対イラク武力行使

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>>無能小泉

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/05/23 20:59 投稿番号: [40795 / 118550]
こんばんわ、ベンチャーさん、
一寸引っかかったので、朝の投稿のこの部分ですが   ↓



>理解できませんなぁ。北朝鮮は理想郷だと、ほざいてた政治家、政党が今もって生息してますからねぇ。ゴキブリのごとく。



この【政治家・政党】の事ですが・・・。

民社党とか、共産党のことを言ってるのですか?


いわゆる【帰還事業】なら、【全政党】が推進し【自民党鳩山内閣当時】、新聞【産経】までもが、【楽園】と報じていたそうです。



そして、その後も【金丸】だったか、自民党大物議員も訪朝していたんじゃないですか?


日本は、ほとんどずっと自民党政権でしたから、【野党】ばかりの責任ではないと思います。


どんな政党も【確証】がつかめなかったから、動けなかったんじゃないでしょうか。


当時の日本人は、彼らを厄介払いしてしまった・・・。




★1959年から始まった「帰還事業」によって、約10年間に10万人近い在日朝
鮮人が、片道切符の帰還船に乗って北朝鮮に渡りました。彼らが、自分たち
の故郷でもない(ほとんどすべての在日の出身地は韓国の領域内)北に渡っ
たのは、厳しい差別のために日本での生活に何の希望も持てなかったからで
す。


  日本にいても就職もできない、家も借りられない、健康保険にも年金にも
入れない。


だからこそ「楽園天国」と宣伝された北朝鮮の幻影にすがり、差
別のない土地で社会主義祖国の建設に参加しようと海を渡ったのです。


  それが幻影に過ぎなかったことは、船を降りた瞬間に明らかになったので
すが、そのときにはもう日本に帰る道は絶たれていたわけです。


  当時の日本人は、政府からマスコミまで、右も左も寄ってたかって、人道
の名のもとに「帰国者」の送り出しに協力しました。

誰一人として、差別を
なくしてこの国で共に生きていこうと手を差し伸べる者はいませんでした。
例えば、当時の新聞はこんな記事を載せています。



【1959年12月24日   産経新聞】

|   暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け
| 入れ【清津で坂本記者】


|   『出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、
| 国旗を持って港一帯から沿道は歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マ
| ンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はすぐ前の休憩
| 所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六
| 〇あり、あとは清潔なベンチが並んでいた。


|   熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、…こういうことのできる
| 母国の経済力に帰国者は驚き、安心したに違いない。


|   …大アパート、六畳くらいの部屋には、タンス、家具はもちろん小型ラジ
| オまで至れりつくせりだ。…料理でも日本から帰った人にいきなり辛すぎる
| ものは刺激が強すぎるだろうと甘くしてあったり…。』




【1959年12月26日   朝日新聞】

|   〝働く力〟を組織/平壌、見事な復興


|   写真:平壌に入った第一次帰還者のバスを迎え市民の群


|   『北朝鮮の社会主義建設はめざましい。旅行者がちょっと平壌を見ただけ
| でも驚かされる。古い平壌は跡かたもなくなって新しい平壌が生まれた。…
| 道路の両側には近代的なビルが並び、それはことごとく労働者の住宅である』
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