植民地にも、徴兵がありました
投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/06/10 22:02 投稿番号: [42770 / 118550]
志願兵もいた・・・と言われてるが、事実上の強制も多かった。
★日本の為政者も朝鮮人を皇軍に編入する事には慎重だったが、
【日中戦争がはじまり、兵員の確保のためにも朝鮮人の軍への編入は時間の問題だった。】
それゆえ、前述の朝鮮民族化と民族性の抹殺を急ぎ(どら・・・朝鮮語使用禁止・日の丸掲揚・宮城遥拝・神社参拝や皇国臣民の誓いの徹底)、
【天皇に忠誠を誓う存在へと変質】させようとしたのである。
そして、まず、1937年、【志願兵制度を導入し、】
日本支配に好意的な中流以上の【思想堅固】な者から軍への編入を始めようとした。
しかし、【中流以上の階層からの志願者はほとんど無く、各道・郡の割り当ては結局、小作人からの強制的な兵員確保とならざるを得なかった。】
この志願兵制度に続き、
【1941年から軍属について、国民徴用例に基づく徴用】が行われた。
戦後、厚生省第二復員局が集計した数字によると、
【1941年以来の軍属動員数は、陸軍7万人、海軍8万5000人、合計15万5000にんに達したとあるが、実数はされに多いと見られる。】
この中には、陸軍の俘虜監視要員3323名や、慶尚北道一帯からの沖縄軍夫3700名が含まれている。
そもそも軍属とは、軍人以外で、本人の意思により職業として陸海軍に勤務するものを言い、文官・傭人の三階級がある。
傭人は、【軍夫】や【工員】とも呼ばれた。
本来。軍人ではないので、戦闘の危険に巻き込まれるはずは無いはずだが、現実には、
【危険な部門で、使い捨ての労働力として、朝鮮人・台湾人などがあてられた。】
丸腰のまま
戦闘に巻き込まれ、負傷や死亡するものも多かった。
【俘虜監視員として戦争犯罪を強要され、戦後、BC級戦犯として処刑される場合も多い。】
・・・
次に1943年末ごろ、
【朝鮮人学徒に動員がかかり、44年1月20日入営したのは、適格者2830名中2043名に達した。】
当初は学徒兵に志願するものも少なかったが、小磯朝鮮総督が、一人の例外も無く志願せよと声明を発表し、
【志願せざれば非国民】とのキャンペーンが展開され、志願しなかった者には全員を炭鉱に強制連行するなどの様々な圧力をかけて、志願させた結果であった。
そして、最後に【朝鮮人に対する徴兵制の実施となる。】
朝鮮総督府は各面に青年特別錬成所を設立し、強制的に徴兵予定年齢者を集め、日本語、軍事訓練、皇民精神教育の訓練をした。
第一回徴兵は、1944年4月1日から受験をはじめ、
【合計13万人を第一期生として採用】した。
このとき同じく在満朝鮮人に対して、1万3000人が徴兵検査の対象となった。
第2回徴兵は1945年1月から実施された。
【志願兵・学徒兵徴兵を通して兵営内での差別も深刻で、】
入営後逃亡するものが相次いだが、大半は日本軍の一端を担わされ敗戦へと至ったのである。
(朝鮮植民地支配と、戦後補償)
★日本の為政者も朝鮮人を皇軍に編入する事には慎重だったが、
【日中戦争がはじまり、兵員の確保のためにも朝鮮人の軍への編入は時間の問題だった。】
それゆえ、前述の朝鮮民族化と民族性の抹殺を急ぎ(どら・・・朝鮮語使用禁止・日の丸掲揚・宮城遥拝・神社参拝や皇国臣民の誓いの徹底)、
【天皇に忠誠を誓う存在へと変質】させようとしたのである。
そして、まず、1937年、【志願兵制度を導入し、】
日本支配に好意的な中流以上の【思想堅固】な者から軍への編入を始めようとした。
しかし、【中流以上の階層からの志願者はほとんど無く、各道・郡の割り当ては結局、小作人からの強制的な兵員確保とならざるを得なかった。】
この志願兵制度に続き、
【1941年から軍属について、国民徴用例に基づく徴用】が行われた。
戦後、厚生省第二復員局が集計した数字によると、
【1941年以来の軍属動員数は、陸軍7万人、海軍8万5000人、合計15万5000にんに達したとあるが、実数はされに多いと見られる。】
この中には、陸軍の俘虜監視要員3323名や、慶尚北道一帯からの沖縄軍夫3700名が含まれている。
そもそも軍属とは、軍人以外で、本人の意思により職業として陸海軍に勤務するものを言い、文官・傭人の三階級がある。
傭人は、【軍夫】や【工員】とも呼ばれた。
本来。軍人ではないので、戦闘の危険に巻き込まれるはずは無いはずだが、現実には、
【危険な部門で、使い捨ての労働力として、朝鮮人・台湾人などがあてられた。】
丸腰のまま
戦闘に巻き込まれ、負傷や死亡するものも多かった。
【俘虜監視員として戦争犯罪を強要され、戦後、BC級戦犯として処刑される場合も多い。】
・・・
次に1943年末ごろ、
【朝鮮人学徒に動員がかかり、44年1月20日入営したのは、適格者2830名中2043名に達した。】
当初は学徒兵に志願するものも少なかったが、小磯朝鮮総督が、一人の例外も無く志願せよと声明を発表し、
【志願せざれば非国民】とのキャンペーンが展開され、志願しなかった者には全員を炭鉱に強制連行するなどの様々な圧力をかけて、志願させた結果であった。
そして、最後に【朝鮮人に対する徴兵制の実施となる。】
朝鮮総督府は各面に青年特別錬成所を設立し、強制的に徴兵予定年齢者を集め、日本語、軍事訓練、皇民精神教育の訓練をした。
第一回徴兵は、1944年4月1日から受験をはじめ、
【合計13万人を第一期生として採用】した。
このとき同じく在満朝鮮人に対して、1万3000人が徴兵検査の対象となった。
第2回徴兵は1945年1月から実施された。
【志願兵・学徒兵徴兵を通して兵営内での差別も深刻で、】
入営後逃亡するものが相次いだが、大半は日本軍の一端を担わされ敗戦へと至ったのである。
(朝鮮植民地支配と、戦後補償)
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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