>> >支配言語に寛容を求めること
投稿者: namahamu3mai 投稿日時: 2004/02/08 22:18 投稿番号: [31858 / 118550]
私の場合そう大層な物ではないんです。
私の体験として、国境を越えたとたん、英語が全然通用しなくなったこともあり、アラビア語も、買い物ぐらいは出来ていましたが、結局、英語が一番使えたわけです。
しかし、英語の文法、文化に関係なく、単語をつづるだけでも、使えたのです。
究極的には、何も通じないよりは、何か共通のものがあって通じれば、非常に助かります。増してや、未知の土地の一人旅であれば。
また、彼らも、きちっと彼らの言語(文化)を持っていますので、まとも?な英語を話せるわけもなく、お互いたどたどしく気持ちを伝え合ったものです。
一億余の人口を抱えている日本が、よほどの馬鹿に(今でも十分に馬鹿ですが)この国を任せても、まだ日本語は生き残ると、私は確信します。
ハンチントンの言うとおり、日本は世界を代表する一つの文化でもありますしね。
だから、英語を単なる道具として使う分には、利用できます。
ついでに、英語文化に意地悪をしてみたい。
2千万人を超えるクルド人、トルコ政府は一時クルド語使用を禁止しましたが、今ではクルド語授業も再開されれいるようです。
数の問題だけではないでしょうが、トルコ政府はクルド語を抑え切れなかったようです。
また朝鮮民族も、台湾も母語を守り抜いたわけですよね。
英語ごときに臆するよりも、便利に利用したほうが得ではないかと・・・。
これは メッセージ 31820 (syoumenkyousi さん)への返信です.
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