地球より重い
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/04/10 16:01 投稿番号: [36210 / 118550]
>あくまで、日本国政府外務省の『退避勧告』を無視して現地入りしたボランティアです。
違います。一人はボランティア活動家で、二人は、ジャーナリストです。
以前「朝生」で、話されたことで、
「自衛隊そのものは、政府のメンツを掛けて、徹底的に防御された環境で活動するだろうが、その周辺のジャーナリストが一番危ない」と言う発言があり、私も過去にそういうことをここに書いたことがある。つまり日本政府は、多くの危険性の可能性は、派兵前から充分に指摘され、認識されていたにも関わらず、なんの具体的対処もされなかったのです。
今回の3人のうちの二人は、零細ジャーナリストであることを考えると、その危険性も含めて、日本国政府としては、充分に認識できたか、出来なければならない立場にあった訳だ。
ちょっと伺いたいが、イラクで今現在活動しておられるジャーナリストは、全員政府の許可をもらってイラク入りしている人達なのだろうか?
ジャーナリストは、自分の責任で、現地入りしている人がほとんどであろうから、たとえ戦闘に巻き込まれて殺されたとしても、それを政府に対して、その行動をコントロールしなかったという責任を追及する人はいないだろう。
これは以前のベトナムでも、今回のイラクの地でも、多くの日本人や他国のジャーナリストも、銃弾に倒れているので、その覚悟はあるのだろうし、それは当然のことだと思う。
しかし、では、そういうジャーナリストが、銃撃戦に巻き込まれるという理由ではなくて、拘束されて、人質にとられているときに、何もしないで、見殺しにするということが、「国民の安全を守る」という名目で存在するはずの国家の責任として、果たして道義上許されることであろうか?
つまりこれは、戦闘によって銃撃戦で倒れた戦士に対しては、その死を惜しみその勇猛さをたたえはするが、しかし戦闘での死はその職務として当然推測できうる範囲であるので、致し方ないという解釈もできるが、ここに、映像として、処刑直前の兵士が存在して、「要求をのまなければ殺す」と言う状態の時の捕虜としての兵士は、実際上の職務規程以前の問題として、生身の人間であり、「日本国民の一人」と言う解釈が入って当然であろうし、またそうすべきである。過去、アメリカ軍の捕虜を、救出することが美談だとされたのは、どうしてだろうか?
誰であれ、「日本国国民」として、他国民からの人権の侵害に対しては、日本国政府は、それら侵害されている人達を最優先に守る義務が存在するはずだ。国家主義的な立場に立つ人達は、「公共の福祉に反する」に類似するような詭弁を駆使するが、しかし、実際の人間の「死」を前にして、それを目の当たり視したときの感情を誰がどれほど冷静にコントロールできるでしょう?
>民主文明国が『生死の有無に関わらず強行』した救出作戦を知りません・・・
救出作戦そのものが、始めからリスクのあるものですから、それが近年、いくら確率が低くなったとしても、拘束されているいわば捕虜の生死が大きなリスクを背負っていることにかわりがありません。「よど号ハイジャック事件」が、日本では結局支持されてきたという日本人の非暴力、人道主義の精神そのものを、私は支持します。
問題は、「日本国政府として、私達一人ひとりの国民を守ってくれるのか否か?」
これは自衛隊とかの問題以前に、「国家の存在する最大の存在意義」ですよ。
発する側の理屈より受け取る側の感情であり、「理念」である。
※小泉政権は、この根本意義を、現実に人質の死を目の前にして、事件発覚からたったの1時間半後に、その日本国民を見殺しにすることを平然と言ってのけ、かつて、「地球よりも重い」と同じ職業の政治家に言わしめた「日本国民の人命」を軽々と放棄しようとしているのですよ。・・・このことの意味をもう少し考えてみるべきだと思います。
違います。一人はボランティア活動家で、二人は、ジャーナリストです。
以前「朝生」で、話されたことで、
「自衛隊そのものは、政府のメンツを掛けて、徹底的に防御された環境で活動するだろうが、その周辺のジャーナリストが一番危ない」と言う発言があり、私も過去にそういうことをここに書いたことがある。つまり日本政府は、多くの危険性の可能性は、派兵前から充分に指摘され、認識されていたにも関わらず、なんの具体的対処もされなかったのです。
今回の3人のうちの二人は、零細ジャーナリストであることを考えると、その危険性も含めて、日本国政府としては、充分に認識できたか、出来なければならない立場にあった訳だ。
ちょっと伺いたいが、イラクで今現在活動しておられるジャーナリストは、全員政府の許可をもらってイラク入りしている人達なのだろうか?
ジャーナリストは、自分の責任で、現地入りしている人がほとんどであろうから、たとえ戦闘に巻き込まれて殺されたとしても、それを政府に対して、その行動をコントロールしなかったという責任を追及する人はいないだろう。
これは以前のベトナムでも、今回のイラクの地でも、多くの日本人や他国のジャーナリストも、銃弾に倒れているので、その覚悟はあるのだろうし、それは当然のことだと思う。
しかし、では、そういうジャーナリストが、銃撃戦に巻き込まれるという理由ではなくて、拘束されて、人質にとられているときに、何もしないで、見殺しにするということが、「国民の安全を守る」という名目で存在するはずの国家の責任として、果たして道義上許されることであろうか?
つまりこれは、戦闘によって銃撃戦で倒れた戦士に対しては、その死を惜しみその勇猛さをたたえはするが、しかし戦闘での死はその職務として当然推測できうる範囲であるので、致し方ないという解釈もできるが、ここに、映像として、処刑直前の兵士が存在して、「要求をのまなければ殺す」と言う状態の時の捕虜としての兵士は、実際上の職務規程以前の問題として、生身の人間であり、「日本国民の一人」と言う解釈が入って当然であろうし、またそうすべきである。過去、アメリカ軍の捕虜を、救出することが美談だとされたのは、どうしてだろうか?
誰であれ、「日本国国民」として、他国民からの人権の侵害に対しては、日本国政府は、それら侵害されている人達を最優先に守る義務が存在するはずだ。国家主義的な立場に立つ人達は、「公共の福祉に反する」に類似するような詭弁を駆使するが、しかし、実際の人間の「死」を前にして、それを目の当たり視したときの感情を誰がどれほど冷静にコントロールできるでしょう?
>民主文明国が『生死の有無に関わらず強行』した救出作戦を知りません・・・
救出作戦そのものが、始めからリスクのあるものですから、それが近年、いくら確率が低くなったとしても、拘束されているいわば捕虜の生死が大きなリスクを背負っていることにかわりがありません。「よど号ハイジャック事件」が、日本では結局支持されてきたという日本人の非暴力、人道主義の精神そのものを、私は支持します。
問題は、「日本国政府として、私達一人ひとりの国民を守ってくれるのか否か?」
これは自衛隊とかの問題以前に、「国家の存在する最大の存在意義」ですよ。
発する側の理屈より受け取る側の感情であり、「理念」である。
※小泉政権は、この根本意義を、現実に人質の死を目の前にして、事件発覚からたったの1時間半後に、その日本国民を見殺しにすることを平然と言ってのけ、かつて、「地球よりも重い」と同じ職業の政治家に言わしめた「日本国民の人命」を軽々と放棄しようとしているのですよ。・・・このことの意味をもう少し考えてみるべきだと思います。
これは メッセージ 36179 (lighter101rethgil さん)への返信です.
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