悲しすぎる関連・・・(2)
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2004/01/28 11:01 投稿番号: [31132 / 118550]
>正しいと思ったら、困難があっても断固として通すということがない。それに提灯をつけて、学校の現場でああでもない、どうでもない。
片腹痛い。
それを押し通そうとする人々を、貴方は「井の中の蛙」と切っているにも関わらず、誰に対して書いているのですか?余りにももっともらしくて、騙されるところだった。
>基本は親ですよ。教育は親しかできない。学校の力を借りるのも、友人、身内、知識社会の力を借りるのも、親の才覚でコントロールできないとね。
こんな事はわかりきっているんですよ。
しかし、能力として、親では及ばないところを公教育で賄おうと言う発想から学校制度というものが出来たのだと思いますが、この「多様化」を認める社会状況の中での、画一化の問題が出てきて、結局、その答えを、家庭とか、親というところに求めるに過ぎないとしたら、タダ単に問題を振り出しに戻しただけで、なんの解決にもならないということも、また自明のことなのではないでしょうか?
>武器を取らない、と自分を卑下するのとは違うでしょう。教師って、何か、家庭に問題のある人の集団なんですかね。一次的集団に不満のある人間は、何かというと偏り、過激になりますけどね。何か、そんな人が多い集団に見えますね。」
>>人心をまとめるのは、形式的な、権力者からの押し付けではなくて、各個人個人の内なるところから出てくる相互に共存していることの認識であり、実感である。このリアリティが無いところに、本当の意味でのナショナリズムは育たない>>・・・私
ここを認める人が、どうしてそれがすぐに飛躍して、一方的な現場の教師の責任になってしまうのか?と言う論拠も示さずに、彼らを非難するところに持っていくのは、やはり短絡的であり、おかしな論理ですよ。
繰り替えし書きましたが、貴方が、繰り替えし書かれているので、重複は仕方がなかったのです。
御容赦下さい。
まだまだあるのですが、今日はこの辺で・・・。
これは メッセージ 31131 (assaraamaaleicomnjp さん)への返信です.
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