私のつたない意見。
投稿者: assaraamaaleicomn 投稿日時: 2004/01/06 22:54 投稿番号: [29789 / 118550]
>富の配分の問題を個人の問題に還元するのは、かなり危険な気がします。「裕福になろう」という人はいくらでもいて、それは否定できないのではないか、という気がするのです。
そうですねえ。私も否定していないのですが、要するに「せっかち」過ぎないだろうか?ということです。そして、現世利益宗教にも色々な教理がある様に、アメリカ的な資本主義に対しては、後半に貴方がお書きになっているようなことを鑑みると、ちょっと「?」かな、と感じているということです。
>人より多く富を得たとしても、引き続き富を得ようとするには、他の人にも富を分配せざるを得ないわけです。そうなると、富を得た人よりも上位の仕組みが必要で、それがこれまでの国家の枠組みでは政府ということだったのではないでしょうか。
全く同意します。
多分私はここまでです。
>そうすると、多国籍企業を規制しつつ、国家を超えた富を分配する仕組みがやはり必要になる、ということではないでしょうか。
そして、その上意の仕組みであるアメリカ政府そのものが、企業という現世利益宗派と結託して、いわば、「企業の傀儡としての政府」が作り出されてしまっているというのが、私の意見です。
アメリカ国民は、その傀儡政府を支持してくれるいわば「戦士」ですから、ある程度の特権を有した富の配分が行なわれるに過ぎませんから、実は微々たるものかもしれません。それで、こんなに必死で擁護しようとするんですから、権力者から見たら、かわいいもんでしょうね?
これは メッセージ 29766 (masajuly2001 さん)への返信です.
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