>私の勝手な思い込み
投稿者: moriya99 投稿日時: 2004/01/15 14:32 投稿番号: [30211 / 118550]
>>
問題は、搾取している側の政府が、ではなくて、虐げられている側の、その家庭内の一人ひとりが、外部の干渉による金政権からの解放を求めているのかどうか?ということだと思います。
>>
枝葉のことになるかも知れませんが、意外に落とし穴になりやすい問題を含んでいるので少し…。
上記の指摘の場合ですが、人権を奪われるとは、どんなことか、を深く考えてみる必要があると思う。
一人ひとりが助けて欲しい、と言える、意思表示ができるようなら、まだ、僅かにしても人権が、人間の尊厳が残っているんですね。
人権を抑圧される、人間の尊厳を犯される恐ろしさは、「人間は人権を奪われる、人間の尊厳を失うと自分の運命を切り開く力すら失ってしまう」という現実があることなんですね。
家庭内の虐待にしても、虐待を受けたと思っている人に、何故助けを呼ばなかったのか、という質問は多いようです。
で、彼らは答えます。どうして言えるのか。「私は人間として扱われていません」とどうしていえるか。この一言は、最後の砦として何とか守り耐えている被害者の最後のギリギリのプライドを突き崩す。それに助けを呼んでも、事態を認識して、実効のある形で、助け出す力のある個人は滅多にいない。社会全体が認識し、社会全体で救出してくれなければ脱出できない、闇のなかにいると…。
人間の尊厳を犯される水域まで追い詰められている場合、本人の意思はどこまで確認の必要があるのか。確認できるのか。
これは、気を失っている病人や怪我人に、治療して欲しいですか、と問うに近い場合もありそうですね。
国家と個人の尊厳の問題は国境を越えないと解決できない問題という認識はすでにあるんですね。
例えば、赤十字。国家とか政治に関係なく病人、怪我人、治療の必要のある人がある限り、赴く。差し伸べる手を必要としている人がいれば赴く。政治も国境も越えて…。
国連の難民高等弁務官などもある。現に国連では、北朝鮮に食糧援助を呼びかけている。
北朝鮮への反感から、誰が援助などするか、横暴な権力者を助けるだけだ、という声に耐えて呼びかけているんですね。
(私は賛成です。それに僅かでも醵金する機会があれば出します。例え、出したお金の9割りが途中で無くなっても1割りでも届かないよりいいし、また、途中で奪われても、奪った物も消費される訳です。援助の物を奪うことで、それが無ければ飢えている人から更に奪うかも知れない。それが防げるだけでも意味があると思うからです。
こう考えてくると、日本の政治家がやったと言われていることは、非常に罪深いと思う。援助という名目で米を日本国内で買う。それが現地にはいかないまま、賄賂に化け、国際市場で売られてしまっている。北朝鮮に米が言っていないのですね。せめて、北朝鮮に現物が行っていれば、途中で消えたといっても、廻り廻って、最下層の人を潤すということあるのですが…。現実は行っていない。書類の上だけで動き、抜き取っているんですね。罪が深いです)。
ともかく、今、目の前に食糧を必要としている人がいる。命の危機に瀕している。体制や国際政治の駆け引きとは切り離して助けなければ、という思想がある訳です。
人間の尊厳に関して、大勢の人が憂い、努力してきた足跡がありますね。赤十字がそうだし、最近では、国境のない医師団などの活動もありますし、NGOも盛んになっている。
だが、極限状態になると、こうした国際機関もなかなか立ち入れない事態が起こってしまう。
国連で何と決議しようが、実効がない状態に陥ってしまっている。一方、救助を待っている方は一刻を争っているというのに…。武力をバックに持たない機関の限界が見えてしまう。
この問題をどうしらいいのか、何処に広い道に出られる糸口があるのか、という問題を抱えていると思う。
だが、一方で本人の意思が確認できないまま救出となると、新たな闘いも出てきますね。これを口実に攻め込む輩ですね。
イラクの民主化のために…。武力行使や内政干渉の道具にされない。防ぐ叡知も同時に必要になる難しさがありますね。
問題は、搾取している側の政府が、ではなくて、虐げられている側の、その家庭内の一人ひとりが、外部の干渉による金政権からの解放を求めているのかどうか?ということだと思います。
>>
枝葉のことになるかも知れませんが、意外に落とし穴になりやすい問題を含んでいるので少し…。
上記の指摘の場合ですが、人権を奪われるとは、どんなことか、を深く考えてみる必要があると思う。
一人ひとりが助けて欲しい、と言える、意思表示ができるようなら、まだ、僅かにしても人権が、人間の尊厳が残っているんですね。
人権を抑圧される、人間の尊厳を犯される恐ろしさは、「人間は人権を奪われる、人間の尊厳を失うと自分の運命を切り開く力すら失ってしまう」という現実があることなんですね。
家庭内の虐待にしても、虐待を受けたと思っている人に、何故助けを呼ばなかったのか、という質問は多いようです。
で、彼らは答えます。どうして言えるのか。「私は人間として扱われていません」とどうしていえるか。この一言は、最後の砦として何とか守り耐えている被害者の最後のギリギリのプライドを突き崩す。それに助けを呼んでも、事態を認識して、実効のある形で、助け出す力のある個人は滅多にいない。社会全体が認識し、社会全体で救出してくれなければ脱出できない、闇のなかにいると…。
人間の尊厳を犯される水域まで追い詰められている場合、本人の意思はどこまで確認の必要があるのか。確認できるのか。
これは、気を失っている病人や怪我人に、治療して欲しいですか、と問うに近い場合もありそうですね。
国家と個人の尊厳の問題は国境を越えないと解決できない問題という認識はすでにあるんですね。
例えば、赤十字。国家とか政治に関係なく病人、怪我人、治療の必要のある人がある限り、赴く。差し伸べる手を必要としている人がいれば赴く。政治も国境も越えて…。
国連の難民高等弁務官などもある。現に国連では、北朝鮮に食糧援助を呼びかけている。
北朝鮮への反感から、誰が援助などするか、横暴な権力者を助けるだけだ、という声に耐えて呼びかけているんですね。
(私は賛成です。それに僅かでも醵金する機会があれば出します。例え、出したお金の9割りが途中で無くなっても1割りでも届かないよりいいし、また、途中で奪われても、奪った物も消費される訳です。援助の物を奪うことで、それが無ければ飢えている人から更に奪うかも知れない。それが防げるだけでも意味があると思うからです。
こう考えてくると、日本の政治家がやったと言われていることは、非常に罪深いと思う。援助という名目で米を日本国内で買う。それが現地にはいかないまま、賄賂に化け、国際市場で売られてしまっている。北朝鮮に米が言っていないのですね。せめて、北朝鮮に現物が行っていれば、途中で消えたといっても、廻り廻って、最下層の人を潤すということあるのですが…。現実は行っていない。書類の上だけで動き、抜き取っているんですね。罪が深いです)。
ともかく、今、目の前に食糧を必要としている人がいる。命の危機に瀕している。体制や国際政治の駆け引きとは切り離して助けなければ、という思想がある訳です。
人間の尊厳に関して、大勢の人が憂い、努力してきた足跡がありますね。赤十字がそうだし、最近では、国境のない医師団などの活動もありますし、NGOも盛んになっている。
だが、極限状態になると、こうした国際機関もなかなか立ち入れない事態が起こってしまう。
国連で何と決議しようが、実効がない状態に陥ってしまっている。一方、救助を待っている方は一刻を争っているというのに…。武力をバックに持たない機関の限界が見えてしまう。
この問題をどうしらいいのか、何処に広い道に出られる糸口があるのか、という問題を抱えていると思う。
だが、一方で本人の意思が確認できないまま救出となると、新たな闘いも出てきますね。これを口実に攻め込む輩ですね。
イラクの民主化のために…。武力行使や内政干渉の道具にされない。防ぐ叡知も同時に必要になる難しさがありますね。
これは メッセージ 30199 (assaraamaaleicomn さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/30211.html