>仏教談義
投稿者: venture_2016 投稿日時: 2004/07/24 12:09 投稿番号: [47416 / 118550]
>まあ、オバカ同志でこんな深夜に
いやに謙虚じゃねぇの。若者(って年じゃねえか、俺も)に負けるジジイの未熟さを悟ったのかな?
じゃ、わっちもこれでレス終わりにすんべぇかな。
>「人はなぜ死ぬのか?」これが釈尊の疑問だったんだよねえ?
前提が間違ってるべぇよ。「なぜ死ぬか?」ってか?じゃ、世の中にはなぜ男と女しかいないのか,なぜ人は飯を食うのか?
なぜ人は肉欲をもつのか?
なぜ人は眠るのか?。。。って際限なく考えりゃいいんじゃねぇの?
「人は生まれてきたからには、いずれ死ぬ」。この事実がスタートラインなの!
で、どう生きるかが問題になるわけだろ。
>つまりこの「生」(自分の肉体ということに代表される)に対する「欲望」を捨て去ることが、自分自身の死に対する恐怖心とか、苦痛から解放されることができるのではないか?と考えたんだよね?
じゃ、飯も食わず、水も飲まなきゃ、すぐ解放されるわけだ。簡単じゃねぇの。
違うだろぉよ。生きてりゃ、誰だって欲がある、欲が出る。問題は、際限のない欲なわけだんべ?「欲の価値を見極め、際限がある欲、足るを知った欲」は、決して否定されねぇの。だから、悟りを開いた年寄りは「もう、十分生かさせてもらった。いつお迎えが来てもいい」と淡々とした気持ちで死んで行けるようになるわけ(ってな悟ったことを言い)。
>欲望というものを捨て去るということが、釈迦の悟りを開くための教えとなるわけだよ。
これだがや。悟りはひとそれぞれって言ったのはどこのどいつだっけ?で、釈迦と同じ悟りを開くのに何も窮々とするこっちゃねぇよ。悟りなんか、家事をしながらでも、仕事をしながらでも、車に乗りながらでも、自分を見つめて、自分を生かしてもらってる誰かに感謝しりゃ、それが悟りを開いた状態になるわけよ。
生きてく真理(人は必ず死ぬ、人は誰かに支えてもらっている、際限なく欲望を追求しても意味がない...)を知ること、これが悟り(って悟ったことを言うけんどな)。
これは メッセージ 47400 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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