grokworkdollくんえ
投稿者: zionisatou2 投稿日時: 2004/06/27 17:08 投稿番号: [45380 / 118550]
>神話は公案に、祈りは問答に、儀式はただ座ることに置き換えられ、神も仏も契約も教えもスルー笑して宗教体験の精髄を、ある意味脳神経回路で起きる化学反応でしかない、といった境地にまでミニマル化し、仏教本来のニヒリズムを「今ここにあること」という究極の認識へと昇華した、精神の芸術なのです。
これも随分怪しい。しかししばらく見過ごすとしても、それは禅宗であって、中国中世の唐時代の末期に成立した、中国の精神世界である。中国オリジナルの精神世界であって、日本人はそれこそサルマネをしているだけ。
茶道は、前に述べたとおり日本オリジナルの文化ではない。
「わび」「さび」は、唯一日本のオリジナルといえない事はない。ユニークな精神文化といえる。
しかし、「わび」「さび」には公案も問答も打座もない。
○禅宗、○茶道、○「わび」「さび」の三つは、全く異なったもの。
これをごっちゃにして、都合のいい所だけを選んできていい加減な議論をしないように。
>おれはreligionの対極にismとしての禅を置き、柔らかく透明にゆらぎづけるわびさびがreligionとは異質の精神文化の土壌を形成していることを論じてるんだよ。
なーに、最後は駄洒落で終わるんじゃないの?(笑い)
これは メッセージ 45370 (grokworkdoll さん)への返信です.
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