ナンチャッテさん
投稿者: kumeruoukoku 投稿日時: 2004/06/12 16:18 投稿番号: [43054 / 118550]
はじめまして。
>言葉にこだわりすぎていませんか
議論する以上、或程度、言葉にこだわるのはやむをえないのでは?
言語(ロゴス)とコミュニケーションの限界は聖書の(バベルの塔)に象徴されてますよね、
しかし、特にこのような顔の見えない掲示板でやりとりする以上、(ことば)にたよらざるをえない。
たとえば禅宗のさとりなどは言語を拒否した世界なのですが、やたら解説書はでまわっている、(さとり)などは或程度、言語によって普遍化されないとただの自己満足にしかならないでしょう?
以前、トルコ人と話をしていたとき、(言葉の魂)がある、ということをかたっていました、たぶんコーランの言葉のことなのですが、日本にも言霊思想というものはありますよね
ですから私は言葉の限界も感じつつ言葉を重要なものと考えております
>弱者も人権も、文化や習慣が変われば、解釈も様々ですよ
私が人権を語るときは、欧米の概念としてとらえてますし、批判的な立場もとっております
>「現実を否定する人は、結果的に自己を否定をしている事になる」
私は、この様に考えるのが本来ではないかと思います、一度再考して見てください。
これがよくわからないのですが、(リベラル派)が政府やアメリカを批判するのがどうして現実否定につながるのでしょうか?
批判と否定はちがいますよ
現実否定はそれこそコミュニケーション
のとざされた妄想の世界に閉じこもること解釈しますけど
これは メッセージ 43026 (nanntyattesamurai さん)への返信です.
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