無から有が生じるのか ? ③ の訂正
投稿者: kamakura2ss 投稿日時: 2004/08/21 16:24 投稿番号: [51556 / 118550]
小生の投稿
メッセージ: 50154を次ぎのように書き改めます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Ex nihilo nihil fit[無からは何ものも生じない]というのは形而上学において非常に重要視せられた命題の1つである。しかし・・・無からはただ無が生ずる[成る]にすぎないから、即ちそこでは無はあくまでも無にとどまるものだから、そこには・・成[Werden=運動]はない。成は無が無にとどまらず、その他者に、即ち有に推移するという意味を含んで含んでいるのである。
後の形而上学、特にクリスト教形而上学はこの無からは何ものも生じないという命題を非難して、無から有への一種の推移を主張したのであった。その場合、この命題が極く大雑把に、或いは単に漠然とした想像の形でとられた点は別として、この極めて不完全な統一の中にも、有と無とが一致し、両者の区別が消失する或る急所はつかまれている。
[以上
ヘーゲル「大論理学」
成についての注釈より]
ヘーゲルは無から有への推移は没時間性の中で把握するとの見解と理解しているが、クリスト教形而上学に、このような形で賛同しているのはやや不自然かと思われる。客観的観念論者としてのヘーゲルの特徴だろうか ?
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/51556.html