対イラク武力行使

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ションベン教師の知識は小学生以下、嘘大王

投稿者: zionisatou2 投稿日時: 2005/01/30 15:52 投稿番号: [63217 / 118550]
>しかし君は小学校の教科書を見て私と議論するつもり?

とまでえらそうに、日本史の知識をひけらかして豪語した、ションベン教師。

果たしてションベン教師に本当に口ほどの知識があるのか?
本当は小学校の歴史知識以下ではないのだろうか?

◎検証:ションベン教師の歴史知識は、小学生以上のものがあるか???

これがションベン教師の歴史認識
    ↓
>で、倭国→日本に変えたのが7世紀末。よってそれ以前は日本ではなかった。また当然ながら、関東人も南九州人も東北人も倭人ではない。で、それ以後「日本」帝国が「周辺」を侵略しはじめて、今の日本があるわけだ。

つまりションベン教師によれば、倭国が7世紀末に日本と変わり、その後日本帝国として8世紀になって関東人や南九州人や東北人などを侵略したというのだ。



以下検証してみる。
といっても何も難しい考古学の論文を引いて来なくてもいい。

簡単な知識で、十分間違いを指摘できる。

まず日本人なら常識的に、4世紀から西日本各地に全国的に前方後円墳が存在していることを知っている。
西日本の人なら、大体家の近くのどこかに、○○古墳という前方後円墳の遺跡があるものだ。
だから、4世紀ごろから、西日本の統一はほぼ終わっているはずである。
こんなことは、直感的にわかる。
関東においても、埼玉県稲荷山古墳から出土した刀剣の銘文から、5世紀末にも関東地方は倭王の勢力下にあったということなど、新聞で大騒ぎになったから知っていることである。

事実、町の図書館に行って、日本の古代史関係のあれこれ文献を見てみると、大体中国の『宋書』の次の記述が引用されていることからもわかる。

列伝第57「夷蛮」
>倭国在高麗東南大海中、世修貢職。・・・・興死、弟武立自称使持背節、都督倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓緋七国諸軍事,安東大将軍、倭国王。
>順帝昇明二年、(倭王武)遣使上表曰、封国偏遠、作藩于外、自昔祖禰、躬貫甲冑、跋渉山川、不遑寧処。東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国。渡平海北九十五国、王道融泰、廓土遐畿、累葉朝宗、不于愆歳。・・・・・・・

有名な「倭の五王」の時代、倭国では、倭王4代目「興」が死に、弟の「武」が継いだ。その「武」が
順帝昇明二年(478年)に、宋国の順帝に送った上奏文を送ったというのが記録されているのである。
この上奏文の中に、「東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国。渡平海北九十五国」と、東に西にと遠征を繰り返し数十カ国を従えた、倭王「武」の英雄的姿が、書いてあるのである。
この倭王「武」が、日本で言う雄略天皇ではないかとされる。
ともかく5世紀には倭王「武」が、国内で統一の図って軍事行動を起こし大活躍していたことを述べている記録である。

したがって、7世紀になるころ、つまり聖徳太子が遣隋使を送るころには、東北と南西諸島を除いて、日本の大部分は統一していたのである。

こんなことは、いちいち書かなくても、結論的には利口な小学生ぐらいなら知っていることなのである。

「日本」の国号については、諸説あり、遅い説では8世紀前半とする説もあった。しかし早い例では、万葉集の和歌の枕詞の用例もあり、7世紀には使われている。


以上から見て
>「倭国が7世紀末に日本と変わり、その後日本帝国として8世紀になって関東人も南九州人も東北人を侵略したというのだ。

とするションベン教師の説は、小学校の知識レベルにも達しない、、まさに金豚学校の工作員科卒業生ならではの、嘘八百大王説でした。
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