海を越えて
投稿者: masajuly2001 投稿日時: 2004/03/22 17:43 投稿番号: [34589 / 118550]
今日は久し振りに仕事場でボケーとした時間を過ごせた。そして昨日サイクリングした海辺やけっこう冷たい風というのにノースリーブで自転車に乗っていた若い子を思い出した。
人間には身近に感じているモノがある。このモノには、人はもちろんのこと、風景や食べ物などいろいろなものが含まれる。どこかの土地で暮らさなければならない以上、それは当たり前のことだ。無意識のうちにいろいろなものが身に付いている。俺にとっては、それが日本のいろいろなモノだ。しかし、そうした身近なものがある日、突然姿を消したらどうだろう。毎日のように言葉を交わしていた人と突然言葉を交わせなくなったら。どうやってその埋め合わせをするのだろうか。
9・11で遺族になった人とは、そういう人たちだ。そしてアフガンで、またイラクで空爆を受けた人とは、そういう人たちだ。アフガンでは、タリバンがオサマ・ビン・ラディンを匿っているという理由で空爆を受けた。イラクでは、大量破壊兵器がある、あるいはフセインが独裁者であるという理由で空爆を受けた。空爆を受けた者にとって、こうした理由が、身近なモノを失う理由に成りうるのだろうか。このような理由で自身を納得させられるのだろうか。身近なものを失った彼らは、どうやって自分を埋め合わせられるのだろうか。
親米でも反米でもどっちでもいい。もし、こうしたことを踏まえて、ブッシュのこれまでの理屈を肯定するのなら、あらゆる殺人は肯定されなければならないだろう。危険であると判断するのは、大統領であろうが何だろうが、あくまで個人である。誰にも判断する権利がある。ブッシュの「安全」は決して俺の「安全」ではない。俺にとっては、ブッシュやその取り巻きこそが危険極まりない人間だ。しかし、彼らを殺すためには、関係のない者まで巻き添えにすることを当然のように思うだろうか。空爆をすれば関係のない人たちが巻き添えになることは明らかなのだ。ブッシュやその取り巻きの異常さはここにある。そして、それはテロリストと同じ異常さだ。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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