今年の課題
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2005/01/04 16:47 投稿番号: [61254 / 118550]
皆様、あけましておめでとうございます。
今年はガンジーをもう一度良く勉強したいと思います。
>戦争をしないことが平和であるとは限らない。この戦争が起きなくても、テロリストが世界中でテロ行為をしている状態が平和と言えるだろうか?それを阻止するために武力行使することが何故悪なのだろうか?(needさんからの引用)
・・・・・全ての行き違いは、ここにあるのだろうと感じた。・・・テロリストが先か、アメリカの戦略が先か?・・・・ガンジーはもうそれを100年も前に予見している。・・・「クサイニオイは元から絶たなきゃダメ!」
http://homepage1.nifty.com/kayoko/ahimsa.htm
> 「戦争の原因を理解し、その根本的解決を図ろうとしない限り、戦争をやめさせようとする行動もすべて無駄に終わる。現代の戦争の主な原因は、地上のいわゆる弱い民族を搾取しようとする非人間的競争にあるのでなかろうか。」
http://homepage1.nifty.com/kayoko/itoguruma.htm#lecture
> 私たちの今置かれている現実は、ガンジーが目指した農村社会とはすっかりかけ離れてしまいました。100年近くも前に工業化の行く末は破滅しかないとガンジーが訴えたにもかかわらず、私たちはその声には耳を傾けず、ひたすら物質的な繁栄のみを追い求めてきた結果がこれです。しかし、西洋の近代主義があちこちでほころびを見せている今だからこそ、東洋の叡智に学びたいものです。私たちはガンジーが提唱した、糸車を中心に据えた社会か、行きつく所まで大量生産を推し進めていく社会、つまるところそれは最後には大量破壊しかあり得ないのですがこのどちらかを選ばねばなりません。どちらを選ぶべきかは、もう明らかなのではないでしょうか。
ただ、読みの浅い私としては、ガンジーの訴える「侵略者」「敵」は、どこか現実感のない異次元世界の架空の悪人のことを語っているように感じてしまう。
つまりこの「敵」があきらめる(?)のを「待つ」と言う行為は、「悪」が無反省にはびこることをも、「許す」と言うことであり、この考え方が中途半端に理解されれば、更なる差別社会を助長すると言う結果を生みはしないだろうか?とも危惧する。この不公平感にとことん突き進む勇気をこそ、ガンジーは求めたのだろうか?この敵を無制限に許すと言う行為は、はたして、上記のneedさんのお書きのような、「思考停止状態」になっている日本人やアメリカ人に対して果たして有効なのだろうか?と言う心細さを常に抱きながら、それでも私達はあの頃のムーブメントとしての盛り上がり(それによるイギリスの弱腰)を拠り所としてガンジーの訴えを支持し続けるしかないのであろうか?
ここでの様々な人からの情報によって、今回の武力行使は、何も、目に見えない架空の人たちによって繰り広げられているのではなくて、問題の根本は、実は、私達一人一人の内面の奥深くに根を下ろしている問題であり、私達の考え方一つで、十分に解決可能な、現実的な問題として浮き彫りにされつつあるのではないだろうか?とも言えるのではないだろうか?という可能性を見い出したのは私だけではないと思う。
まあ、新年に向けて、こういうことを考えながら、今年の目標としてみようと考えてみた。
今年はガンジーをもう一度良く勉強したいと思います。
>戦争をしないことが平和であるとは限らない。この戦争が起きなくても、テロリストが世界中でテロ行為をしている状態が平和と言えるだろうか?それを阻止するために武力行使することが何故悪なのだろうか?(needさんからの引用)
・・・・・全ての行き違いは、ここにあるのだろうと感じた。・・・テロリストが先か、アメリカの戦略が先か?・・・・ガンジーはもうそれを100年も前に予見している。・・・「クサイニオイは元から絶たなきゃダメ!」
http://homepage1.nifty.com/kayoko/ahimsa.htm
> 「戦争の原因を理解し、その根本的解決を図ろうとしない限り、戦争をやめさせようとする行動もすべて無駄に終わる。現代の戦争の主な原因は、地上のいわゆる弱い民族を搾取しようとする非人間的競争にあるのでなかろうか。」
http://homepage1.nifty.com/kayoko/itoguruma.htm#lecture
> 私たちの今置かれている現実は、ガンジーが目指した農村社会とはすっかりかけ離れてしまいました。100年近くも前に工業化の行く末は破滅しかないとガンジーが訴えたにもかかわらず、私たちはその声には耳を傾けず、ひたすら物質的な繁栄のみを追い求めてきた結果がこれです。しかし、西洋の近代主義があちこちでほころびを見せている今だからこそ、東洋の叡智に学びたいものです。私たちはガンジーが提唱した、糸車を中心に据えた社会か、行きつく所まで大量生産を推し進めていく社会、つまるところそれは最後には大量破壊しかあり得ないのですがこのどちらかを選ばねばなりません。どちらを選ぶべきかは、もう明らかなのではないでしょうか。
ただ、読みの浅い私としては、ガンジーの訴える「侵略者」「敵」は、どこか現実感のない異次元世界の架空の悪人のことを語っているように感じてしまう。
つまりこの「敵」があきらめる(?)のを「待つ」と言う行為は、「悪」が無反省にはびこることをも、「許す」と言うことであり、この考え方が中途半端に理解されれば、更なる差別社会を助長すると言う結果を生みはしないだろうか?とも危惧する。この不公平感にとことん突き進む勇気をこそ、ガンジーは求めたのだろうか?この敵を無制限に許すと言う行為は、はたして、上記のneedさんのお書きのような、「思考停止状態」になっている日本人やアメリカ人に対して果たして有効なのだろうか?と言う心細さを常に抱きながら、それでも私達はあの頃のムーブメントとしての盛り上がり(それによるイギリスの弱腰)を拠り所としてガンジーの訴えを支持し続けるしかないのであろうか?
ここでの様々な人からの情報によって、今回の武力行使は、何も、目に見えない架空の人たちによって繰り広げられているのではなくて、問題の根本は、実は、私達一人一人の内面の奥深くに根を下ろしている問題であり、私達の考え方一つで、十分に解決可能な、現実的な問題として浮き彫りにされつつあるのではないだろうか?とも言えるのではないだろうか?という可能性を見い出したのは私だけではないと思う。
まあ、新年に向けて、こういうことを考えながら、今年の目標としてみようと考えてみた。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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