謎の【M資金】
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2004/11/25 23:45 投稿番号: [58296 / 118550]
数ヶ月前、フジテレビで【岸首相(安倍普三の祖父)】が、CIAから多額の(数百億ドル?)の資金を受領していた・・・と言う番組を見ました。
その資金がこの【M資金】というものでしょうか。
この【M資金で自衛隊を創設】したそうです。しかし未だに実態がつかめないようです。↓
http://www.google.co.jp/search?q=cache:TwN3zxSFOqwJ:www.asyura.c om/sora/bd13/msg/583.html+&hl=ja&lr=lang_ja
★日本のM資金に関する
1991年1月7日付け備忘録
『エイジアン・パースペクティブ』誌
Vol. 24, No.4, 2000
ノーバート・A・シュレイ
この備忘録は、40年以上にわたり日本に存在し続けてきた巨額の秘密資金、い
わゆる「M資金」についてである。
この資金は戦後間もなく米国が設けたもの
で、その理由はドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)を含む西ヨーロッパに対し、マ
ーシャルプランとして援助を開始したのと、基本的には同じである。
当初、M資金は完全に米国が管理し、日本の関わりは純粋に助言的なものに限
られていた。
しかし、その後M資金の管理が日本人の手に移り、そこからM資金の濫用が始まった。以来、このM資金は明らかに日米両国の利益に反する目的に利用されている。
【 背景 】
日本軍が降伏し、1945年9月2日にマッカーサー元帥率いる米占領軍によって
日本に軍政が敷かれた。戦後初期、マッカーサーは日本に民主制度を確立し、荒
廃した経済を立て直すためには資金援助が必要だと考えた。
民主勢力に幸先の良いスタートを切らせるには、政治活動資金として秘密資金の準備が不可欠だとマッカーサーは確信したのだった。
【こうして、終戦時に日本軍が所有していた金や貴金属を使ってそのための資金が用意された。それらは元々は日本軍が戦時中、中国、韓国、台湾、フィリピンなどの占領地で強奪したものであり、】
終戦時に米国に委譲され、もはや日本の国有財産ではなかった。
そのためマッカーサーは、米国での正式な法手続きなしにその富を利用することができた。さらにその額は当初考えられていたよりもはるかに規模が大きかった。
後に、いわゆる見返り資金(被援助国が贈与分と等額の自国通貨を積み立てたもの)と呼ばれる、米国がドルに交換できない日本円もこれに加えられた。
この新しい資金は、主に吉田茂首相から出される、助言的な情報に基づいて
GHQ本部が管理していた。そして、この資金の内情に詳しい人々の間では、その
創設と初期の運用に関係していたマーカット少将にちなんで
「M資金」あるいは
マーカット資金として知られるようになった。また吉田首相の関与から、吉田資
金と呼ばれることもある。
M資金は、日本に民主的な政治制度を確立させるためだけでなく、ヨーロッパ
でマーシャルプラン資金が使われたのと同様に、
日本経済の復興に使われた。M資金から低利子あるいは無利子の長期的な融資が、石炭、鉄、造船、化学肥料、電力など日本の主要産業に提供されたのである。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、在日米軍が韓国に移動したために日本の公的
秩序の維持に空白が生じた。これを埋めるために、現在の自衛隊の前身である警
察予備隊が組織されることになったが、
日本国憲法が軍隊の維持を禁じていたた
め、日本政府には新しい兵力を組織する費用の用意がまったくなかった。そこで
マッカーサーは、その費用としてM資金から200兆円を拠出したのである。
1951年9月8日、日米間に講和条約が調印され、これによって米軍の日本占領
は終わったが、日米安全保障条約が締結され、1952年4月28日に発効した。講和
条約および安保条約の付帯条件として、日米両国は、M資金を日米両国の共同管
理下に置くという秘密条約を締結した。
1950年代の後半、日本側は1952年の安全保障条約の条項に不満を示し、改正
を要求した。
それに応じて、アイゼンハワー大統領は改正の交渉を進めるため、
特使としてニクソン副大統領を日本に送った。ニクソンと岸首相の間で広範囲に
わたる交渉が行われた後、安保改正が決定、衆議院本会議で強行採決後、1960年
6月23日に成立した。
安保改正とともに、ニクソン副大統領はM資金の管理を日本にすべて任せるこ
とに合意した。
・・・
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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