アッサラームさん
投稿者: so_what108 投稿日時: 2005/01/09 09:50 投稿番号: [61532 / 118550]
>それぞれの宗教のために熱心に働いている有名な人が書いたものからのみ、その宗教について学ぶべきであるということだ。
そうですね、たとえば、以前イスラム関係の本を熱心に読んだのですが(主に井筒俊彦)バーナードルイスという人のイスラム本読んで、「なんか違う」とおもったことがありました、(井筒俊彦と比べて)そのなんかってイスラム、アラブに対する愛情が違うんだと思ったのです。
井筒俊彦って若いころからアラブの魅力に取り付かれて寝てもさめてもアラビア語の勉強したそうですが、そういう情熱がひしひしと感じられました。つまり物事でも人でもその本質により接近できるのはやはり愛情なのかなって思います。
『レヴィナス・コレクション』
ややこしい文章出してしまいごめんなさい。レヴィナスってアウシュビッツの体験をした人です。
私達が他者と出会うとき(相手が自分と共有できる同質の人間か異質か)という判断が働いてそういった作用(了解)が排除されるものを生み出してしまう、それが暴力である、というようなことを言ってるのだと思います
つまり(了解)-相手を同一化して自分の中に取り込もうとする機能がある限り、必ず排除されるものを生み出す、そしてそれは私達は本当に(他者)と向かい合ったことにはならないのだ、みたいなことを言ってるのだと思います
つまり(了解)というものが必ず持つ排他性、閉鎖性を批判したんじゃないでしょうか?
だから(了解)をやめてあるがままの(他者)と向かい合うことの必要をいってるのではないでしょうか?
このリンクから引用した文章です。
http://www.ne.jp/asahi/village/good/Levinas.htm
これは メッセージ 61524 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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