対イラク武力行使

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kumeruoukokuさんへ その1

投稿者: grokworkdoll 投稿日時: 2004/06/26 02:26 投稿番号: [45200 / 118550]
わかりました。
このトピに関係しなくもない、といえなくもない点に絞って、ちょっとだけ腰を入れて書いてみます。かなり遠回りしていくかもしれませんが、まー真摯に。

ニーチェは、仏教は宗教religionではなく、ismだ、と述べました。哲学的な視点からみれば、まったくその通りだと思います。特に日本で発達した禅は、ismとしての仏教を究極にまで押し進めたものといえます。神話は公案に、祈りは問答に、儀式はただ座ることに置き換えられ、神も仏も契約も教えもスルー笑して宗教体験の精髄を、ある意味脳神経回路で起きる化学反応でしかない、といった境地にまでミニマル化し、仏教本来のニヒリズムを「今ここにあること」という究極の認識へと昇華した、精神の芸術なのです。なのです、てお前誰やねん、というツッコミはさておき、禅の思想は、宗教体験、宗教感情、そして宗教の構造そのものを解体し、人間存在の問いを究極のミニマリズムのさなかに止揚する体系、道である、とここではいってみます。こうして神も教えも儀式もない、神なき宇宙の透明な倫理とまで到達した禅の思想は、その透明度ゆえに日常の生活様式に浸透し、わび、さびとして日本文化の形成に大きな影響を及ぼしました。もともと日本人の感性にフィットしていたともいえるし、日本人の感性によって展開されたオリジナルな精神文化ともいえますが、ともかくも、日本の文化において悟りとはすぐ傍にさりげなく、あたりまえにあるもの、という、独特の聖と俗の近さ、間を発展させてきたのです。

さて、ではこの究極の精神文化の対局にあるものは、なんでしょうか。僕が考えるに、一神教、厳密には汎神論というべき思想です。超越神はすべてを超えたすべてであり、神以外はなにものも存在しないという、これまた究極の認識といえますが、こちらはその精神の営みの主体は神であって、人間というちっぽけな存在ではないのですね。禅が神を解体し、自我を解体し、認識主体さえも解体して究極の「無」へと向かうのに対し、ユダヤ/キリスト/イスラム教は究極の一者という「有」へと向かうのです。そこでは神は言葉であり、精神は契約と戒律によって育まれ、はじまりとおわりによって区切られた宇宙の、有限でありまたそれゆえに記述され得る「存在」と、その創造者にして超越者である神、無限、真理という記述も理解も認識も不可能な「不在としての一者」の関係性、コントラストによって宇宙が生成されます。これが僕の考える、禅のismの対局としての神のreligionです。

(つづく)
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