石原慎太郎意識の原点
投稿者: battamother 投稿日時: 2004/09/24 05:16 投稿番号: [54307 / 118550]
どうやら石原議論も下火になったようだ。
彼の政治的手腕、人間性について、かくも意見が分かれ、そして物議をかもし続けたということは、いかに彼がそれだけの影響力を持っているかの何よりの証拠であろう。
政治家の資質として、影響力は非常に重要なポイントだ。影響力のない政治家、影の薄い政治家など、所詮影に過ぎない。
今、改めて都知事石原慎太郎の是非をここで問う気はない。
この世が絶対矛盾で有る限り、賛否両論・毀誉褒貶は当然の結果だからだ。
それをいずれかに結論づけようとすると対立が起こる。
人間のすることだ、当然失敗もあれば間違いもある。為政者・及び長たる者、それは何を為したかという結果も無論重要だが、何を為そうとしたかという、根本的意識のベクトルが元来重要である。
そこで、石原慎太郎の人生の実質的な出発点となった言葉であるアンドレ・ジイドの『地の糧』。
彼は、あえてこれを『危険な忠告』と言いながらも、この言葉ほど彼自身の相対的自我、つまり他人との違いを正当化してくれたものはなかったと語っている。
この言葉にこそ、彼の政治的姿勢の原点があると思う。
(心の旅の案内人がナタナエルに伝える)
『ナタナエルよ、君に情熱を教えよう。善悪を判断せずに愛すること。平和な日を送るよりは、悲痛な日を送ることだ。私は死の眠り以外の休息を願わない。私は心の中で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、満足して!――あるいは絶望しきって死にたいものだ』
(アンドレ・ジイド『地の糧』より)
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