>>>レッテル張りのパピヨンさん2
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/09/26 03:33 投稿番号: [54450 / 118550]
>先に挙げた、進化論のHPでも書いてあったとおり、自然淘汰は繁殖成功度で決まるものであり、自殺についても、繁殖成功度が低い精神の持ち主であることを前提とした記述があったことからもわかるように、自殺が自然淘汰と関係があるというのは当然だ。
※ここでは関係があるかどうかの話をしているわけではないよ?・・また少しずつずらしながらごまかそうとしているね?
>サルの世界で自然淘汰が作用しているのは認めるよね。
>では、病気に弱いサルが衰弱して、若いうちに死んだら、これも、そういった現象をマクロ的に考えるなら自然淘汰の作用が働いていると言ってもいいだろう。
猿の世界での自然淘汰は、弱い猿が死ぬとかそういうレベルのことを言っているのではないのではないだろうか?
つまり以下に書かれているミツバチやアリのワーカーなどの行動を見るとわかるけれども、少なくともドーキンスの「利己的な遺伝子」という概念で考えると、必ずしも個体の死がそのまま「自然淘汰」を表さないということだよねえ?
もう一つ下の、ダチョウの子育てに関してもそうだけど、この「個人の死」に対して、還元的に自然淘汰を無造作に当てはめるということは、再三書いているように非常に危険な考え方も同時に引き込む可能性があるので、慎重にしなければならないし、ましてや、個々人の「自殺」という問題を、極めて大ざっぱに「自然淘汰」として括ってしまう君や始めに言い始めた人間に対しては、非常なる不快感を禁じえないよ。
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http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/DawkinsRichard001.htm
つまり、生物進化の主体はわれわれ個体ではなく「遺伝子」だということだ。別の言葉でいえば、生物の行為やありかたは「遺伝子の自己複製」というレベルからのみ統一的に理解できる、ということである。だから、われわれ個体は、遺伝子が自己複製のために形成した派生的なものだとみなすことができる。これによって、今まで謎とされてきた数々の動物の行為が鮮やかに、しかも単純明快な図式によって理解できるようになった。例えば、生物の利他的な行動、どう見ても個体の生存にとっては不利であると思える行動(ミツバチやアリのワーカーなどの)が、この理論によって整合的に理解できるのである。(註1)ここで注意したいのは、利己的な遺伝子というときの利己性とは、個体のそれではなく、あくまでも遺伝子の利己性だということだ。かといって、遺伝子が「そう考えて」行動しているというより、これは遺伝子の自己複製がより大きな頻度をもって行われるような形質をもった個体が「結果として」生存し増殖するということであり、個体の側からいえば、個体の性質も行動資質も、遺伝子の再生産を効率化するような仕方で形成されるということだと解釈したほうがよさそうだ。(註2)遺伝子は種のためでも個のためでもなくそれ自身の増殖のためにのみ働くということであり、われわれは他の生物と同じくその「結果として」生まれたのだ、ということを本書は語っているのである。
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http://www.biowonderland.com/ScienceMystery/
ところが、こうしたダチョウの母親のボランティア的な行動も、群(む)れや集団を作っているほうが防衛(ぼうえい)しやすいことによるのです。事実、ダチョウのヒナは、大きな集団でいるほど生き残りやすいことが明らかにされています。
ドーキンスの考えによると、一見したところ、利他的(りたてき)な行動に見えるダチョウの母親の行動は、本当は非常に利己的な行動だということになります。しかも、こうしたダチョウの母親に利己的行動をさせているのがDNAだというのです。私たち人間がしているボランティアも、ひょっとしたら利己的遺伝子に支配されているのかもしれません。
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>もちろん、現在の社会福祉のあり方は本当の弱者を救済しようとする制度にはなっていない。
「自殺は自然淘汰」を容認して、ひと括りにして切り捨てようとしている人間が何を善人ぶっているのだ?
何か昔、生物トピなどで、上野公園で食物配給して演説していたという妄想キリスト教関係者と同じような感じになってきているのは考え過ぎかなあ・・・。
※ここでは関係があるかどうかの話をしているわけではないよ?・・また少しずつずらしながらごまかそうとしているね?
>サルの世界で自然淘汰が作用しているのは認めるよね。
>では、病気に弱いサルが衰弱して、若いうちに死んだら、これも、そういった現象をマクロ的に考えるなら自然淘汰の作用が働いていると言ってもいいだろう。
猿の世界での自然淘汰は、弱い猿が死ぬとかそういうレベルのことを言っているのではないのではないだろうか?
つまり以下に書かれているミツバチやアリのワーカーなどの行動を見るとわかるけれども、少なくともドーキンスの「利己的な遺伝子」という概念で考えると、必ずしも個体の死がそのまま「自然淘汰」を表さないということだよねえ?
もう一つ下の、ダチョウの子育てに関してもそうだけど、この「個人の死」に対して、還元的に自然淘汰を無造作に当てはめるということは、再三書いているように非常に危険な考え方も同時に引き込む可能性があるので、慎重にしなければならないし、ましてや、個々人の「自殺」という問題を、極めて大ざっぱに「自然淘汰」として括ってしまう君や始めに言い始めた人間に対しては、非常なる不快感を禁じえないよ。
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http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/DawkinsRichard001.htm
つまり、生物進化の主体はわれわれ個体ではなく「遺伝子」だということだ。別の言葉でいえば、生物の行為やありかたは「遺伝子の自己複製」というレベルからのみ統一的に理解できる、ということである。だから、われわれ個体は、遺伝子が自己複製のために形成した派生的なものだとみなすことができる。これによって、今まで謎とされてきた数々の動物の行為が鮮やかに、しかも単純明快な図式によって理解できるようになった。例えば、生物の利他的な行動、どう見ても個体の生存にとっては不利であると思える行動(ミツバチやアリのワーカーなどの)が、この理論によって整合的に理解できるのである。(註1)ここで注意したいのは、利己的な遺伝子というときの利己性とは、個体のそれではなく、あくまでも遺伝子の利己性だということだ。かといって、遺伝子が「そう考えて」行動しているというより、これは遺伝子の自己複製がより大きな頻度をもって行われるような形質をもった個体が「結果として」生存し増殖するということであり、個体の側からいえば、個体の性質も行動資質も、遺伝子の再生産を効率化するような仕方で形成されるということだと解釈したほうがよさそうだ。(註2)遺伝子は種のためでも個のためでもなくそれ自身の増殖のためにのみ働くということであり、われわれは他の生物と同じくその「結果として」生まれたのだ、ということを本書は語っているのである。
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http://www.biowonderland.com/ScienceMystery/
ところが、こうしたダチョウの母親のボランティア的な行動も、群(む)れや集団を作っているほうが防衛(ぼうえい)しやすいことによるのです。事実、ダチョウのヒナは、大きな集団でいるほど生き残りやすいことが明らかにされています。
ドーキンスの考えによると、一見したところ、利他的(りたてき)な行動に見えるダチョウの母親の行動は、本当は非常に利己的な行動だということになります。しかも、こうしたダチョウの母親に利己的行動をさせているのがDNAだというのです。私たち人間がしているボランティアも、ひょっとしたら利己的遺伝子に支配されているのかもしれません。
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>もちろん、現在の社会福祉のあり方は本当の弱者を救済しようとする制度にはなっていない。
「自殺は自然淘汰」を容認して、ひと括りにして切り捨てようとしている人間が何を善人ぶっているのだ?
何か昔、生物トピなどで、上野公園で食物配給して演説していたという妄想キリスト教関係者と同じような感じになってきているのは考え過ぎかなあ・・・。
これは メッセージ 54433 (theme_from_papillon さん)への返信です.
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