zionisatou2くんえ
投稿者: grokworkdoll 投稿日時: 2004/06/27 14:04 投稿番号: [45370 / 118550]
おいおい。
話の腰を折るなってのに、わかんねー奴だな。
>
それに禅は「神も教えも儀式もない」「透明な倫理とまで到達した」と言ってるのだから、茶道や華道が禅文化だというのは、論理的に矛盾している。茶道や華道は、それこそ形式、儀式のようなものだから。
茶道は宗教儀式か?違うだろ。
茶道の様式、かたは、秘蹟の再現か?違うだろ。
かた、てのは「至ればあとは捨てるもの」なんだよ。厳格な「かた」のなかのゆらぎ、ぶれ、あそびがわびさびなんだよ。ミサの「儀式性」を蒸留抽出して、神不在の「かた」の宇宙を繰り広げた、その特異性が論の要点なのだよ。
おれはreligionの対極にismとしての禅を置き、柔らかく透明にゆらぎづけるわびさびがreligionとは異質の精神文化の土壌を形成していることを論じてるんだよ。
>
それに、その無知に驚くけど、茶道はその形式に当時流入したキリスト教のミサの影響の指摘されている。茶室だって韓国文化の影響だったっけ。それに何より、そもそも茶道自体が中国に存在する。決して日本のユニークな禅文化じゃない。
そもそも安土桃山時代の文化に、日本独自のユニークな文化があったと考える方が、歴史音痴としか言い様がない。
歴史無知。
おまえ、文脈を読め。
安土桃山がユニークだつってるんじゃないだろ笑。「わびさび」の精神文化と神話と戒律、秘蹟とタブーのreligiousな精神文化との対比を論じてるんだよ。おまえの「歴史」は、googleで検索すりゃでてくるんだろうが笑、おれはgoogleで検索すりゃ済む話で禅と原理主義とポストモダンを語るつもりはないのさ。
ニヒリズムについてはこの論全体に通底する主題だから、ポストモダンと原理主義と日本の絡みで追って論じていく。いっとくが「定義」じゃないし、宗論でもない。歴史音痴vs歴史馬鹿ってことで乞ご期待、てとこだな。
>
日本の坊主には、墓がある。
ニヒリストが、自分の墓?
な、ユニークだろ?笑
これは メッセージ 45359 (zionisatou2 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/45370.html