対イラク武力行使

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人間という「サガ」

投稿者: battamother 投稿日時: 2009/06/05 02:38 投稿番号: [118099 / 118550]
インターネットが普及してからは、各個人が入手できる情報が格段に増えたのは誰もが認めるところであろう。
それでも情報というものには限界がある。事の一部始終を表現し尽くすのはまず無理であるし、また世界各地で日々繰り返されている紛争の全てが情報として発信されている訳でもない。仮に百の雑誌や新聞、そして衛星放送等のテレビやインターネットを見尽くしたとしても、到底世界で起こっている全ての惨状を知り尽くすことは不可能なのだ。
イスラエルの攻撃を受けて犠牲となったガザの市民に世界は同情し、また支援物資を送ったりもした。そして、多くのジャーナリストが停戦後ガザの地を訪れ、それを映画にしたり本にしたり講演を行ったりしてパレスチナ人の悲惨さと救済を訴え続けてた。知識人達も、大学等で講演を行い、ひとつの運動体とも言える程のウエイブが起こった。これはこれで結構なことである。が、その一方で、理不尽で悲惨な紛争の犠牲となって誰にも知られず、ひそかに死んでいっている人達もこの地球上には多くいると言われている。
それを知らない、あるいは知るすべもない我々に対して、現地の状況を実際に知る機会のある国際NGOの人達や、フリーのジャーナリスト達は、一般のメディアには流れない、あるいは意図して流さない世界各地の現状を少しでも多くの人達に知って貰おうと、時に体を張って情報を発信してくれている。
まちがっても、なぜ知らないのか、なぜもっと痛みを感じないのかなどといった押し売りや愚かな批判などはしない。
出来るだけ多くの人達に、世界情勢をもっと知って欲しいから、もっと感じて欲しいから、全身をアンテナにして自らが得た情報を発信し続けるのである。
また、我々情報を受ける側は、巷にある多くの情報を自らの中で取捨選択し、フォーカスしているのである。あれもこれもは、結局浅薄に終わるのだ。あれもこれもに目を向けることを、視野の広さと錯覚してはならない。
また、人間には「馴れ」というものがあり、これが時に「無関心」という状態を生み出してしまう。あることに馴れてしまうことによって、多少のことではそのことに驚かなくなってしまうのだ。
例えば、毎日のように報道されている交通事故死。目の前で実際にその現場を見れば別だが、テレビや新聞等を媒体として、直接自分とは無関係の人間が死んだとして、大半はいちいち心を痛めたり、驚いたりはしない。そういったニュースを食事をしながら、あるいは家事をしながら、何気に聞き流しているのが多くの人達ではないだろうか。こういった人の死すらも、日常茶飯に頻発し、日々メディアで流れると、そのことに馴れてしまって、どこかバーチャル化するというか、現実的な出来事として意識に深く入ってこないのだ。だからといって、そういう無関心や無感動を、「人の命を軽んじている」と批判するだろうか。
ある意味こういった「馴れ」は、人間の持つ防衛本能のひとつともいえるのだ。この一見無関心のような「馴れ」でもって、人は平静に生きられるとも言えるのである。もし、こういった多くの死にいちいち反応し、感情移入していたら、心は疲弊しきって日常に支障を来してしまう。であればこそ、人はその防衛本能のスイッチを無意識下でONにしたり、OFFにしたりしてコントロールしているのだ。
戦争や紛争の問題にしても、一時的には関心を示し、各々あーだこーだと主張してみたところで、時間経過と共にのど元を通り過ぎ、よその国で起こっている戦争や紛争のことを四六時中考えては心痛めたり、何とかしたいと志を立てる人はごく一握りではなかろうか。所詮は対岸の火事といった具合に。
それでも私は自分がその一握りでありたいと思うのだが、現実はやはり自分の日常が第一で、自分の取るに足らない日常の喜怒哀楽で精一杯だ。
そう思うと、あえて危険な地に赴き取材を続けるジャーナリストや、難民へのボランティア活動を続ける人達、そして国境を越える医師団とか、そういった志の高い希有なる人達を尊敬してやまない。
人間が人類として成るためには、チマチマした自己保存本能から離脱していかなくてはならないのだと思う。
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