「真理」と「確からしさ」
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/03/19 15:31 投稿番号: [34394 / 118550]
>劣化ウラン弾教の出家信者伊藤和子弁護士の電波よりも
>WHOを信じるね・・・(msg34306)
科学的な取り組み方というものは「全ての対象物に対して疑う」と言うことだと教えられました。そして、それによって導き出された結論に対しても、あくまで「疑う」という姿勢が大切なのだそうです。つまり、科学には、「真理」と言うものがありません。あるのは、「確からしさ」と言う言葉に代表される、蓋然性の問題だということも教わりました。ギリシア時代から追求されている「真理」と言う言葉は、決して終わることはあり得ません。それは、「もっとも確からしい」と言う意味で常に疑いの目で検証されて、新しい「より確からしさ」が出現してくるに過ぎません。
ついでにいうと、「真理」は、宗教の中では存在します。
たとえ現代科学で絶対に間違えているという結論が出たとしても、しかし、それと全く同じものをある宗教では、「真理」としているとします。つまり科学的には間違えているのだけれども、それを信仰する人がいる限りにおいて、少なくともその人達個人個人の中では、「真理」が存在する、と言うことになると思います。そういう意味でしか、「真理」は存在しません。
つまり、「信じる」と言う言葉がでたときに、少なくともその事例においては、その言葉を発した人は、多かれ少なかれ、「思考停止状態」に陥っていると考えても差し支えないと思います。
昨日のサッカーで、サポーターという人達が、試合前に揃っていっていた言葉が、「絶対勝つ!日本が勝つと信じてる!!」・・・・論理もへったくれもありません。しかし、サッカーで応援をするということに、論理性はありませんから、彼らを非難できません。
問題なのは、自分が論理的に考えていると思っているのに、いつの間にか自分が何かにすがっている、捕らわれていることに気づかされたときです。
何かの方向に自分の意志とは無関係に誘導されているということを自覚したときです。そして、自分が「信じて」いたことが覆されたときです。
自分が根本的なところで、思考停止になっていることに気がつかないまま、多くの人達を自分の布教によって引き込んで、結果的に迷惑をかけたときです。
「確信犯」には罪はありません。・・・軽べつはされるでしょうが・・。
>もっと、世の中疑うべきだね。(msg34315)
貴方にはこの類の言葉が多いです。それだけ論理的に考えようとしていることの証拠でしょう。しかし、結果として、追いつめられると、「信じる」と言う言葉が出てきました。つまり貴方は、自分で考えているのではなくて、ある一の信じる(もしくは信じたい)対象の意図している方向に沿って、それを自分の考えたこととして、その勘違いの元に、取捨選択しているにすぎなかったのですよ。・・・この自覚は大切だと思いますよ。
まあ、私がいっても説得力はないでしょうが・・。
>WHOを信じるね・・・(msg34306)
科学的な取り組み方というものは「全ての対象物に対して疑う」と言うことだと教えられました。そして、それによって導き出された結論に対しても、あくまで「疑う」という姿勢が大切なのだそうです。つまり、科学には、「真理」と言うものがありません。あるのは、「確からしさ」と言う言葉に代表される、蓋然性の問題だということも教わりました。ギリシア時代から追求されている「真理」と言う言葉は、決して終わることはあり得ません。それは、「もっとも確からしい」と言う意味で常に疑いの目で検証されて、新しい「より確からしさ」が出現してくるに過ぎません。
ついでにいうと、「真理」は、宗教の中では存在します。
たとえ現代科学で絶対に間違えているという結論が出たとしても、しかし、それと全く同じものをある宗教では、「真理」としているとします。つまり科学的には間違えているのだけれども、それを信仰する人がいる限りにおいて、少なくともその人達個人個人の中では、「真理」が存在する、と言うことになると思います。そういう意味でしか、「真理」は存在しません。
つまり、「信じる」と言う言葉がでたときに、少なくともその事例においては、その言葉を発した人は、多かれ少なかれ、「思考停止状態」に陥っていると考えても差し支えないと思います。
昨日のサッカーで、サポーターという人達が、試合前に揃っていっていた言葉が、「絶対勝つ!日本が勝つと信じてる!!」・・・・論理もへったくれもありません。しかし、サッカーで応援をするということに、論理性はありませんから、彼らを非難できません。
問題なのは、自分が論理的に考えていると思っているのに、いつの間にか自分が何かにすがっている、捕らわれていることに気づかされたときです。
何かの方向に自分の意志とは無関係に誘導されているということを自覚したときです。そして、自分が「信じて」いたことが覆されたときです。
自分が根本的なところで、思考停止になっていることに気がつかないまま、多くの人達を自分の布教によって引き込んで、結果的に迷惑をかけたときです。
「確信犯」には罪はありません。・・・軽べつはされるでしょうが・・。
>もっと、世の中疑うべきだね。(msg34315)
貴方にはこの類の言葉が多いです。それだけ論理的に考えようとしていることの証拠でしょう。しかし、結果として、追いつめられると、「信じる」と言う言葉が出てきました。つまり貴方は、自分で考えているのではなくて、ある一の信じる(もしくは信じたい)対象の意図している方向に沿って、それを自分の考えたこととして、その勘違いの元に、取捨選択しているにすぎなかったのですよ。・・・この自覚は大切だと思いますよ。
まあ、私がいっても説得力はないでしょうが・・。
これは メッセージ 34377 (lighter101rethgil さん)への返信です.
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