑が濃厚でも、ラベリングはしないのが、多文化共生を許すデモクラシー社会の礼儀というものでしょう。
◇ ◇
『ワシントンタイムズ』が数年前に統一教会に買収されたという事実は、私も数年前に調べたので知っています。
そのことを掲示板に数年前書いたこともあります。
しかし編集にどの程度統一教会が関与しているかは、明確な証拠をつかんでいません。
明確な証拠がない限り、「あの新聞の編集には統一教会の意向がある」などと言うべきではありません。
統一教会批判派、統一教会側、両方とも、利点があるので「あの新聞には統一教会の意向がある」と世間には言うにきまっています。
統一教会にすれば、新聞の編集に関与できるほどの力がある、と言う方が、すくなくとも信者にたいしては、有利に決まっています。
カネはだしても口はださない、というメディアの経営者もいます。
有名な例では、映画雑誌『キネマ旬報』はかつて過激な新左翼の論者の牙城でもありましたが、当時の同社経営者は、著名な総会屋すなわち右翼である上森士鉄でした。
上森氏はカネはだしても口はいっさい出さず、自身の思想とは正反対の新左翼の発言をゆるしたのです。
上森氏の手からはなれてから、あの雑誌の先鋭な論調は影をひそめました。
同様な例は『情況』などの左翼系雑誌によくあります。
『ワシントンタイムズ』が統一教会の資本の新聞である、ということをここに書けば、それでじゅうぶんではありませんか。
ここをromっている人のなかには、それだけで警戒して、『ワシントンタイムズ』をニュースソースとする投稿はいっさい信用しない人もいるでしょう。
それでいいではありませんか。
それがわれわれの生きるリベラリズム社会であり、言論はそもそもリベラリズムに則るべきです。
人類は原始時代からすこしも賢くなっていない、ということがよく指摘されます。
しかし歴史をかんがみて、すこしでも人類が賢くなっているとすれば、
言論はリベラリズムに則っていないといけない。特定の言論を封じてはならない。だれでもが、だれでもの言論に自由に賛成や反対ができるべきだ
ということを、みながすこしずつ認める方向にむかっていることだ、と私はおもています。
これは メッセージ 64395 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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