Baghdad Burning 10/21/2003
投稿者: masajuly2001 投稿日時: 2003/10/22 17:49 投稿番号: [27402 / 118550]
iverbendさんが書いている「バグダッドが燃えている」という日記の10月21日分です。ちょっと長いですが、省略するのが難しいので全文を掲載します。石油省近くで起きたデモの報告です。訳は俺、masajuly2001です。
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バグダッドでのデモ
今日、数千人の人々がデモした。他の場所という人もいたが、私は石油省近くだと思う。兵士にバッグの中を調べられるのを拒否して女性が拘留されたことがあるため、女性までもがデモしていた。兵隊は空中に向かって発砲し始め、群衆と一部兵士の間で突然戦闘になった。
- posted by river @ 3:05 PM
文明
今日のデモについて多少詳しい情報が入ってきた。全体の状況はひどいもので、人々はデモについてまだ話している。
占領が始まって以来ずっと、石油省の職員は兵士、そして最近は犬によって手荷物検査を受けている。職員はうんざりしていた。今や石油省は、コンクリートと有刺鉄線、兵士で囲まれた事実上の要塞だ。彼らは何時間もぼんやりと突っ立って、検査を受け、中に入れてもらえるのを待つ。イラクの人々はすでに「手荷物検査」に馴れていた。検査は、男性よりも女性に対しての方がひどい。数十人の人が傍で見ている中で、ハンドバックが引っかき回され、ときとして私物が取り出される。
今日は、石油省で働いている女性の一人、アマルが、兵士が犬を連れてきた彼女のバッグの臭いをかがせるのを嫌がった。彼女のバッグの中にコーランを持ってきていた。ムスリムは、コーランを手にするだけでも、清潔または"under widhu"にしなければならない。"Widhu"とは、祈りの際に、あるいはコーランを読む(?read from the Quran)際に自身を清めることだ。私たちは、単純にきれいな水で顔、首、肘までの腕部分を洗い、短い祈りの言葉を唱える。ムスリムは庇護を願って小さなコーランを持ち歩き、戦争以降、そうする機会は多くなっている。多くの人にとって身の安全が得られる気持ちになるからだ。コーランを持ち歩くことは、その人は原理主義者や過激派であることを意味しない。
コーランが中にあるために、犬がバッグの臭いをかぐのをアマルが抗議すると、兵士はコーランをつかみ、バッグから外に投げ出し、検査を続けた。アマルはショックを受け、検査待ちをしていた数十人の職員は、コーランが地面に放り投げられたことを怒って歩み寄った。アマルは手錠をかけられて連れ去られ、怒った群衆はライフの台尻の歓迎を受けることになった。
手荷物検査がデモに姿を変えたため、イラク警察が到着して間に入ろうとしたが、群衆の数は増えていた。警察署が明らかにしたことによれば、このとき警察官はIPバッジ(イラク警察であることを示す黒の腕章)を引きちぎり、カメラに向かって、「腕章なんかいらない。人々を助けるために警察官になったんだ。コーランが地面に放り投げられるのを見るためじゃない」と叫んだという。
数人のジャーナリストは、ジャーナリストのカメラが兵士によって押収されたと語っている。
ひどい。この話を聞いて私の血は煮えたぎった。このことを目撃していた人がどのように感じたか、想像がつかない。コーランを汚してはならない。人には神聖なものがあることを理解することが、なぜこれほど難しいことなのだろうか?!
イラク人が聖書を放り投げたり、十字架を焼いたりし始めたら、兵士はどのように感じるだろう。彼らはひどいと思い、怒るだろう。他人の信仰を汚してはいけないのだ。
しかし、ここにこそ違いがある。イラクの人々の大半は他の文化や宗教に深い尊敬の念を抱いている。それこそが文明というものだ。文明は携帯電話やコンピュータ、摩天楼、マクドナルドではない。文明とは、自分と異なる信仰や文化の尊厳を保証する仕組みをその信仰や文化の中に持っているということだ。
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バグダッドでのデモ
今日、数千人の人々がデモした。他の場所という人もいたが、私は石油省近くだと思う。兵士にバッグの中を調べられるのを拒否して女性が拘留されたことがあるため、女性までもがデモしていた。兵隊は空中に向かって発砲し始め、群衆と一部兵士の間で突然戦闘になった。
- posted by river @ 3:05 PM
文明
今日のデモについて多少詳しい情報が入ってきた。全体の状況はひどいもので、人々はデモについてまだ話している。
占領が始まって以来ずっと、石油省の職員は兵士、そして最近は犬によって手荷物検査を受けている。職員はうんざりしていた。今や石油省は、コンクリートと有刺鉄線、兵士で囲まれた事実上の要塞だ。彼らは何時間もぼんやりと突っ立って、検査を受け、中に入れてもらえるのを待つ。イラクの人々はすでに「手荷物検査」に馴れていた。検査は、男性よりも女性に対しての方がひどい。数十人の人が傍で見ている中で、ハンドバックが引っかき回され、ときとして私物が取り出される。
今日は、石油省で働いている女性の一人、アマルが、兵士が犬を連れてきた彼女のバッグの臭いをかがせるのを嫌がった。彼女のバッグの中にコーランを持ってきていた。ムスリムは、コーランを手にするだけでも、清潔または"under widhu"にしなければならない。"Widhu"とは、祈りの際に、あるいはコーランを読む(?read from the Quran)際に自身を清めることだ。私たちは、単純にきれいな水で顔、首、肘までの腕部分を洗い、短い祈りの言葉を唱える。ムスリムは庇護を願って小さなコーランを持ち歩き、戦争以降、そうする機会は多くなっている。多くの人にとって身の安全が得られる気持ちになるからだ。コーランを持ち歩くことは、その人は原理主義者や過激派であることを意味しない。
コーランが中にあるために、犬がバッグの臭いをかぐのをアマルが抗議すると、兵士はコーランをつかみ、バッグから外に投げ出し、検査を続けた。アマルはショックを受け、検査待ちをしていた数十人の職員は、コーランが地面に放り投げられたことを怒って歩み寄った。アマルは手錠をかけられて連れ去られ、怒った群衆はライフの台尻の歓迎を受けることになった。
手荷物検査がデモに姿を変えたため、イラク警察が到着して間に入ろうとしたが、群衆の数は増えていた。警察署が明らかにしたことによれば、このとき警察官はIPバッジ(イラク警察であることを示す黒の腕章)を引きちぎり、カメラに向かって、「腕章なんかいらない。人々を助けるために警察官になったんだ。コーランが地面に放り投げられるのを見るためじゃない」と叫んだという。
数人のジャーナリストは、ジャーナリストのカメラが兵士によって押収されたと語っている。
ひどい。この話を聞いて私の血は煮えたぎった。このことを目撃していた人がどのように感じたか、想像がつかない。コーランを汚してはならない。人には神聖なものがあることを理解することが、なぜこれほど難しいことなのだろうか?!
イラク人が聖書を放り投げたり、十字架を焼いたりし始めたら、兵士はどのように感じるだろう。彼らはひどいと思い、怒るだろう。他人の信仰を汚してはいけないのだ。
しかし、ここにこそ違いがある。イラクの人々の大半は他の文化や宗教に深い尊敬の念を抱いている。それこそが文明というものだ。文明は携帯電話やコンピュータ、摩天楼、マクドナルドではない。文明とは、自分と異なる信仰や文化の尊厳を保証する仕組みをその信仰や文化の中に持っているということだ。
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これは メッセージ 27401 (masajuly2001 さん)への返信です.
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