最後の落としどころ:ニュース報道
投稿者: battamother 投稿日時: 2004/12/26 05:11 投稿番号: [60485 / 118550]
>一番目に関しては賛同いただけますかな?
『「殺人事件の被害者宅の前にいち早く駆けつけ、アホニュースレポーターが陣取り、その前で被害者の素行をあれこれ報道することが必要であるのかどうか。近所の人に、被害者の素行をインタビューして回る必要があるのかどうか」。私は「被害者の心情を無視したアホ報道ニュース人の非人間さ、鬼畜にも劣る精神性」を非難している。』
20年ほど前、父の乗っていた船が座礁し、安否不明になったことがある。
その時、例の如く各取材陣が我が家を訪れた。父の生存の有無が不明だったことで、夜も眠れず動揺と不安で、憔悴しきった母に、各報道陣は土足で踏み込んできた。(かに見えた)
電話が鳴る度に、警察からの安否情報かと思い受話器を取る。
しかし、それは取材陣からの電話だった。
とうとう母はブチ切れた。
と、そんな話をかつて母から聞いた。
学業で実家を出ていた私は、その場面に直接は出くわしていない。居合わせたなら、武闘派の私のこと、さぞかしや報道陣相手に烈しい立ち回りを演じていたことであろう。
聞いた時には、既にことが終わり、父も無事だったこともあってか、「ふ〜ん」という感慨しかなかった。同時に、事が起こると報道陣が詰めかけるというのは本当なんだなぁと、妙に感慨深かったのを覚えている。
報道される側にとったら、こういう取材合戦は、確かに耐え難い暴力にさえ思える行為だと思う。
報道する側、される側、そしてそれを視聴する側。それぞれ利害の異なるトライアングルだ。
報道規制は確かに必要だろう。
しかし、いざ現場に立った時、そのボーダーラインの判断が難しい。
かつてオウム真理教問題で、サリン散布の疑いをかけられた河野氏。薬剤師だった彼に、報道陣の疑惑の目が向けられた。
最初は、ただの疑惑だったはずが、エスカレートして、河野氏をまるで犯罪者の如く確信に満ちた姿勢で、各報道陣は攻撃的な取材を進めた。
その報道の影響を受けた視聴者達は、河野氏宅へ連日抗議の電話をかけたり、嫌がらせをしたりした。
結果、河野氏はまったくの白であり、それどころか彼の妻はサリンの被害で植物人間同様の悲惨な姿になっていた。
河野氏を糾弾したあるテレビ局は、一転して、今度は河野氏擁護とも思える特集を組んだりした。それでもって、チャラになった…本気でそう思ったのだろうか?
今年、4月。邦人3人がイラクで人質になった。あれはヤラセだという噂の火元は2チャンネルだった。それを某新聞が事実であるかのように記事にした。一時は、人質ヤラセ説で、巷は大騒ぎになった。
一方、政府の煮え切らない対応に興奮した、人質の身内の烈しい政府批判の映像を見て、多くの視聴者が反発した。
日本人がイラク武力勢力の人質になっているというだけでも、「戦争に巻き込まれた」ような興奮が平和国日本全土を揺るがした。
彼らの安否を気遣う人達のいる反面、人質の家族達への反発と、嫌がらせが起こった。
3人が無事救出され、関空に降り立った時、空港は彼らを罵倒する野次馬で一杯だった。中には、関空から成田までの道のりに同乗した野次馬までいたという。
先に報道があり、それに反応する民衆がある。そして、その民衆の反応も様々である。当事者への電話やファックスでの罵倒、脅迫。そして嫌がらせ。
例えば、拉致被害者だった曽我ひとみさん。彼女に対する同じ報道を見て、同情と声援を送る人達がいる一方で、非難攻撃、嫌がらせをする人達もいるという。
こうなると、単に報道の仕方の問題なのかと頭をかしげたくなる。
てなわけで、報道側の行き過ぎというベンチャーさん主張そのものは分かりますし、同意もします。
私の意識の傾向なのかもしれませんが、だからと言ってそれのみを糾弾できないと思っているのもまた本音としてあります。
2ちゃんねるやヤフー掲示板など、今や私達もメディアの一部です。であれば、私達のネットでの発言も良くも悪くも世界に影響を与えている訳ですから、同様の注意を要しますね。
最後に、我が家の庭で、大きなキュウリが採れました。姉が新聞社に電話したら、早速取材に来てくれて、その記事が新聞に載りました。母はいたく喜んでいました。
報道する側、される側、視聴する側。
誠に、微妙なトライアングルです。
現イラク戦争関連報道においても、同様の問題提起をしたい。
『「殺人事件の被害者宅の前にいち早く駆けつけ、アホニュースレポーターが陣取り、その前で被害者の素行をあれこれ報道することが必要であるのかどうか。近所の人に、被害者の素行をインタビューして回る必要があるのかどうか」。私は「被害者の心情を無視したアホ報道ニュース人の非人間さ、鬼畜にも劣る精神性」を非難している。』
20年ほど前、父の乗っていた船が座礁し、安否不明になったことがある。
その時、例の如く各取材陣が我が家を訪れた。父の生存の有無が不明だったことで、夜も眠れず動揺と不安で、憔悴しきった母に、各報道陣は土足で踏み込んできた。(かに見えた)
電話が鳴る度に、警察からの安否情報かと思い受話器を取る。
しかし、それは取材陣からの電話だった。
とうとう母はブチ切れた。
と、そんな話をかつて母から聞いた。
学業で実家を出ていた私は、その場面に直接は出くわしていない。居合わせたなら、武闘派の私のこと、さぞかしや報道陣相手に烈しい立ち回りを演じていたことであろう。
聞いた時には、既にことが終わり、父も無事だったこともあってか、「ふ〜ん」という感慨しかなかった。同時に、事が起こると報道陣が詰めかけるというのは本当なんだなぁと、妙に感慨深かったのを覚えている。
報道される側にとったら、こういう取材合戦は、確かに耐え難い暴力にさえ思える行為だと思う。
報道する側、される側、そしてそれを視聴する側。それぞれ利害の異なるトライアングルだ。
報道規制は確かに必要だろう。
しかし、いざ現場に立った時、そのボーダーラインの判断が難しい。
かつてオウム真理教問題で、サリン散布の疑いをかけられた河野氏。薬剤師だった彼に、報道陣の疑惑の目が向けられた。
最初は、ただの疑惑だったはずが、エスカレートして、河野氏をまるで犯罪者の如く確信に満ちた姿勢で、各報道陣は攻撃的な取材を進めた。
その報道の影響を受けた視聴者達は、河野氏宅へ連日抗議の電話をかけたり、嫌がらせをしたりした。
結果、河野氏はまったくの白であり、それどころか彼の妻はサリンの被害で植物人間同様の悲惨な姿になっていた。
河野氏を糾弾したあるテレビ局は、一転して、今度は河野氏擁護とも思える特集を組んだりした。それでもって、チャラになった…本気でそう思ったのだろうか?
今年、4月。邦人3人がイラクで人質になった。あれはヤラセだという噂の火元は2チャンネルだった。それを某新聞が事実であるかのように記事にした。一時は、人質ヤラセ説で、巷は大騒ぎになった。
一方、政府の煮え切らない対応に興奮した、人質の身内の烈しい政府批判の映像を見て、多くの視聴者が反発した。
日本人がイラク武力勢力の人質になっているというだけでも、「戦争に巻き込まれた」ような興奮が平和国日本全土を揺るがした。
彼らの安否を気遣う人達のいる反面、人質の家族達への反発と、嫌がらせが起こった。
3人が無事救出され、関空に降り立った時、空港は彼らを罵倒する野次馬で一杯だった。中には、関空から成田までの道のりに同乗した野次馬までいたという。
先に報道があり、それに反応する民衆がある。そして、その民衆の反応も様々である。当事者への電話やファックスでの罵倒、脅迫。そして嫌がらせ。
例えば、拉致被害者だった曽我ひとみさん。彼女に対する同じ報道を見て、同情と声援を送る人達がいる一方で、非難攻撃、嫌がらせをする人達もいるという。
こうなると、単に報道の仕方の問題なのかと頭をかしげたくなる。
てなわけで、報道側の行き過ぎというベンチャーさん主張そのものは分かりますし、同意もします。
私の意識の傾向なのかもしれませんが、だからと言ってそれのみを糾弾できないと思っているのもまた本音としてあります。
2ちゃんねるやヤフー掲示板など、今や私達もメディアの一部です。であれば、私達のネットでの発言も良くも悪くも世界に影響を与えている訳ですから、同様の注意を要しますね。
最後に、我が家の庭で、大きなキュウリが採れました。姉が新聞社に電話したら、早速取材に来てくれて、その記事が新聞に載りました。母はいたく喜んでいました。
報道する側、される側、視聴する側。
誠に、微妙なトライアングルです。
現イラク戦争関連報道においても、同様の問題提起をしたい。
これは メッセージ 60477 (venture_2016 さん)への返信です.
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