>楢山節考
投稿者: moriya99 投稿日時: 2004/10/02 16:48 投稿番号: [54829 / 118550]
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今の親も子供には何も期待しない。実は、自分達も自分の親に対してしてきたことだから。自業自得なわけ。
これをアメリカ「文化」のせいにする馬鹿がいる。日本人は、それほど自尊心のない国民なのか? そうじゃないだろ!
>>
「おばすて」とか、言葉はあるけど、本当に姨捨など起こっていただろうか。ないと思うよ。例外的にはあったかもしれないけど、飢饉のときなどに、まあ、優先的に働ける者に食べさせなければならい。ま、順序といては、子供、老人という順序だろな。こういう言葉が残っているのは、ある意味、してはいけないことの戒めなんでしょうね。
>今の親も子供には何も期待しない。
という時代になってきたのは、産業構造の変化が大きいですね。
産業の中心が農耕などの場合は、老人問題は起きない。農業社会というのは大家族社会であり、大家族でないと成立しない生産形態なんですね。それと定住社会…。
だいたい四世代が同居して成り立っている社会な訳で、そこでは、どの世代もそれぞれに役割があって、なりなっている。
働き盛りの者だけでなく、老人も重要な役割を担っている。老人の経験、特に気候とか天候などの知識は老人が蓄えている。また、祭忌などの知識も老人のものですね。
ここでは、子が親の生活をみるのは、当たり前であり、特別の努力のいることでもない。天変地異や気候や祭忌の知識が豊富にもっている老人を敬うのも、自然な感情でしかない。
だが、産業形態が変わると状況は一変する。工業化ですね。人口は都市に集まり、移動の時代になる。サラリーマンの時代になるんですね。働き盛りも、大きな集団に属して動いて行く。
老人は移動に弱いし、新しい産業に関しては老人の知識はすべてではなくなる。なくなるかのように見える。
成人した親子の同居が困難になるんですね。
そこで、年金制度などのシステムが登場してくる訳です。農耕社会のように子が親と同居して老親の面倒をみるという生活形態から、子の世代全体が親の世代全体の面倒をみる。これが年金制度の基本的な発想じゃないですか。
子が親から直接受け継ぐ技術とか生産設備はない。移動には付いていけない。当然、不心得ものもですでしょう。貰うものがない。老人が居なくても困らないと錯覚する者がでる。
だが、生産形態は変わっても、親が子に注ぐ愛情は変わらない。また、老人が若者に与えることのできるものも抽象化してくる。すると、見えない者がでるのかも。でも、親と子の愛情の基本や、前の世代が次ぎの世代の者に残してくれた遺産はあるのですけど、個人のレベルでは見えにくい。
それと、過渡期の混乱もあるでしょうね。年金問題も、まあ、ある程度整備された制度なんですけど、人口動態が変わってくるといろんな問題が生じてくる。少子化もそうだし、老齢人口の増加もそうだし、婚姻や家族の意味も変わってくる。
だが、基本的には問題はないのかも。少子化も、子供が少なくてもやっていける。一人辺りの教育水準も高くなれば、一人あたりの生産能力も実は向上している筈なんですよね。当然、老齢年齢も上がる訳で、生涯に働く期間は長くなっているし、多い人口が働いてきた社会的な蓄積があって当然…。
また、共同体の、社会の、国家の、世界の、人類の危機などに関しては、老人の叡知は相当に役に立つ意味のものであっていい。
また、個人のレベルでみても、社会に貢献し、尊敬される祖父母などをもっていると、孫などは、その恩恵を受けますよ。生きているだけで、孫の未来を開いたり、守っているものは大きいですね。
幼い時には、親しか見えませんけど、ある程度の年齢になってくると、親以上に祖父母に守られているな、と感じることは多くないですか。
それもいろんな形で…。社会的に抜きんでて居なくても、夫婦仲がよかった。それだけで、どのくらい孫を守ってくれているか、思い知ることは多い。
人は誰もが理想を生きたのではないでしょう。思い通りにならなかった人生の方が多い。だが、ひとそれぞれに積み重ねた営みがあり、それが孫をいろんな形で守っていますね。
私などはそれを感じますね。祖父などが多少でも、共同体の役に立っていたりすると、やはり孫は死後まで守られますね。あの人の孫ですか、と言って貰えるだけでも大きい。老人はなんらかの形で次ぎの世代を守っている。それに対する哀惜と感謝は社会形態の変化には関係なくある筈のものであり、あっていいものなんですね。
何も、してないようでも、前に言ったように、死の恐怖から若者を守っているだけでも大きい。100才を越える人が多い社会は、それだけ若者が安心して生きられる社会なんじゃないですか。
今の親も子供には何も期待しない。実は、自分達も自分の親に対してしてきたことだから。自業自得なわけ。
これをアメリカ「文化」のせいにする馬鹿がいる。日本人は、それほど自尊心のない国民なのか? そうじゃないだろ!
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「おばすて」とか、言葉はあるけど、本当に姨捨など起こっていただろうか。ないと思うよ。例外的にはあったかもしれないけど、飢饉のときなどに、まあ、優先的に働ける者に食べさせなければならい。ま、順序といては、子供、老人という順序だろな。こういう言葉が残っているのは、ある意味、してはいけないことの戒めなんでしょうね。
>今の親も子供には何も期待しない。
という時代になってきたのは、産業構造の変化が大きいですね。
産業の中心が農耕などの場合は、老人問題は起きない。農業社会というのは大家族社会であり、大家族でないと成立しない生産形態なんですね。それと定住社会…。
だいたい四世代が同居して成り立っている社会な訳で、そこでは、どの世代もそれぞれに役割があって、なりなっている。
働き盛りの者だけでなく、老人も重要な役割を担っている。老人の経験、特に気候とか天候などの知識は老人が蓄えている。また、祭忌などの知識も老人のものですね。
ここでは、子が親の生活をみるのは、当たり前であり、特別の努力のいることでもない。天変地異や気候や祭忌の知識が豊富にもっている老人を敬うのも、自然な感情でしかない。
だが、産業形態が変わると状況は一変する。工業化ですね。人口は都市に集まり、移動の時代になる。サラリーマンの時代になるんですね。働き盛りも、大きな集団に属して動いて行く。
老人は移動に弱いし、新しい産業に関しては老人の知識はすべてではなくなる。なくなるかのように見える。
成人した親子の同居が困難になるんですね。
そこで、年金制度などのシステムが登場してくる訳です。農耕社会のように子が親と同居して老親の面倒をみるという生活形態から、子の世代全体が親の世代全体の面倒をみる。これが年金制度の基本的な発想じゃないですか。
子が親から直接受け継ぐ技術とか生産設備はない。移動には付いていけない。当然、不心得ものもですでしょう。貰うものがない。老人が居なくても困らないと錯覚する者がでる。
だが、生産形態は変わっても、親が子に注ぐ愛情は変わらない。また、老人が若者に与えることのできるものも抽象化してくる。すると、見えない者がでるのかも。でも、親と子の愛情の基本や、前の世代が次ぎの世代の者に残してくれた遺産はあるのですけど、個人のレベルでは見えにくい。
それと、過渡期の混乱もあるでしょうね。年金問題も、まあ、ある程度整備された制度なんですけど、人口動態が変わってくるといろんな問題が生じてくる。少子化もそうだし、老齢人口の増加もそうだし、婚姻や家族の意味も変わってくる。
だが、基本的には問題はないのかも。少子化も、子供が少なくてもやっていける。一人辺りの教育水準も高くなれば、一人あたりの生産能力も実は向上している筈なんですよね。当然、老齢年齢も上がる訳で、生涯に働く期間は長くなっているし、多い人口が働いてきた社会的な蓄積があって当然…。
また、共同体の、社会の、国家の、世界の、人類の危機などに関しては、老人の叡知は相当に役に立つ意味のものであっていい。
また、個人のレベルでみても、社会に貢献し、尊敬される祖父母などをもっていると、孫などは、その恩恵を受けますよ。生きているだけで、孫の未来を開いたり、守っているものは大きいですね。
幼い時には、親しか見えませんけど、ある程度の年齢になってくると、親以上に祖父母に守られているな、と感じることは多くないですか。
それもいろんな形で…。社会的に抜きんでて居なくても、夫婦仲がよかった。それだけで、どのくらい孫を守ってくれているか、思い知ることは多い。
人は誰もが理想を生きたのではないでしょう。思い通りにならなかった人生の方が多い。だが、ひとそれぞれに積み重ねた営みがあり、それが孫をいろんな形で守っていますね。
私などはそれを感じますね。祖父などが多少でも、共同体の役に立っていたりすると、やはり孫は死後まで守られますね。あの人の孫ですか、と言って貰えるだけでも大きい。老人はなんらかの形で次ぎの世代を守っている。それに対する哀惜と感謝は社会形態の変化には関係なくある筈のものであり、あっていいものなんですね。
何も、してないようでも、前に言ったように、死の恐怖から若者を守っているだけでも大きい。100才を越える人が多い社会は、それだけ若者が安心して生きられる社会なんじゃないですか。
これは メッセージ 54693 (venture_2016 さん)への返信です.
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