宗教としての科学と戦争
投稿者: venture_2016 投稿日時: 2004/08/08 00:06 投稿番号: [49445 / 118550]
バッタママさんの案内にしたがって、珍しく無神論者のわっちが、「バチカン法王ヨハネ・パウロ二世の反戦活動を通してみたカソリック教とバチカン」の番組を見ましたが、結局、従来は宗教が人間の人生観、自然観,倫理観の形成に大きな役割を果たしたが、現在は科学が宗教に代わってその役割を果たしている感がますます強くなりやしたね。
常々、バチカンでも教会でも、寺院でも、なぜ、神をこれほどまでに豪華に贅を尽くして祭らなければならないのか?
神に仕える司祭、僧侶のもつ厳格な階層性は、そもそも神の精神に反しないのか?
なぜわけのわからねお経とやらを無知な民衆相手に唱えなければならないのか?
不思議でしょうがなかったし、今でも変わってないが、これは実は科学は宗教と対応つけるとよく理解できるわけで、人間の本性に根ざしたものと考えれば、納得がいくわけ。
超越的な存在としての神=宇宙の法則,
宗教の持つ教条=科学の持つ形式性,
民衆への布教活動と秩序の維持=法則性の検証、
ご利益の布教=科学の応用による社会の利益の還元、権威主義の教会や寺院=学会、枢機卿や僧侶=宇宙法則の解説者、そして宗教組織のもつ絶対的な階層性=自然がもつ階層的構造
てな気がするわけです。
法王がブッシュに会見して戦争の不当性を訴えた行為は、「宇宙法則の解説者が、科学を応用して一儲けたくらんでる大企業の社長」と面会したのと同じで、何の意味があるのかって思っちまいましたが。
近代科学教っていう宗教が現代社会に浸透しつつあるとき、イスラム原理主義は必死にそれと戦って、その米国をその総本山と勘違いして攻撃しているが、一番、正当な近代科学教との戦いは、敵に宗派に毒されずに近代兵器など使わずに、アラーに祈ることじゃねぇのかな?
これは メッセージ 49422 (battamother さん)への返信です.
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