>> 日本の景気回復
投稿者: eldragon88 投稿日時: 2003/09/16 22:19 投稿番号: [27140 / 118550]
資本主義経済と労働主義経済
> 「企業が潤って、その社員とか関係する人間とかが潤って」っていうことが前提になってるんですよね。
>これって何か違うんじゃないかな、って思うんですよ。
経済のことは詳しくわからないけど、社会システムとして見れば、
たぶん、米国と日本とはそもそも経済イデオロギーの土壌が違っていたと思う。
日本は戦後の経済成長のシステムの中で、「汗水して真面目に働けば潤う」というような勤勉を美徳とする経済風土ができあがってきた。そして、それをある意味で社会は裏切ってこなかった。企業もその風土の上で、「勤勉」や「企業努力」を重視し、経営側も労働者側も「真面目に努力すれば報われる」という社会づくりを支えて来たと思う。
それに対して、アメリカは歴然と資本家、経営者、労働者というカテゴリーに別れて、それぞれに「契約」というシステムが作用しながら、経済風土ができあがっている。いわゆる現在のグローバル・モデルである。「資本」というものをコアにして、資本家は「投資」を、経営者は「資本運用」を、そして、労働者は「労働力」を、契約システムの中で提供し合い、そこから報酬を獲得する。その風土には「汗水して真面目に働けば」というような美徳は決して育たないし、むしろ、「いかに効率よく収益を上げるか」が美徳になる。そして、経済や産業のシステムもその風土に整合性のあるカタチへと淘汰されていく。
日本の経済や産業のシステムは、「労働」をコアにして整合性のとれるカタチを構築してきた。元請け、下請け、孫請け、ひ孫請けというタテに連なる産業構造は、「労働」をコアにしたシステムであり、公共事業はこのシステムと極めて整合性が良く機能した。
「産業構造改革」ということが言われて久しいが、それは、「労働主義」から「資本主義」へと社会システムそのものを変えるという作業を意味する。しかし、公共事業や、企業経営のあり方をちょこちょこっと変えるだけで事が済むような問題ではなく、教育システムや強いては法体系にまで及ぶような大きなスケールでの変革を意味するものになる。
いわゆるパラダイムシフトである。日本が陥っている窮地は、このシフトがそう簡単ではない上に、経済のグローバル化が急速に進んでしまったために、「資本循環」と「労働力循環」が極めてギクシャクしながら、システム疲労を引き起こしていることにあるのだと思う。この状況で、日本的美徳の「勤勉」とアメリカ的美徳の「効率」とがせめぎ合いながら、経済という指標で見たとき、「効率」の方に軍配が上がっている状態なのだろう。
「汗水して真面目に働いても報われない」という思いが、中小企業経営者や労働主義産業の中の労働者の共通する思いになっているのも、そういう理由からだ。社会はそれまでの美徳に応えられなくなったのだ。
だから、「景気がいい」という言葉は、もはや以前の概念としては通用しなくなっている。
それは、資本主義経済の指標でしかなく、日本の多くの産業は、ますます「景気が悪い」という実感でしかないだろうと思う。
資本主義的システムにも、労働主義的システムにも、どちらも一長一短があるだろうが、
人間的な穏やかさのようなものは、後者の方が育んでいたように思う。
> 「企業が潤って、その社員とか関係する人間とかが潤って」っていうことが前提になってるんですよね。
>これって何か違うんじゃないかな、って思うんですよ。
経済のことは詳しくわからないけど、社会システムとして見れば、
たぶん、米国と日本とはそもそも経済イデオロギーの土壌が違っていたと思う。
日本は戦後の経済成長のシステムの中で、「汗水して真面目に働けば潤う」というような勤勉を美徳とする経済風土ができあがってきた。そして、それをある意味で社会は裏切ってこなかった。企業もその風土の上で、「勤勉」や「企業努力」を重視し、経営側も労働者側も「真面目に努力すれば報われる」という社会づくりを支えて来たと思う。
それに対して、アメリカは歴然と資本家、経営者、労働者というカテゴリーに別れて、それぞれに「契約」というシステムが作用しながら、経済風土ができあがっている。いわゆる現在のグローバル・モデルである。「資本」というものをコアにして、資本家は「投資」を、経営者は「資本運用」を、そして、労働者は「労働力」を、契約システムの中で提供し合い、そこから報酬を獲得する。その風土には「汗水して真面目に働けば」というような美徳は決して育たないし、むしろ、「いかに効率よく収益を上げるか」が美徳になる。そして、経済や産業のシステムもその風土に整合性のあるカタチへと淘汰されていく。
日本の経済や産業のシステムは、「労働」をコアにして整合性のとれるカタチを構築してきた。元請け、下請け、孫請け、ひ孫請けというタテに連なる産業構造は、「労働」をコアにしたシステムであり、公共事業はこのシステムと極めて整合性が良く機能した。
「産業構造改革」ということが言われて久しいが、それは、「労働主義」から「資本主義」へと社会システムそのものを変えるという作業を意味する。しかし、公共事業や、企業経営のあり方をちょこちょこっと変えるだけで事が済むような問題ではなく、教育システムや強いては法体系にまで及ぶような大きなスケールでの変革を意味するものになる。
いわゆるパラダイムシフトである。日本が陥っている窮地は、このシフトがそう簡単ではない上に、経済のグローバル化が急速に進んでしまったために、「資本循環」と「労働力循環」が極めてギクシャクしながら、システム疲労を引き起こしていることにあるのだと思う。この状況で、日本的美徳の「勤勉」とアメリカ的美徳の「効率」とがせめぎ合いながら、経済という指標で見たとき、「効率」の方に軍配が上がっている状態なのだろう。
「汗水して真面目に働いても報われない」という思いが、中小企業経営者や労働主義産業の中の労働者の共通する思いになっているのも、そういう理由からだ。社会はそれまでの美徳に応えられなくなったのだ。
だから、「景気がいい」という言葉は、もはや以前の概念としては通用しなくなっている。
それは、資本主義経済の指標でしかなく、日本の多くの産業は、ますます「景気が悪い」という実感でしかないだろうと思う。
資本主義的システムにも、労働主義的システムにも、どちらも一長一短があるだろうが、
人間的な穏やかさのようなものは、後者の方が育んでいたように思う。
これは メッセージ 27139 (masajuly2001 さん)への返信です.
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