東京裁判における溥儀の偽証
投稿者: battamother 投稿日時: 2008/12/21 23:36 投稿番号: [115624 / 118550]
ソ連の強制収容所に収監された翌年の1946年に開廷した極東軍事裁判(東京裁判)には、証人として連合国側から指名され、ソ連の監視下において空路東京へ護送され、同年8月16日よりソ連側の証人としてソ連に有利な証言を強要された。その際、板垣征四郎(当時は大佐)から「本庄繁司令官の命令として満洲国における領軸になって欲しい」、という依頼があった事を証言し、「自分の立場は日本の傀儡以外何ものでもない」ことを主張した。
溥儀は法廷において興奮することが多く、「顧問の話では、板垣はもしもこの申し出を拒絶すれば、生命の危険があると脅迫した。それで、両名と顧問の1人の羅振玉は、板垣の申し出を受諾するようにと私に勧めた」、「本当の気持ちは拒絶したかった。しかし4人の顧問は受諾を勧めた。当時、日本軍の圧迫を如何なる民主国家も阻止しなかった。私だけでは抵抗出来なかった」、「私の意志は拒絶するにあったが、武力圧迫を受け、しかも一方に顧問から生命が危険だから応諾せよと勧められて、遂にやむを得ず受諾したのだ」、「日本は満洲を植民地化し、神道による宗教侵略を行おうとした」と証言した。
それ以外にも、「私の妻は日本軍に毒殺された」と興奮しながら語り、日本軍を糾弾するとともに、満洲問題に関する責任は全て日本にあると強調した。これに対して、被告側の弁護団は、反対尋問において、満洲国建国当時の南次郎陸相に送られた、日満提携を認める「宣統帝新書」を証拠として提出して溥儀の証言内容の信憑性を追及した。溥儀の証言は、信憑性が低いとみなされ、判決文において引用されることはなかった。
後に認めた自叙伝『わが半生』では、「今日、あの時の証言を思い返すと、私は非常に残念に思う。私は、当時自分が将来祖国の処罰を受ける事を恐れ」、「自分の罪業を隠蔽し、同時に自分の罪業と関係のある歴史の真相について隠蔽した」と記している。ちなみに、東京裁判において、検察陣から直接尋問を受けた証人は溥儀のみだった。(by Wikipedia)
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「溥儀(ふぎ)」ではなく、「不義」と命名した方が良かったのでは?
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