飯塚事件の衝撃
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2009/06/06 09:55 投稿番号: [118108 / 118550]
飯塚事件(第二の足利事件?)の久間三千年死刑囚は処刑されている!
▼足利事件―DNA型一致せずの衝撃
http://www.asahi.com/paper/editorial20090605.html?ref=any#Edit1
・・・
衝撃的な事態である。DNA型鑑定は多くの事件で実施されてきた。初期の鑑定の信用度が揺らぐ影響は計り知れない。92年に福岡県飯塚市で起きた女児2人殺害事件では、DNA型鑑定が証拠となって死刑判決の確定した男性が昨年、刑を執行されている。
・・・
*****
(注:以下、『冤罪File』No.05を参考)
『冤罪File』No.05(2009年3月号)今井恭平「第二の足利事件か?一致しないDNA鑑定―─飯塚事件に残された疑問 処刑された死刑囚は、本当に真犯人だったのか?」の題名からもあきらかなように、そもそもこの事件では二つのDNA鑑定の結果が異なり、久間三千年(くまみちとし)さんは当時逮捕されていないのである。その後、久間三千年さんは菅家利和さんのように重要参考人として1年以上警察にマークされる。その後(事件発生から2年7ヶ月後)の1994年6月に彼は逮捕されるが、その決め手になったのは、被害者両名の衣服に付着していた微量の繊維が、彼の車のシートの繊維と一致するという鑑定結果が出たことによる。しかし久間三千年さんは一貫して事件との関係を否認―─。
ちなみに久間三千年さん逮捕時の新聞報道は同書によると―─《二女児の死体遺棄現場から、微量の体液を採取。久間容疑者が任意提出した毛髪を科警研に送って鑑定したところ、『両者のDNAはほぼ一致』との結果が出た。だが、改めてDNA鑑定の権威ともいわれる大学教授への依頼では、『資料不十分で鑑定不能』とされた。(1994年9月24日・朝日新聞夕刊)》。
科警研の鑑定が信用できないのは、この頃のニュースでも明白だが、第一、久間三千年さんが最初に逮捕されなかったのは、科警研の鑑定では一致と出たが、帝京大学の石川教授のDNA鑑定では"DNAの型が一致しなかった"からである。また今井恭平が同書で指摘するように、DNA鑑定は型の違いを特定して分類するので朝日新聞の記事の「ほぼ一致」などありえず、血液型のABO型のように、「A型で一致」とか「B型で一致」と表現する。また『資料不十分で鑑定不能』は誤報道で、石川教授の行ったミトコンドリア方法は資料が少なくても鑑定可能であり、あくまでも"DNAの型が一致しなかった"である。
以上から、飯塚事件は第二の足利事件というより、その様相は激変し、冤罪のうえに無実の人間を処刑してしまったかもしれないという驚愕の事件になってしまったわけだ。これがメディア・リンチに熱狂し「殺せ!殺せ!」の国民の大合唱の中、死に神・鳩山法相など(注:久間三千年さんの死刑執行は現法相・森英介)によって推進された処刑乱発のなれの果てなのである。
▼森英介
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%8B%B1%E4%BB%8B
・・・
DNA鑑定の未熟さから冤罪の可能性があるといわれつづけ、終始一貫犯行を否認し無罪を主張して再審請求をしていた飯塚事件の死刑囚の執行命令書に捺印した。死刑囚は2008年10月28日、福岡拘置所で死刑執行された。
▼足利事件―DNA型一致せずの衝撃
http://www.asahi.com/paper/editorial20090605.html?ref=any#Edit1
・・・
衝撃的な事態である。DNA型鑑定は多くの事件で実施されてきた。初期の鑑定の信用度が揺らぐ影響は計り知れない。92年に福岡県飯塚市で起きた女児2人殺害事件では、DNA型鑑定が証拠となって死刑判決の確定した男性が昨年、刑を執行されている。
・・・
*****
(注:以下、『冤罪File』No.05を参考)
『冤罪File』No.05(2009年3月号)今井恭平「第二の足利事件か?一致しないDNA鑑定―─飯塚事件に残された疑問 処刑された死刑囚は、本当に真犯人だったのか?」の題名からもあきらかなように、そもそもこの事件では二つのDNA鑑定の結果が異なり、久間三千年(くまみちとし)さんは当時逮捕されていないのである。その後、久間三千年さんは菅家利和さんのように重要参考人として1年以上警察にマークされる。その後(事件発生から2年7ヶ月後)の1994年6月に彼は逮捕されるが、その決め手になったのは、被害者両名の衣服に付着していた微量の繊維が、彼の車のシートの繊維と一致するという鑑定結果が出たことによる。しかし久間三千年さんは一貫して事件との関係を否認―─。
ちなみに久間三千年さん逮捕時の新聞報道は同書によると―─《二女児の死体遺棄現場から、微量の体液を採取。久間容疑者が任意提出した毛髪を科警研に送って鑑定したところ、『両者のDNAはほぼ一致』との結果が出た。だが、改めてDNA鑑定の権威ともいわれる大学教授への依頼では、『資料不十分で鑑定不能』とされた。(1994年9月24日・朝日新聞夕刊)》。
科警研の鑑定が信用できないのは、この頃のニュースでも明白だが、第一、久間三千年さんが最初に逮捕されなかったのは、科警研の鑑定では一致と出たが、帝京大学の石川教授のDNA鑑定では"DNAの型が一致しなかった"からである。また今井恭平が同書で指摘するように、DNA鑑定は型の違いを特定して分類するので朝日新聞の記事の「ほぼ一致」などありえず、血液型のABO型のように、「A型で一致」とか「B型で一致」と表現する。また『資料不十分で鑑定不能』は誤報道で、石川教授の行ったミトコンドリア方法は資料が少なくても鑑定可能であり、あくまでも"DNAの型が一致しなかった"である。
以上から、飯塚事件は第二の足利事件というより、その様相は激変し、冤罪のうえに無実の人間を処刑してしまったかもしれないという驚愕の事件になってしまったわけだ。これがメディア・リンチに熱狂し「殺せ!殺せ!」の国民の大合唱の中、死に神・鳩山法相など(注:久間三千年さんの死刑執行は現法相・森英介)によって推進された処刑乱発のなれの果てなのである。
▼森英介
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%8B%B1%E4%BB%8B
・・・
DNA鑑定の未熟さから冤罪の可能性があるといわれつづけ、終始一貫犯行を否認し無罪を主張して再審請求をしていた飯塚事件の死刑囚の執行命令書に捺印した。死刑囚は2008年10月28日、福岡拘置所で死刑執行された。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/118108.html