>kusukusu552000さんへ(1)
投稿者: kusukusu552000 投稿日時: 2003/04/13 16:21 投稿番号: [24521 / 118550]
>せっかくだから、文化的交流について聞くけど。この交流が、イラク戦争を止められるような、しかも、アメリカに圧力をかけられて、止められないような方向性を持ったものって具体的にどんなのがあると思う?(この文化的交流の文化の意味は、進歩的という意味ね。)
あの、この文化的交流を深めるというのは、戦争を止めるということとの関係性という意味では、長期的な展望として、こういうことをしていくと、長期的にはいいかもしれないみたいな考えです。今すぐに、たとえばイラク戦争を止めるのに効果があるかというと、ちょっとたしかにないかもしれないです。
そのため、話がちょっと観念的になってしまいますが、以下、お許しを。
今、アメリカは民主主義を世界に広める戦略をとっていて、モデルとしていうと「世界市民社会」みたいなものを目ざしているというのかな?だと思うんです。
その折りには、文化的にもアメリカの形のものに統一する、みたいなことを考えている気がするんです。
ある本にあと200年もすると、英語が世界の共通言語になるのではないかという予測が書かれていました。これは極端な考えかもしれませんが、あり得るかも。
たとえば日本も、英語も日常会話として話して、並列して日本語も使われる。そういう形になる可能性が考えられます。
英語という言語はそういった世界共通語として通用する要素をもっている言語だと思うのです。
この言語の問題は結構、重要で、イスラエルがヘブライ語を見直し、自らの精神基盤にしようとしていることなども考えてみる必要があるのかもしれません。
つまり、アメリカのめざす世界統一?は、政治的、経済的なものであると同時に、文化的な統一をめざしているように思います。
インターネットはそのための主要なツールになると思います。
インターネットによって、国境をこえて人々が繋がるようになりました。アメリカの人とイスラム社会の人が容易にメールでやり取りできる環境が整いました。
つまり、ここにおいて、個々の人々は常に世界と繋がっているイメージをつかみつつあるわけです。
日本人ならこれまで個人としての隣近所の付き合いがあり、同時に自分が日本人だという国家に帰属する意識がある。さらには世界の一員だという意識はもちろん昔からあるわけですが、インターネットによって世界につながっているという意識をより強く個々人がイメージできるようになったように思います。
つまりすでに「自分は日本国民の1人である」という意識と「自分は世界市民の1人である」という意識が共存して個々の人達にあるように思います。
私は、アメリカ型民主主義の形でなくていいのにとは思うけれども、「世界市民社会」のような形に世の中が転移していくのは歴史の流れとしてやはり一番、可能性があるものなのかな?という気がしています。(個人的には、なにもかもアメリカ型でなく、世界のいろいろな文化圏のものを含み入れて、導入しうまく混合させる形が取れないかなあ?という気はします。)
しかし、ここにおいて問題なのは、アメリカが戦争という暴力の形でこれを進めようとしていること。これがまさに問題であるわけで、それを少しでもふせぐためには、文化的交流を深めて、たとえばイスラム社会の人達も、「イスラム社会の1人」という意識とともに「世界市民の1人」という意識をもつことが広まっていたら。うまく両者を並列して使い分ける術をイスラム社会の人達が平和的な交流で身に付けて行けば、アメリカがイメージする体制がすでにイスラム社会の中に出来ているということになるから、その体制が出来ている国はアメリカはあえて戦争してまで変えようとしないのではないか?
だから平和的に世界が文化的な交流をして、生活も市民社会的な要素を取り入れた形を(うまく自国の文化と共存させながら)世界各国に広めれば、長い目で見れば、戦争が起きる要素をひとつずつでの減らせるんじゃないかな?と思い、文化的交流の面を重視することが大切かと考えたのです。
あの、この文化的交流を深めるというのは、戦争を止めるということとの関係性という意味では、長期的な展望として、こういうことをしていくと、長期的にはいいかもしれないみたいな考えです。今すぐに、たとえばイラク戦争を止めるのに効果があるかというと、ちょっとたしかにないかもしれないです。
そのため、話がちょっと観念的になってしまいますが、以下、お許しを。
今、アメリカは民主主義を世界に広める戦略をとっていて、モデルとしていうと「世界市民社会」みたいなものを目ざしているというのかな?だと思うんです。
その折りには、文化的にもアメリカの形のものに統一する、みたいなことを考えている気がするんです。
ある本にあと200年もすると、英語が世界の共通言語になるのではないかという予測が書かれていました。これは極端な考えかもしれませんが、あり得るかも。
たとえば日本も、英語も日常会話として話して、並列して日本語も使われる。そういう形になる可能性が考えられます。
英語という言語はそういった世界共通語として通用する要素をもっている言語だと思うのです。
この言語の問題は結構、重要で、イスラエルがヘブライ語を見直し、自らの精神基盤にしようとしていることなども考えてみる必要があるのかもしれません。
つまり、アメリカのめざす世界統一?は、政治的、経済的なものであると同時に、文化的な統一をめざしているように思います。
インターネットはそのための主要なツールになると思います。
インターネットによって、国境をこえて人々が繋がるようになりました。アメリカの人とイスラム社会の人が容易にメールでやり取りできる環境が整いました。
つまり、ここにおいて、個々の人々は常に世界と繋がっているイメージをつかみつつあるわけです。
日本人ならこれまで個人としての隣近所の付き合いがあり、同時に自分が日本人だという国家に帰属する意識がある。さらには世界の一員だという意識はもちろん昔からあるわけですが、インターネットによって世界につながっているという意識をより強く個々人がイメージできるようになったように思います。
つまりすでに「自分は日本国民の1人である」という意識と「自分は世界市民の1人である」という意識が共存して個々の人達にあるように思います。
私は、アメリカ型民主主義の形でなくていいのにとは思うけれども、「世界市民社会」のような形に世の中が転移していくのは歴史の流れとしてやはり一番、可能性があるものなのかな?という気がしています。(個人的には、なにもかもアメリカ型でなく、世界のいろいろな文化圏のものを含み入れて、導入しうまく混合させる形が取れないかなあ?という気はします。)
しかし、ここにおいて問題なのは、アメリカが戦争という暴力の形でこれを進めようとしていること。これがまさに問題であるわけで、それを少しでもふせぐためには、文化的交流を深めて、たとえばイスラム社会の人達も、「イスラム社会の1人」という意識とともに「世界市民の1人」という意識をもつことが広まっていたら。うまく両者を並列して使い分ける術をイスラム社会の人達が平和的な交流で身に付けて行けば、アメリカがイメージする体制がすでにイスラム社会の中に出来ているということになるから、その体制が出来ている国はアメリカはあえて戦争してまで変えようとしないのではないか?
だから平和的に世界が文化的な交流をして、生活も市民社会的な要素を取り入れた形を(うまく自国の文化と共存させながら)世界各国に広めれば、長い目で見れば、戦争が起きる要素をひとつずつでの減らせるんじゃないかな?と思い、文化的交流の面を重視することが大切かと考えたのです。
これは メッセージ 24483 (yousunwai さん)への返信です.
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