>>>犠牲者を出さない方法?
投稿者: pialine8 投稿日時: 2003/04/19 02:54 投稿番号: [25333 / 118550]
>「今すぐかどうか」は別問題になりますので,「武力行使絶対反対」という方のご意見をお待ちしたいと思います。
国連憲章でも、日本国憲法(政府解釈)でさえも自衛権による武力行使を容認している。
なのに、あえて絶対反対という人の意見を聞きたがるのは何故?
日常生活にだって、正当防衛という自衛権を認めているじゃないですか。
絶対反対なんて言う人は、他人のことだから好き勝手に言えるのだ・
聞いても聞くだけ時間の無駄だと思う。
>フセイン政権存続で犠牲になる人(1人かもしれません)についてどう考えればいいのか、ご意見を伺いたいと思っています。
どう考えるも何もない。
答えはいたって単純。
フセインを説得して、恐怖政治を見なおしてもらうしかない。
粘り強く国連主導で、基本的人権の尊重という思想概念を世界共通の価値観として世界各国に普及させていくことが急務であろう。
独裁政権による国民弾圧は、なにもイラクに限ったことではない。多かれ少なかれ他の非民主的な国々にも見られる。
フセイン政権を武力で倒して解決したということは、他の独裁政権も同様な扱いを受けるという前例を作ったことになる。
独裁というならば、イラクよりも北の金さんのほうが上じゃないかな?
戦争を安易に肯定すれば、アメリカが北の国民を解放するといって武力行使し、北が応戦し、北のミサイルが沖縄に落ちて沖縄県民が多少犠牲になっても、それよりも多くの北の国民が解放されて助かるならば、数の上からいって正しい選択だったということになる。
ミサイル着弾が沖縄になるか、それとも同盟国の首都(東京)に落ちるか、それともあなたの故郷に運悪く落ちるかもしれない。
なんせ戦争なんだから、誤爆は有り得ることだし、軍部がどんな作戦を考えているかなんて外からではわからない。何が起こっても不思議ではないのが戦争。
上の話は少し大げさに書いたけど、自分が殺される身になってみてようやく戦争の意味が理解できるのではないでしょうか?
>自分が死ぬことに関してはあまり恐いとは思わないのですが、選ぶとすれば、痛くないほうを希望します。
空爆で死ぬのは、自分かもしれないし、家族(父・母・息子・娘・兄弟姉妹)かもしれない。いや、恋人かもしれない。
いずれにしても、戦争がはじまればその犠牲者は戦う軍人だけではない。多くの一般市民が空爆や戦闘の流れ弾の犠牲になる。
私が何を言いたいかわかるかな?
つまり、戦争を支持するということは、自分がこの戦争で命を落としたとしても、悔いはなく戦争が正しい選択だったと言いきれる確信あってこそ。
フセイン政権は崩壊して、イラクは自由になりました。
めでたし、めでたし
という、お話しで喜んでばかりはいられない。
空爆で死んでいった一般市民は、
そして
失った我が子の前に泣き崩れる親たちは、それでも戦争を肯定できるのだろうか?
akaoki2001さんがイラク国民ならば、自分が死んでも、または親・兄弟が殺されても、それでも自由を得るため米軍の空爆を正当化できるかな?
私が戦争で死んでもいいと思えるときは、自分から進んで独立を勝ち取るための戦いをするとき、または、自分の命や家族の命を守る為、あえて敵と戦うときぐらいしか思いつかん。
第三者が勝手に自分の国にやってきて、自由・解放という大儀を掲げて、空から爆弾落すのには賛成できません。
国連憲章でも、日本国憲法(政府解釈)でさえも自衛権による武力行使を容認している。
なのに、あえて絶対反対という人の意見を聞きたがるのは何故?
日常生活にだって、正当防衛という自衛権を認めているじゃないですか。
絶対反対なんて言う人は、他人のことだから好き勝手に言えるのだ・
聞いても聞くだけ時間の無駄だと思う。
>フセイン政権存続で犠牲になる人(1人かもしれません)についてどう考えればいいのか、ご意見を伺いたいと思っています。
どう考えるも何もない。
答えはいたって単純。
フセインを説得して、恐怖政治を見なおしてもらうしかない。
粘り強く国連主導で、基本的人権の尊重という思想概念を世界共通の価値観として世界各国に普及させていくことが急務であろう。
独裁政権による国民弾圧は、なにもイラクに限ったことではない。多かれ少なかれ他の非民主的な国々にも見られる。
フセイン政権を武力で倒して解決したということは、他の独裁政権も同様な扱いを受けるという前例を作ったことになる。
独裁というならば、イラクよりも北の金さんのほうが上じゃないかな?
戦争を安易に肯定すれば、アメリカが北の国民を解放するといって武力行使し、北が応戦し、北のミサイルが沖縄に落ちて沖縄県民が多少犠牲になっても、それよりも多くの北の国民が解放されて助かるならば、数の上からいって正しい選択だったということになる。
ミサイル着弾が沖縄になるか、それとも同盟国の首都(東京)に落ちるか、それともあなたの故郷に運悪く落ちるかもしれない。
なんせ戦争なんだから、誤爆は有り得ることだし、軍部がどんな作戦を考えているかなんて外からではわからない。何が起こっても不思議ではないのが戦争。
上の話は少し大げさに書いたけど、自分が殺される身になってみてようやく戦争の意味が理解できるのではないでしょうか?
>自分が死ぬことに関してはあまり恐いとは思わないのですが、選ぶとすれば、痛くないほうを希望します。
空爆で死ぬのは、自分かもしれないし、家族(父・母・息子・娘・兄弟姉妹)かもしれない。いや、恋人かもしれない。
いずれにしても、戦争がはじまればその犠牲者は戦う軍人だけではない。多くの一般市民が空爆や戦闘の流れ弾の犠牲になる。
私が何を言いたいかわかるかな?
つまり、戦争を支持するということは、自分がこの戦争で命を落としたとしても、悔いはなく戦争が正しい選択だったと言いきれる確信あってこそ。
フセイン政権は崩壊して、イラクは自由になりました。
めでたし、めでたし
という、お話しで喜んでばかりはいられない。
空爆で死んでいった一般市民は、
そして
失った我が子の前に泣き崩れる親たちは、それでも戦争を肯定できるのだろうか?
akaoki2001さんがイラク国民ならば、自分が死んでも、または親・兄弟が殺されても、それでも自由を得るため米軍の空爆を正当化できるかな?
私が戦争で死んでもいいと思えるときは、自分から進んで独立を勝ち取るための戦いをするとき、または、自分の命や家族の命を守る為、あえて敵と戦うときぐらいしか思いつかん。
第三者が勝手に自分の国にやってきて、自由・解放という大儀を掲げて、空から爆弾落すのには賛成できません。
これは メッセージ 25249 (akaoki2001 さん)への返信です.
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