abelardさんへ・・1
投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/06/08 22:53 投稿番号: [42510 / 118550]
なんだかお初です。
>>過酷な拷問
>「四肢を切断された後何日も反日を叫び続けた」というコリアン側のとある「伝説」と「病死」と言う日本側の「資料」どちらが「科学的」だと思いますか。
???
拷問なんて、山ほどあったので、これ一つでどうか、と言うのも、無意味ですね。
>3.1独立運動?で「虐殺」された人って何人いるの?
ふふふ、人数論議ですか?
日本側の主張と、朝鮮側では、20倍の開きがありますね。
当然ですね。
>私学
>学制が変わる時には仕方の無い事。
旧制高校も無くなったでしょ。
変わるんじゃなくて、【潰された】のよ。
>土地も取り上げ
>それまでのコリアンのやり方がいい加減だったので厳密な土地行政を導入しようとしたら二重3重に地主がいる土地がかなりあった。
言い分が通らなかった側が「土地を取り上げられた」と感じただけ。
別段「取りあげた土地」を日本人の物にした訳ではない。
日本人が取り上げてますけど。↓
★ところで、朝鮮人の日本への流入は、戦時中の強制連行ばかりではなかった。いうまでもなく、日本の植民地政策と極めて強い関係がある。
すなわち、日本が行った初期の植民地政策に1910(明治43)年から1918(大正8)年まで行われた「土地調査事業」があった。
それは、日本が朝鮮経済の植民地化のために行なった土地所有権確定などの事業、つまり、土地所有権を明確にするため朝鮮人の所有している土地を申告させるものであった。
だが当時、【字の読めない人も多く、また近代的土地所有の観念がなかった朝鮮農民は、あまり申告しなかった。】
【申告しなかったことを口実に、日本の地主は無申告の朝鮮人の土地を取り上げたのである(土地の収奪)。】
この「土地調査事業」を通して、朝鮮における【最大の地主】となったのが、1908(明治41)年に設立され、
【天皇や皇族が株主となっていた東洋拓殖(たくしょく)株式会社(東拓)】であった。
同社は、日本が植民地経営の拓殖事業を目的として東洋拓殖株式会社法(東拓法)によって朝鮮に設置された国策会社で、当初は日本人農民を朝鮮に移民させることを主要な目的としていたが、
朝鮮人から土地を収奪した後は、朝鮮人小作農に貸し付ける【朝鮮最大の地主経営がその活動を中心となった。】
土地調査事業が開始された後の創立5年後にはその耕地所有面積は約6万4,465ヘクタール(約6万5,000町歩)にも達し、朝鮮植民地経済のなかで大きな位置を占め続けた(もとより敗戦により解体された)。
さらに1920年代には、日本人の食糧として朝鮮米を増殖させ、日本に輸入する「産米増殖計画」が行われたが、それは、朝鮮農民を飢えさせることになった。
(どら・・・小作料が高くなったりして、朝鮮人は米消費量を減らした)
こうして土地、食糧を奪われた朝鮮人は、日本や中国・東北地方(旧「満州」)へ流出する運命とならざるを得なかったのである。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/%7Etamura/taisou70-kaitou.htm
>>過酷な拷問
>「四肢を切断された後何日も反日を叫び続けた」というコリアン側のとある「伝説」と「病死」と言う日本側の「資料」どちらが「科学的」だと思いますか。
???
拷問なんて、山ほどあったので、これ一つでどうか、と言うのも、無意味ですね。
>3.1独立運動?で「虐殺」された人って何人いるの?
ふふふ、人数論議ですか?
日本側の主張と、朝鮮側では、20倍の開きがありますね。
当然ですね。
>私学
>学制が変わる時には仕方の無い事。
旧制高校も無くなったでしょ。
変わるんじゃなくて、【潰された】のよ。
>土地も取り上げ
>それまでのコリアンのやり方がいい加減だったので厳密な土地行政を導入しようとしたら二重3重に地主がいる土地がかなりあった。
言い分が通らなかった側が「土地を取り上げられた」と感じただけ。
別段「取りあげた土地」を日本人の物にした訳ではない。
日本人が取り上げてますけど。↓
★ところで、朝鮮人の日本への流入は、戦時中の強制連行ばかりではなかった。いうまでもなく、日本の植民地政策と極めて強い関係がある。
すなわち、日本が行った初期の植民地政策に1910(明治43)年から1918(大正8)年まで行われた「土地調査事業」があった。
それは、日本が朝鮮経済の植民地化のために行なった土地所有権確定などの事業、つまり、土地所有権を明確にするため朝鮮人の所有している土地を申告させるものであった。
だが当時、【字の読めない人も多く、また近代的土地所有の観念がなかった朝鮮農民は、あまり申告しなかった。】
【申告しなかったことを口実に、日本の地主は無申告の朝鮮人の土地を取り上げたのである(土地の収奪)。】
この「土地調査事業」を通して、朝鮮における【最大の地主】となったのが、1908(明治41)年に設立され、
【天皇や皇族が株主となっていた東洋拓殖(たくしょく)株式会社(東拓)】であった。
同社は、日本が植民地経営の拓殖事業を目的として東洋拓殖株式会社法(東拓法)によって朝鮮に設置された国策会社で、当初は日本人農民を朝鮮に移民させることを主要な目的としていたが、
朝鮮人から土地を収奪した後は、朝鮮人小作農に貸し付ける【朝鮮最大の地主経営がその活動を中心となった。】
土地調査事業が開始された後の創立5年後にはその耕地所有面積は約6万4,465ヘクタール(約6万5,000町歩)にも達し、朝鮮植民地経済のなかで大きな位置を占め続けた(もとより敗戦により解体された)。
さらに1920年代には、日本人の食糧として朝鮮米を増殖させ、日本に輸入する「産米増殖計画」が行われたが、それは、朝鮮農民を飢えさせることになった。
(どら・・・小作料が高くなったりして、朝鮮人は米消費量を減らした)
こうして土地、食糧を奪われた朝鮮人は、日本や中国・東北地方(旧「満州」)へ流出する運命とならざるを得なかったのである。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/%7Etamura/taisou70-kaitou.htm
これは メッセージ 42329 (abelard さん)への返信です.
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