「様」の正当化
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/03/18 03:05 投稿番号: [34257 / 118550]
ここ数日、このことも考えていたのですが、なかなかまとまりませんが、おばかな意見を一つ・・・。
>なんで天皇の孫だからって生まれた時から「愛子さま」の「さま」付きなの。
私の家族内や、友人関係の会話の中では、ほとんど、「天ちゃん」であり、「雅子さん」であり、「愛子」であり、「美智子さん」であり「浩宮」です。
論理的整合性と言われると大げさなのですが、「様」を使う人は、大きく分けて、4種類に分けられると思うのです。つまり、
(1) ウチのように天皇家を、普通の家庭として考えるところ。
(2) 「様」を付けることで、何らかの権威を持たせようと考えている勢力
(3) マスコミのように、そういう考えを持った人達に媚びるか、利用されているか、している勢力。
(4) 何にも考えないで、マスコミが使っていることをそのまま形式的に使っているという人達。
つまり、(2)(3)の人達の利害関係が、「様」を印象づけているだけで、誰もそれを強要もされていないし、ある意味勝手に使っているだけの状態じゃないでしょうか?この利害のために、人種差別を容認しているマスコミにも驚きますが、今のところは、「勝手に」自主的に使っているに過ぎないという状態じゃないでしょうか?・・・これが、国旗国歌法のように成文化されて、強要される日も近いかも知れないことを考えると、恐ろしさを否定できませんが、今のところ批判したりバカにしたりは出来ますが、法に訴えることは出来ないのでしょうね?
しかし、3歳の子供に対して「様」付けをする異常さに対しても、論理的整合性はありませんが、良く考えると、敬語や尊敬語に対するそれも無意味ではないでしょうか?
つまり、「目上の人」とは何か?「年長に対しては敬う(長幼の序)とは何か?」「部所役職の上司に対しての言葉遣いに対する敬語の存在」とは何か?これらは、私自身は、日本の文化の良いところのような気がしますが、良く考えて、これらには合理的な必然性はないし、理屈では説明できないですよね?その証拠に、欧米では、この線引きは極めていい加減で、多少統率の命令形体の上での上下関係に対しての尊敬(?)の言葉がありますが、ほかはほとんど無いというのが実情じゃないでしょうか?
つまりここがあるということ、ここを認めるということが、個人個人の人間関係の利害と関係するのか、それとも単なる封建制の名残として、名目的に存在しているのか、文化として、未知なるものに対する尊厳を保つ手段として保全されているのか、いずれにしろ、「正当化」も出来ないし、「論理的整合性」もないかもしれないけれども、私自身も含めて、多くの人が少なくとも否定したいとは思わないで、後世に保存したいと考えているということは確かだと思います。
私自身は、例えば、年長者に対する自分より多くの時間を生きたということに含まれる自分には計りがたい「他」としての未知の世界観の存在に対しては、単純に敬意を表したいと思います。これを考えると、別に年長者に対してではなくて、「自分以外の未知なるもの」に対する尊敬の念を言葉として表すという謙虚さは、一つの捨てがたい素晴らしい文化であると感じています。
つまり、「敬語」「尊敬語」を使う対象に対しての必然性も解らないけれども、しかし使われているという事実は容認したいわけであるから、3歳の子供に対しても、私自身は使う必要性はないと思うけれども、そういうふうに使いたい人を、「正当性がない」と言って、否定してしまう理由にもならないという意味で、消極的に正当化されているということになるのではないでしょうか?
内容がないよう・・・とか言わないように・・・(~_~;)
>なんで天皇の孫だからって生まれた時から「愛子さま」の「さま」付きなの。
私の家族内や、友人関係の会話の中では、ほとんど、「天ちゃん」であり、「雅子さん」であり、「愛子」であり、「美智子さん」であり「浩宮」です。
論理的整合性と言われると大げさなのですが、「様」を使う人は、大きく分けて、4種類に分けられると思うのです。つまり、
(1) ウチのように天皇家を、普通の家庭として考えるところ。
(2) 「様」を付けることで、何らかの権威を持たせようと考えている勢力
(3) マスコミのように、そういう考えを持った人達に媚びるか、利用されているか、している勢力。
(4) 何にも考えないで、マスコミが使っていることをそのまま形式的に使っているという人達。
つまり、(2)(3)の人達の利害関係が、「様」を印象づけているだけで、誰もそれを強要もされていないし、ある意味勝手に使っているだけの状態じゃないでしょうか?この利害のために、人種差別を容認しているマスコミにも驚きますが、今のところは、「勝手に」自主的に使っているに過ぎないという状態じゃないでしょうか?・・・これが、国旗国歌法のように成文化されて、強要される日も近いかも知れないことを考えると、恐ろしさを否定できませんが、今のところ批判したりバカにしたりは出来ますが、法に訴えることは出来ないのでしょうね?
しかし、3歳の子供に対して「様」付けをする異常さに対しても、論理的整合性はありませんが、良く考えると、敬語や尊敬語に対するそれも無意味ではないでしょうか?
つまり、「目上の人」とは何か?「年長に対しては敬う(長幼の序)とは何か?」「部所役職の上司に対しての言葉遣いに対する敬語の存在」とは何か?これらは、私自身は、日本の文化の良いところのような気がしますが、良く考えて、これらには合理的な必然性はないし、理屈では説明できないですよね?その証拠に、欧米では、この線引きは極めていい加減で、多少統率の命令形体の上での上下関係に対しての尊敬(?)の言葉がありますが、ほかはほとんど無いというのが実情じゃないでしょうか?
つまりここがあるということ、ここを認めるということが、個人個人の人間関係の利害と関係するのか、それとも単なる封建制の名残として、名目的に存在しているのか、文化として、未知なるものに対する尊厳を保つ手段として保全されているのか、いずれにしろ、「正当化」も出来ないし、「論理的整合性」もないかもしれないけれども、私自身も含めて、多くの人が少なくとも否定したいとは思わないで、後世に保存したいと考えているということは確かだと思います。
私自身は、例えば、年長者に対する自分より多くの時間を生きたということに含まれる自分には計りがたい「他」としての未知の世界観の存在に対しては、単純に敬意を表したいと思います。これを考えると、別に年長者に対してではなくて、「自分以外の未知なるもの」に対する尊敬の念を言葉として表すという謙虚さは、一つの捨てがたい素晴らしい文化であると感じています。
つまり、「敬語」「尊敬語」を使う対象に対しての必然性も解らないけれども、しかし使われているという事実は容認したいわけであるから、3歳の子供に対しても、私自身は使う必要性はないと思うけれども、そういうふうに使いたい人を、「正当性がない」と言って、否定してしまう理由にもならないという意味で、消極的に正当化されているということになるのではないでしょうか?
内容がないよう・・・とか言わないように・・・(~_~;)
これは メッセージ 33923 (messiah2101 さん)への返信です.
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