>>>相当な範囲・・moriya99さん
投稿者: moriya99 投稿日時: 2004/05/17 23:11 投稿番号: [40181 / 118550]
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「可哀想」とか「お世話したい」といった単純な動機で安易にこの分野に手を出すと
簡単に行き詰まる。
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この認識の普及が大事ですね。
私は何より継続が大事だと思う。継続して支援できるか、が一番、問われる問題だと思う。そのあたりが災害などの救援とは違うところだと思います。
例えば、お金一つにしても、高額でなくても、継続して支援する覚悟と余裕が必要じゃないでしょうか。
例えば、学校などの支援だとすれば、建てた後の運営の方が大変だと思う。子供たちが巣立つ、社会にでて独立できる足掛かりができるところまで、見届けるなどの覚悟がいると思う。多分、一人しか面倒を見られない金額でも、継続する方が大事なんでしょうね。教師などの再生産の問題も放置できないでしょう。だが、現実は「建てる」と言う寄付は集まり易いですけど、教育を続けていく、ということに対しては関心はずっと落ちてしまうのではないでしょうか。援助するということに対しても、教育や学問が必要になってくるんですね。
医療なども、緊急に疾患を抱えている人たちの手当てが最優先にしても、手当てをしたら去って行く、というのでは駄目でしょうね。
疾病を防ぐ生活環境改善や社会基盤も進めていかないと、解決しない。そうしたものは、可哀相では見えない部分ですが、重要ですし、労力を投入したいところでしょう。ある程度、組織的にやる必要もありますね。疾病との闘いは予防が一番、大事です。外部からの援助が要りますし、時間もかかる仕事になります。
アフリカなどのODAの病院などの建設にちょっと関わると、感じることなんですけど、食糧事情、栄養が十分にとれたら解決するな、という疾病をみる部門が大きい。結核とか耳鼻科などですね。結核は予防が大事ですし、栄養状態がよければ防ぎやすい。耳鼻科などもそうらしいですね。
だが、現状はそうした患者が溢れている…。ああ、医療だけに手を貸しても意味が薄いな、と感じる瞬間です。まあ、実際はその病院すら治療活動もできないまま、朽ち果てるのを見ると…、ですね。その前の段階をキチンと固める、いや、役割分担で対応していかないと、効果ができないのですね。僻地などや、社会整備が整っていない場所だと、医療スタッフもですけど、医薬品の運搬そのものが大変な仕事になりそうです。人手も費用もかかるのではないでしょうか。そうした手伝いの方が欲しいですね。一度、運んでくれたけど、それだけでは意味がないのは誰でも分かりますね。
災害復興のように、道などが復旧するまで手渡しリレーに参加する、というのとは、ちがうんですね。
あと、患者が病院に辿り着けるかの問題もありますね。いくつもの事業が同時進行していないと、行き詰まってしまう、というのは分かりますね。だがら、本当はボランティアが必要なんでしょう。それだけではなく、疾病に苦しんでいる人たちは、生活にも困窮しているケースが多いでしょうから、福祉も重要になってくる。本当に組織的に根気よく助けないと元の木阿彌どころか混乱も持ち込んだだけになってしまいそうです。
(実際キリスト教系の欧米NGOが撤退したこともあります、
それでもやるなら、その人間の人生を丸抱えする気概が援助する側にないと駄目ですね)
ですね。援助というより一緒に生きる、というレベルの仕事なんでしょうね。
理解の浅いボランティア志望者が多い反面、そうした活動を続けている人たちも多く世界には散らばっている。そうした人たちの活動を助ける…、僅かな金額でも、継続して金銭負担をするなどの方が本当の援助参加なのかも知れないですね。
後進地帯の援助は、何もかもが整備してない条件のなかでの活動ですから、やはり覚悟のいる仕事なんですね。
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(僕の女房は外科系なんですが、ほとんど全部の分野をこなさなくてはならないので
常に衛星携帯電話と無線を持っていて
都市部総合病院の専門医や軍の医療部隊との連絡を常に取ってますね)
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アセアンさん自身が医療関係の技術者かなと思いましたけど、奥さまがそっちなんですね。行政に明るい人と医療技術のある人の組み合わせだと、現地の人には心強いですね。
「可哀想」とか「お世話したい」といった単純な動機で安易にこの分野に手を出すと
簡単に行き詰まる。
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この認識の普及が大事ですね。
私は何より継続が大事だと思う。継続して支援できるか、が一番、問われる問題だと思う。そのあたりが災害などの救援とは違うところだと思います。
例えば、お金一つにしても、高額でなくても、継続して支援する覚悟と余裕が必要じゃないでしょうか。
例えば、学校などの支援だとすれば、建てた後の運営の方が大変だと思う。子供たちが巣立つ、社会にでて独立できる足掛かりができるところまで、見届けるなどの覚悟がいると思う。多分、一人しか面倒を見られない金額でも、継続する方が大事なんでしょうね。教師などの再生産の問題も放置できないでしょう。だが、現実は「建てる」と言う寄付は集まり易いですけど、教育を続けていく、ということに対しては関心はずっと落ちてしまうのではないでしょうか。援助するということに対しても、教育や学問が必要になってくるんですね。
医療なども、緊急に疾患を抱えている人たちの手当てが最優先にしても、手当てをしたら去って行く、というのでは駄目でしょうね。
疾病を防ぐ生活環境改善や社会基盤も進めていかないと、解決しない。そうしたものは、可哀相では見えない部分ですが、重要ですし、労力を投入したいところでしょう。ある程度、組織的にやる必要もありますね。疾病との闘いは予防が一番、大事です。外部からの援助が要りますし、時間もかかる仕事になります。
アフリカなどのODAの病院などの建設にちょっと関わると、感じることなんですけど、食糧事情、栄養が十分にとれたら解決するな、という疾病をみる部門が大きい。結核とか耳鼻科などですね。結核は予防が大事ですし、栄養状態がよければ防ぎやすい。耳鼻科などもそうらしいですね。
だが、現状はそうした患者が溢れている…。ああ、医療だけに手を貸しても意味が薄いな、と感じる瞬間です。まあ、実際はその病院すら治療活動もできないまま、朽ち果てるのを見ると…、ですね。その前の段階をキチンと固める、いや、役割分担で対応していかないと、効果ができないのですね。僻地などや、社会整備が整っていない場所だと、医療スタッフもですけど、医薬品の運搬そのものが大変な仕事になりそうです。人手も費用もかかるのではないでしょうか。そうした手伝いの方が欲しいですね。一度、運んでくれたけど、それだけでは意味がないのは誰でも分かりますね。
災害復興のように、道などが復旧するまで手渡しリレーに参加する、というのとは、ちがうんですね。
あと、患者が病院に辿り着けるかの問題もありますね。いくつもの事業が同時進行していないと、行き詰まってしまう、というのは分かりますね。だがら、本当はボランティアが必要なんでしょう。それだけではなく、疾病に苦しんでいる人たちは、生活にも困窮しているケースが多いでしょうから、福祉も重要になってくる。本当に組織的に根気よく助けないと元の木阿彌どころか混乱も持ち込んだだけになってしまいそうです。
(実際キリスト教系の欧米NGOが撤退したこともあります、
それでもやるなら、その人間の人生を丸抱えする気概が援助する側にないと駄目ですね)
ですね。援助というより一緒に生きる、というレベルの仕事なんでしょうね。
理解の浅いボランティア志望者が多い反面、そうした活動を続けている人たちも多く世界には散らばっている。そうした人たちの活動を助ける…、僅かな金額でも、継続して金銭負担をするなどの方が本当の援助参加なのかも知れないですね。
後進地帯の援助は、何もかもが整備してない条件のなかでの活動ですから、やはり覚悟のいる仕事なんですね。
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(僕の女房は外科系なんですが、ほとんど全部の分野をこなさなくてはならないので
常に衛星携帯電話と無線を持っていて
都市部総合病院の専門医や軍の医療部隊との連絡を常に取ってますね)
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アセアンさん自身が医療関係の技術者かなと思いましたけど、奥さまがそっちなんですね。行政に明るい人と医療技術のある人の組み合わせだと、現地の人には心強いですね。
これは メッセージ 40124 (asean_peace11 さん)への返信です.
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