対イラク武力行使

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漏れる人間や集団を、排除する?

投稿者: master_kage 投稿日時: 2004/05/16 16:15 投稿番号: [40045 / 118550]
今日はあまり時間が無いので、これだけかも(~_~;)

>   テロリストの行動も、N個のシステムに影響を与える、小さな不確定な変化に過ぎないが、全体システムが歩調を合わせる妨げになっているってこと。
>   この錯乱要因を除くことが、全体システムが歩調を合わせる一番の近道なわけ。

>あめぇは、いま生きてる一人の人間の感情、人格しか考えねぇ単細胞。
>   進んで、後世の人の医療に役立てばって、実験台になる人間なんて考えもつかねぇだろうよ。

>   モデル化ってのは、現象が再現でき、予測できればいいの。   絶対的に正しいモデル化をしたなんて思ってないわけ。   そのモデルを用いると重大な破綻が生じないかぎり、それでいいわけ。わかる?


この上の君の発言を読んで、自分で吐き気を催さないかい?

ある種のプロトタイプを想定して、そこから漏れる人間や集団を、排除する、と書いているんだよね?
そしてその漏れた人間が、除かれるときの動機を、医療の実験台になるような、自己犠牲に求めるわけだよねえ?



このことは、発想としては、先日の柏村代議士の「反日本的因子」「危険分子」発言と全く同じ発想を生みかねない危険性を含んでいることに気がつかない?

人間が生きているということに個人の主張を否定する考え方だよね?


それもこれも世界平和のため・・・で今のイラクのように、簡単に体制に対してもしくは強大な国の方針に反発する一般人が殺戮されることをも、許容する考え方に移行していく可能性を十二分に含んでいるんじゃない?


昔でいえば、キリスト教的世界観では、一般信者は、「小羊」にたとえられて、牧者(神)によって、簡単に従順に誘導されることが「善」だとされた、つまり創造主としての神の絶対性に異論を唱えることの出来ない不自由さの中での日常が存在したわけだけれど、この、小羊である団体の中の自分という視点から、「個人」と言う自覚を取り戻した、人間性の解放運動が展開された時期が、ルネッサンス以降のヨーロッパ社会の大きなムーブメントになったんじゃないの?

これによって、せっかく取り戻した「個人」と言うものを、何らかの得体のしれない強者によって、統計学的に造られた型枠にはめ込まれて、そこから飛びだす人間を排除しようというような発想からの人間性無視の国家との社会契約は、私はしたくはないし、必要も感じませんよ。


何処かで書いていたが、マクロ的に、組織とそれの型枠を作ることなど否定していないが、造っても、ミクロ的な部分で、「従わないものは排除する」と言う個人の尊厳を決定的に無視するような発想は、私には絶対に受け入れられないと考えているということ。


戦前よりよくなったというが、私はそうは思わないし、いわゆる大正デモクラシーの時代は、私は知らないが、いまよりもずっと民主的だったという記述も多く見ることが出きる。・・・必ずしも君の感じている通りではないよ。

また、この同調の維持(もしくは継続性)ということをどう考えるか?という問題も残っているよねえ?映画やテレビを見ているわけじゃないんだから、永遠に平和が継続するということは考えられないだろう?
・・ここにまたそのための無理というか、摩擦が起こりはしないだろうか?つまりこういう類のしわ寄せは、常に「弱者」にしわ寄せとして跳ね返ってくるということにならないだろうか?
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