反戦デモと、今回の選挙戦
投稿者: joint200002 投稿日時: 2003/04/28 01:16 投稿番号: [25990 / 118550]
個人的な雑考というか、独り言的な感想ですので、お時間のない方は読みとばして下さって結構です。
今回の選挙戦を方々で目に(というより耳に)しながら、ふと思いついたことです。
選挙戦の間は本当に色んな車が町内をくまなく駆け巡り、安いコマーシャルのように候補者の名前を耳障りな節回しや連呼で朝から晩まで流し続けた。
個人的には”うるさい!”だが、彼らも生活がかかっている人もいるだろうし、本当に政治を、生活を変えていきたいという情熱をもっている人も少なからずいるだろうから仕方ないとも思う。
うるさい期間も、時間帯も決まっているのだし、しばらくの辛抱、彼らもしばらくの奮戦頑張れ、と言ってあげたい気持ちも無きにしも非ず。
が、選挙戦の間は”市民派”を名乗り、道で見かけた人に親しげに近寄っては握手を迫り(かなり閉口した)にこやかに手を振り挨拶をする。
しかし、選挙戦が終わればどんな”市民派”でもそんなことはしない。
もっと言えば、選挙が終わればほぼ例外なく打って変わって普通の”政治家”になる。
道で握手をした相手の顔など覚えてもいないだろう。
ここで反戦運動を思い出した。
なにか大きなニュースがあると一時にワーッと盛り上がる。
でも、ニュースが落ち着いてくるとほぼ見かけなくなる。
本当に何らかの効果があると信じているのならば、継続的にすればいいと思うのだが、(もちろん、継続している人たちはいるだろう。しかし参加数の大半はそうでない)継続されていない。
こういった反戦の動きを今後ずっと定着させていく意志が強くあるのならば、集まった人だけでもずっとつなぎとめるように何らかのつながりを保っておくことが肝要だと思うが、そういうこともあまり聞かない。
今回初めてデモに参加する人も多かったはずだ。
本来ならば、そういう人をつなぎとめてこそ本当の”反戦運動”ではないかと思うのだが。
(決して、自分の団体に勧誘するということだけにとどまらない。むしろ初参加組はそういうものは敬遠するのが当然だから得策ではない)
そして、今話題になっている”反戦運動をしたけれども、戦争は止められなかった”この反省は、初参加組も含めた中で出てこなければ本来の意味はないようにも思う。
本当に現実に対して力を持ちたいのなら、そして個人個人のつながりが大きな権力に対する力になりうると信じているのなら、どうしてそれをもっと利用しないのだろう?
例えば、デモ参加者全員と何らかの双方向連絡ラインを確保する。
参加者の携帯メルアドが集まれば一番いいだろうが、プライバシーに不安を感じる人には匿名で無料メルアドを取得してもらい(もしくは与え)定期的に活動内容や反戦運動のその後の動き、戦後の国の動き、などのレポートをML形式で送る。
少なくともこれで、継続して問題へ関心を引く可能性は上がるだろう。
また、次回なにかしらの反戦運動をすることがあれば、告知もできる。
デモに参加できない人には、署名に協力してもらう、10円単位で募金を募る、などできることはいくらでもあるはずだ。
多くの”ブームに乗った”人をつなぎとめて置くためには、行った行動が一定の効果をもたらしたということと、その人たちに行動を起こさせ続けるだけの説得力が必要だろう。
ただ数を集め、数が多い=優勢、多数派=国民の意見の総意、とするのはすこし無理があるように感じる。
事実、デモに参加した人が国内で最大5万人いたとしたら、残り1億人以上は参加していないわけで。
残りすべてがデモに反対、といっているわけではない。
残りの殆どが、こういったことに関心が薄い、ということ。
少なくとも、そういう行動に積極的でない人が大部分だったということだ。
ということは、まだまだ反戦運動(デモに限らず)自体の説得力と、人を巻き込み力に変えていく戦略が弱いのではないかなと感じている。
なんか、選挙戦の話とだいぶ離れてしまいましたが、私の思うのはそういう感じです。
今回の選挙戦を方々で目に(というより耳に)しながら、ふと思いついたことです。
選挙戦の間は本当に色んな車が町内をくまなく駆け巡り、安いコマーシャルのように候補者の名前を耳障りな節回しや連呼で朝から晩まで流し続けた。
個人的には”うるさい!”だが、彼らも生活がかかっている人もいるだろうし、本当に政治を、生活を変えていきたいという情熱をもっている人も少なからずいるだろうから仕方ないとも思う。
うるさい期間も、時間帯も決まっているのだし、しばらくの辛抱、彼らもしばらくの奮戦頑張れ、と言ってあげたい気持ちも無きにしも非ず。
が、選挙戦の間は”市民派”を名乗り、道で見かけた人に親しげに近寄っては握手を迫り(かなり閉口した)にこやかに手を振り挨拶をする。
しかし、選挙戦が終わればどんな”市民派”でもそんなことはしない。
もっと言えば、選挙が終わればほぼ例外なく打って変わって普通の”政治家”になる。
道で握手をした相手の顔など覚えてもいないだろう。
ここで反戦運動を思い出した。
なにか大きなニュースがあると一時にワーッと盛り上がる。
でも、ニュースが落ち着いてくるとほぼ見かけなくなる。
本当に何らかの効果があると信じているのならば、継続的にすればいいと思うのだが、(もちろん、継続している人たちはいるだろう。しかし参加数の大半はそうでない)継続されていない。
こういった反戦の動きを今後ずっと定着させていく意志が強くあるのならば、集まった人だけでもずっとつなぎとめるように何らかのつながりを保っておくことが肝要だと思うが、そういうこともあまり聞かない。
今回初めてデモに参加する人も多かったはずだ。
本来ならば、そういう人をつなぎとめてこそ本当の”反戦運動”ではないかと思うのだが。
(決して、自分の団体に勧誘するということだけにとどまらない。むしろ初参加組はそういうものは敬遠するのが当然だから得策ではない)
そして、今話題になっている”反戦運動をしたけれども、戦争は止められなかった”この反省は、初参加組も含めた中で出てこなければ本来の意味はないようにも思う。
本当に現実に対して力を持ちたいのなら、そして個人個人のつながりが大きな権力に対する力になりうると信じているのなら、どうしてそれをもっと利用しないのだろう?
例えば、デモ参加者全員と何らかの双方向連絡ラインを確保する。
参加者の携帯メルアドが集まれば一番いいだろうが、プライバシーに不安を感じる人には匿名で無料メルアドを取得してもらい(もしくは与え)定期的に活動内容や反戦運動のその後の動き、戦後の国の動き、などのレポートをML形式で送る。
少なくともこれで、継続して問題へ関心を引く可能性は上がるだろう。
また、次回なにかしらの反戦運動をすることがあれば、告知もできる。
デモに参加できない人には、署名に協力してもらう、10円単位で募金を募る、などできることはいくらでもあるはずだ。
多くの”ブームに乗った”人をつなぎとめて置くためには、行った行動が一定の効果をもたらしたということと、その人たちに行動を起こさせ続けるだけの説得力が必要だろう。
ただ数を集め、数が多い=優勢、多数派=国民の意見の総意、とするのはすこし無理があるように感じる。
事実、デモに参加した人が国内で最大5万人いたとしたら、残り1億人以上は参加していないわけで。
残りすべてがデモに反対、といっているわけではない。
残りの殆どが、こういったことに関心が薄い、ということ。
少なくとも、そういう行動に積極的でない人が大部分だったということだ。
ということは、まだまだ反戦運動(デモに限らず)自体の説得力と、人を巻き込み力に変えていく戦略が弱いのではないかなと感じている。
なんか、選挙戦の話とだいぶ離れてしまいましたが、私の思うのはそういう感じです。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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