イラク復興支援の行き違い
投稿者: moriya99 投稿日時: 2004/02/08 10:26 投稿番号: [31816 / 118550]
>>
そして、生きていくには他人と対話あるいは交信しなければならない。
>>
まあ、言語について語り合っている流れの中ですから、その通りなんですけど、実際の人間の生活には、他者との交流が必要だし、社会を形成しないと生きていけない。どんなに一人で生きていけるといっても、最低、一組の男女が組まないと未来がないのが、人間の身の上ですね。一組の男女というのが、社会の最低の単位でしょうか。
他者との交流に必要なのは言語が主軸であるのは、いうまでもないですが、それに劣らず、いや、それ以上に必要なのは、スキンシップじゃないかな。
最近のニュースを見ていると、イラク復興支援も物凄い行き違いがありますね。受ける側と提供する側の間に…。
サマワの声を聞いていると、要求されていることは、ほどんど、施政者に望むような事柄に見える。ボランティアに要求するようなものを越えた途方もないものを日本に求めている…。
多分、この根底には、社会とか国家というものに対する概念の相違がありそうで、非常に危ないですね。
イラク攻撃が始まる前後にも書いたが、シルバーさんの話しなどを聞いていると、アラブの国家観というものは、日本人の想像を越えたものがありそうだ、と書いたが、それが表面化している。アラブは国家という形態に関して、根本から概念が違うのじゃないかな。日本人のように地域と国家が密接に連動しているという概念じゃなさそう。国境の意味すら違いそうだ。どうも地域を囲っての国家という概念がないでしょうね。たぶん、その奥には、施政者に対する要求の違いもありそうだ。
目下の要求は、サマワにやってきて、この地域を豊にする施政を行って、帰って行って欲しい。全面的に面倒を見て欲しい。ほどんど、オンブ抱っこの要求だ。どうも、外国の支援者に対する要求じゃないですね。日本人の感覚としては…。
復興するには、やることが非常に多い。基礎が壊れたままでは立ち上がれない。緊急時で手が廻らない。放置すれば、生命に関わる問題が多く、とても現地の人間では間に合わない。その一部を担う、助ける、手を貸す。あくまで、支援、手助けなのだが、どうも受け手は違う。自分たちが立ち上がる主役じゃない、とすら見える。日本人が戦後復興で立ち上がった時と精神構造からして違いそうなんですね。
資金を投入し、全面的に面倒を見て欲しい。だが、口は出すな、ということになって仕舞いかねない、スレスレの事態だ。実際に、テレビで言っていた人いる。技術など、復旧に必要なものはある。自分たちでやる。それに必要な物資と資金をくれ。運んで来て欲しい、という意味のことを言っていましたね。どうも、非常時の人的貢献という感覚から相当、ズレている。
溺れている人を助けに行ったがいいが、巻きつかれて危ない。ともかく、一時でも、溺れている者を突き放さないと共倒れだ。だが、それをやったら、恨みを買うでしょう。そんな危うい問題が生じている。助けたら、一生、面倒を見る覚悟が必要なのか、という事態だ。
日本人の価値観で、支援といえば、皆、無条件に賛成だ。だが、人を助けるのは難しい。助ける力が果たしてあるのか、から始まる。助けるつもりで、返って相手を窮地に落ち込ませたり、何かを破壊したりしかねない。希望を砕いたり、侮辱したりの結果しかない場合もあるんですね。
まだまだ、日本はアラブを知らない。いや、国際社会もどれだけ分かっているか疑問だ。おそらく西欧が一番、分かっていない。理解が可能になっていくには、長い時間をかけてのスキンシップが必要かも知れない。あらゆる分野での、多チャンネルでの交流を重ねないと、とても理解ができない深い底流がありそう。
支援、国際貢献といえば、誰も反対しない。美しく単純だ。だが、問題はそれだけではないですね。即断が非常に危ない無知が横たわっている。最近のイラク関係のニュースには、あれれ、という思いが噴出すことが多いですね。
そして、アラブというのは、根っからのマーチャント、商人ということを忘れていたな、という思い…。
そして、生きていくには他人と対話あるいは交信しなければならない。
>>
まあ、言語について語り合っている流れの中ですから、その通りなんですけど、実際の人間の生活には、他者との交流が必要だし、社会を形成しないと生きていけない。どんなに一人で生きていけるといっても、最低、一組の男女が組まないと未来がないのが、人間の身の上ですね。一組の男女というのが、社会の最低の単位でしょうか。
他者との交流に必要なのは言語が主軸であるのは、いうまでもないですが、それに劣らず、いや、それ以上に必要なのは、スキンシップじゃないかな。
最近のニュースを見ていると、イラク復興支援も物凄い行き違いがありますね。受ける側と提供する側の間に…。
サマワの声を聞いていると、要求されていることは、ほどんど、施政者に望むような事柄に見える。ボランティアに要求するようなものを越えた途方もないものを日本に求めている…。
多分、この根底には、社会とか国家というものに対する概念の相違がありそうで、非常に危ないですね。
イラク攻撃が始まる前後にも書いたが、シルバーさんの話しなどを聞いていると、アラブの国家観というものは、日本人の想像を越えたものがありそうだ、と書いたが、それが表面化している。アラブは国家という形態に関して、根本から概念が違うのじゃないかな。日本人のように地域と国家が密接に連動しているという概念じゃなさそう。国境の意味すら違いそうだ。どうも地域を囲っての国家という概念がないでしょうね。たぶん、その奥には、施政者に対する要求の違いもありそうだ。
目下の要求は、サマワにやってきて、この地域を豊にする施政を行って、帰って行って欲しい。全面的に面倒を見て欲しい。ほどんど、オンブ抱っこの要求だ。どうも、外国の支援者に対する要求じゃないですね。日本人の感覚としては…。
復興するには、やることが非常に多い。基礎が壊れたままでは立ち上がれない。緊急時で手が廻らない。放置すれば、生命に関わる問題が多く、とても現地の人間では間に合わない。その一部を担う、助ける、手を貸す。あくまで、支援、手助けなのだが、どうも受け手は違う。自分たちが立ち上がる主役じゃない、とすら見える。日本人が戦後復興で立ち上がった時と精神構造からして違いそうなんですね。
資金を投入し、全面的に面倒を見て欲しい。だが、口は出すな、ということになって仕舞いかねない、スレスレの事態だ。実際に、テレビで言っていた人いる。技術など、復旧に必要なものはある。自分たちでやる。それに必要な物資と資金をくれ。運んで来て欲しい、という意味のことを言っていましたね。どうも、非常時の人的貢献という感覚から相当、ズレている。
溺れている人を助けに行ったがいいが、巻きつかれて危ない。ともかく、一時でも、溺れている者を突き放さないと共倒れだ。だが、それをやったら、恨みを買うでしょう。そんな危うい問題が生じている。助けたら、一生、面倒を見る覚悟が必要なのか、という事態だ。
日本人の価値観で、支援といえば、皆、無条件に賛成だ。だが、人を助けるのは難しい。助ける力が果たしてあるのか、から始まる。助けるつもりで、返って相手を窮地に落ち込ませたり、何かを破壊したりしかねない。希望を砕いたり、侮辱したりの結果しかない場合もあるんですね。
まだまだ、日本はアラブを知らない。いや、国際社会もどれだけ分かっているか疑問だ。おそらく西欧が一番、分かっていない。理解が可能になっていくには、長い時間をかけてのスキンシップが必要かも知れない。あらゆる分野での、多チャンネルでの交流を重ねないと、とても理解ができない深い底流がありそう。
支援、国際貢献といえば、誰も反対しない。美しく単純だ。だが、問題はそれだけではないですね。即断が非常に危ない無知が横たわっている。最近のイラク関係のニュースには、あれれ、という思いが噴出すことが多いですね。
そして、アラブというのは、根っからのマーチャント、商人ということを忘れていたな、という思い…。
これは メッセージ 31802 (masajuly2001 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/31816.html