>旧制高校寮歌 2
投稿者: moriya99 投稿日時: 2004/09/21 13:37 投稿番号: [53977 / 118550]
明治維新をやり抜いたものども。戦後の焼け野原の廃墟から立ち上がった人々。先陣を切って頑張った若者たち。官僚も民間人もこぞって出て行った。悪条件、差別などをものともせずに闘って行った。屈辱にも堪えた…。屈辱には優れた製品を生み出すことで答えた。
無私に近かったのだろな。まずは、日本丸を建て直さないと、個人の生活の向上などもない。子供たちは守れない。庶民は健気にガンバリ、エリートたちは世界に向けて、辛い旅先で奮闘していたんですね。敗戦国というハンデを負った屈辱のなかでも、心を腐らせずに…。
だが、気がつけば、官僚たちは、内に内に向かっていき、己の組織を美味しいものに変えていた。国家よりは、己の組織の美酒の方が大事になって行ってしまう。やはり、己の利益の方が国家の利益より先…。浅ましい。が、それも感じなくなってしまっている。国民は、勝手な自由を喚く方が先になっている。
どんな社会制度がいいか、もヘッタクレもない。民主主義も社会主義もヘッタクレもない…。
主義主張や理念などどうでもよろしいのかも。要は、指導層の横着を防ぎ易い体制、指導層の腐敗を遅らせることができる体制…。国民が勤勉に喜びを見いだせる体制…。それが命かも知れない。簡単に言えば自浄作用をもつ組織やシステムをつくりだしていけるような体制が優れている、と言い切ってもいいのかも知れない。それが基本にあっての自由主義であり、社会主義なのかも知れない。
西欧発祥の民主主義も、官僚機構も、どこか怪しい。
自分の都合で、人間と見做さない人間を創り出していく。植民地政策が陰にある。そこで得た富を基盤に仲間だけが人間だ。その仲間内だけでの、平等、民主主義、指導層の高潔…。ノーブレスオブリッジとかなんとか。恐ろしい二重スタンダードが隠れている。思い巡らせば、強盗集団の中で行なわれているような民主主義と平等…。それを支えるために構築された行政機構…。人間の犯罪が隠されている…。知能犯罪に甘いシステム、指導層の犯罪に甘い体質が隠されている。
植民を失う。刃はどこに向くか。仲間としてきた者のなかの、弱いものに向かって行く…。巧みに国民のなかに、踏みつけても抵抗しないものを巧みに作っていかなければならない。気付かせてはいけない。
社会主義は本当に破れたのか。あるいは違うかも知れない。社会主義の崩壊の元凶はまやかし行政機構かも知れない。植民地という人権を奪われた者を創り出すことによって成立している行政機構をそのまま、借りてきてしまった、うっかりとり入れてしまった。そこに本当の崩壊の病因があるのかも知れないですね。社会主義の理念のなかに、奴隷の存在も植民地もない。
これまで、日本丸が強かったのは、徳川の遺訓の故かもしれない。奴隷階層などなく成立していた平和国家…。その陰に支配層の腐敗を防ぐために、支配層に対して、腐敗を防ぐための、争いを避けるための厳しい掟が敷かれていますね。
支配層が腐敗しきっていない。指導層に健全な姿勢と精神が残っている。それが明治維新をやり遂げ、植民地化を防ぐ。戦後復興では、未曾有の復興を支えた土壌だったのかも知れない。
だが、今や、西洋からの借り物の制度が内包する毒が廻り始めたのではないか。本来、尊敬され、感謝されて良い仕事をしている筈の官僚に向けられる罵声…、政治家に向けられる蔑み…。
アメリカも同じかも知れない。なるほど、表面上は植民地など無くやっている。繁栄を謳歌している。未曾有の贅沢を享受している。だが、外に向かって、常に戦争を繰り返していないと維持できない体質…、市場という形に巧みに姿を変えた植民地を常に求めているようにも見えますね。
そこから脱していくために、人類が必要としているシステムは…。それが最大の課題として横たわっているかも知れませんね。
ロシアや中国も同じですね。社会主義に陪席する行政機構は、また、西欧発祥のものとは違った、社会体制にあった、腐敗を防ぎやすい行政制度などを創設していけるだけの力がないと、成功しないのじゃないか。恐ろしい偉業を同時になし遂げていかないと、成功の覚束ないものだったのでは…。それに対する自覚の無さ、怠惰。かくて、特権、自由の剥奪、怠惰…、武力…。人間の暗い面を、情ない部分を噴出させてしまっている。かくて、高邁な理想を内包している筈の社会主義は破れ去った。人々の怨嗟を呼ぶものになってしまっている…。だが、本質はいいのだわ。失業のない社会の何処がいけないの、老後の心配のない社会の何処がいけないの。生産したものをみなで、平等に分ける社会の何処がいけないのか、この問いにキチンと答えるのは容易なことじゃない。
何か、旧制高校の寮歌を見ていると、感慨があり
無私に近かったのだろな。まずは、日本丸を建て直さないと、個人の生活の向上などもない。子供たちは守れない。庶民は健気にガンバリ、エリートたちは世界に向けて、辛い旅先で奮闘していたんですね。敗戦国というハンデを負った屈辱のなかでも、心を腐らせずに…。
だが、気がつけば、官僚たちは、内に内に向かっていき、己の組織を美味しいものに変えていた。国家よりは、己の組織の美酒の方が大事になって行ってしまう。やはり、己の利益の方が国家の利益より先…。浅ましい。が、それも感じなくなってしまっている。国民は、勝手な自由を喚く方が先になっている。
どんな社会制度がいいか、もヘッタクレもない。民主主義も社会主義もヘッタクレもない…。
主義主張や理念などどうでもよろしいのかも。要は、指導層の横着を防ぎ易い体制、指導層の腐敗を遅らせることができる体制…。国民が勤勉に喜びを見いだせる体制…。それが命かも知れない。簡単に言えば自浄作用をもつ組織やシステムをつくりだしていけるような体制が優れている、と言い切ってもいいのかも知れない。それが基本にあっての自由主義であり、社会主義なのかも知れない。
西欧発祥の民主主義も、官僚機構も、どこか怪しい。
自分の都合で、人間と見做さない人間を創り出していく。植民地政策が陰にある。そこで得た富を基盤に仲間だけが人間だ。その仲間内だけでの、平等、民主主義、指導層の高潔…。ノーブレスオブリッジとかなんとか。恐ろしい二重スタンダードが隠れている。思い巡らせば、強盗集団の中で行なわれているような民主主義と平等…。それを支えるために構築された行政機構…。人間の犯罪が隠されている…。知能犯罪に甘いシステム、指導層の犯罪に甘い体質が隠されている。
植民を失う。刃はどこに向くか。仲間としてきた者のなかの、弱いものに向かって行く…。巧みに国民のなかに、踏みつけても抵抗しないものを巧みに作っていかなければならない。気付かせてはいけない。
社会主義は本当に破れたのか。あるいは違うかも知れない。社会主義の崩壊の元凶はまやかし行政機構かも知れない。植民地という人権を奪われた者を創り出すことによって成立している行政機構をそのまま、借りてきてしまった、うっかりとり入れてしまった。そこに本当の崩壊の病因があるのかも知れないですね。社会主義の理念のなかに、奴隷の存在も植民地もない。
これまで、日本丸が強かったのは、徳川の遺訓の故かもしれない。奴隷階層などなく成立していた平和国家…。その陰に支配層の腐敗を防ぐために、支配層に対して、腐敗を防ぐための、争いを避けるための厳しい掟が敷かれていますね。
支配層が腐敗しきっていない。指導層に健全な姿勢と精神が残っている。それが明治維新をやり遂げ、植民地化を防ぐ。戦後復興では、未曾有の復興を支えた土壌だったのかも知れない。
だが、今や、西洋からの借り物の制度が内包する毒が廻り始めたのではないか。本来、尊敬され、感謝されて良い仕事をしている筈の官僚に向けられる罵声…、政治家に向けられる蔑み…。
アメリカも同じかも知れない。なるほど、表面上は植民地など無くやっている。繁栄を謳歌している。未曾有の贅沢を享受している。だが、外に向かって、常に戦争を繰り返していないと維持できない体質…、市場という形に巧みに姿を変えた植民地を常に求めているようにも見えますね。
そこから脱していくために、人類が必要としているシステムは…。それが最大の課題として横たわっているかも知れませんね。
ロシアや中国も同じですね。社会主義に陪席する行政機構は、また、西欧発祥のものとは違った、社会体制にあった、腐敗を防ぎやすい行政制度などを創設していけるだけの力がないと、成功しないのじゃないか。恐ろしい偉業を同時になし遂げていかないと、成功の覚束ないものだったのでは…。それに対する自覚の無さ、怠惰。かくて、特権、自由の剥奪、怠惰…、武力…。人間の暗い面を、情ない部分を噴出させてしまっている。かくて、高邁な理想を内包している筈の社会主義は破れ去った。人々の怨嗟を呼ぶものになってしまっている…。だが、本質はいいのだわ。失業のない社会の何処がいけないの、老後の心配のない社会の何処がいけないの。生産したものをみなで、平等に分ける社会の何処がいけないのか、この問いにキチンと答えるのは容易なことじゃない。
何か、旧制高校の寮歌を見ていると、感慨があり
これは メッセージ 53976 (moriya99 さん)への返信です.
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