野蛮な同じ空気を吸うことを・・・
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2007/10/04 22:33 投稿番号: [110209 / 118550]
>貴方は断言出来る程人間的に強いのか?個々の人間は
もっと弱い存在だ。その弱さを自覚した上で反対するのとそうでないのでは雲泥の差なの。
こんな陳腐なことを言って自己満足か?じゃあ私が、「その時になってみなければ分からない」とでも言ったら、納得したのか?そうではないだろう?当然駄々っ子はそこをついて、反論するはずだ。要するに議論のための議論なのだ。全く幼稚な奴だ。
だいたい君は私を知らない。又、私を別にしても、身内を亡くすことなど存在しえない人間がいることさえ想像しない。・・・世の中には強い人間もいる。もちろん弱いから、だからこそ仇討ちを叫ばない人間はいる。仇討ちなどという言葉自体が、殺し屋としての武士階級以外に元もと無縁なのだ。おまけに日本の死刑制度は武士の誕生とともに始まった。(又武士道などという詐欺のような言葉も日本をにぎわす。武士はだまし討ちや計略などを駆使しなくては生き残れない。)・・・まあいい、どうせヒマだろう映画『花よりもなほ』でも見て、弱い武士の仇討ち騒動でも見て頭を冷やせ。
世界中で一方的に殺される人間が、無数いる。そして莫大な被害者遺族が存在する。しかし運良く皆殺しを免れて遺族が存在し得たとしても、仇討ちなど叫ぶ余裕さえない場合もあるし、もちろんほとんどの場合叫んだって何もならない。日本の原爆二発だって同じだ。仇討ちの大合唱など起きなかった。だからこそ、中沢啓治は復讐の漫画を書かざるを得なかったのかもしれぬ。
要するに現代という時代の雰囲気は多分こういうことだ。大罪は許す、しかし、文春や新潮が大騒ぎする凶悪犯は容赦しない。もちろん文春や新潮は大罪を擁護する。おっと、心配するな、こういうことはドイツにもある。
戦争犯罪人には甘く、一般凶悪犯には極刑をと叫ぶ大衆の情動をドイツのダルフ・ジョルダーノが指摘している。【ナチ犯を告訴するのはやめろ、ドイツの裁判所でナチスの審理をするのはやめろ―─一体だれが金を出しているんだ。・・・免罪を求める声はナチ犯だけを対象としている。「集団的情動のその6」の信奉者たちは・・・】、一般凶悪犯には死刑の導入さえ要求するのだそうだ。【】部は『第二の罪』(白水社)の引用。
もちろん「ナチ犯にも死刑を?」と問えば、彼ら彼女らがキョトンとするのは明らかだ。
▼ 国家の「正当な暴力」の行使としての死刑と戦争
『派兵チェック』176号(2007年5月15日発行)掲載
太田昌国
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/kokkano.html
・・・昨年末に執行されたひとりである藤波芳夫死刑囚は75歳であったが、高齢であったこともさることながら、「一人で立つ事もあるく事も出来ないです。半病人です。 法相に抗議 被告人は立つ事も出来ず一歩も歩く事が出来ず 病舎処遇だからです」と訴えた遺書「旅立ちを前に」(前掲『インパクション』掲載)が、読む者に与える悲痛の念に限りはない。
日本での処刑は絞首刑によって行なわれるから、「一人で立つ事も出来ない」人間の処刑が、どんな様態で行なわれたかと想像するだけで、執行現場に居合わせることなく事務室で「任務を全うした」と強弁する法相・長勢が選び取った行為(=執行命令書に判を押す)の本質が浮かび上がる。
同死刑囚は、幽閉されていた東京拘置所の所長はじめ担当職員には感謝の気持ちを述べて、「当局には抗議しないよう」支援者に呼びかけながら、「その分法相に抗議を」と言い、「死刑執行には今後法相にも立会って下さるように」と訴えている。
***
こんな酷い光景を想像できて、それでも「私の身内を殺したあいつだけには死刑!」と叫ぶことができる?
で、どうだ?ここまで書いても「私は仇討ちをしない!叫ばない!」と言っても坊主君は信用しない。それでいいんだ、君は駄々っ子なのだから。もう一つ、仇討ちなど叫ぶと、被害者遺族も犯人が有する野蛮の領域まで落ちていくという意識が私に常にある。「犯人と同じ空気を吸いたくない」という遺族がいるなら、「犯人と同じ野蛮の空気を吸わない」という遺族もいていい。
>本来冤罪の可能性が1%でもあれば死刑は停止ないしは廃止すべきなのだが、ここでも多数決の原理が働いているという事さ。
と死刑是認論に聞こえるだろうが私はコテコテの廃止論者ではあるがその主張の根拠は言い出すと時間かかるから遠慮しておくわ。
このハッタリほら吹き坊主君、お前は精神論や根性論で技術を上げようとするアホスポーツ指導者と一緒だ。ここまでに何か新たな視点でも提供したか?君には何もない、それがすべてだ。それ(=死刑廃止)が、かりそめ\xA4
もっと弱い存在だ。その弱さを自覚した上で反対するのとそうでないのでは雲泥の差なの。
こんな陳腐なことを言って自己満足か?じゃあ私が、「その時になってみなければ分からない」とでも言ったら、納得したのか?そうではないだろう?当然駄々っ子はそこをついて、反論するはずだ。要するに議論のための議論なのだ。全く幼稚な奴だ。
だいたい君は私を知らない。又、私を別にしても、身内を亡くすことなど存在しえない人間がいることさえ想像しない。・・・世の中には強い人間もいる。もちろん弱いから、だからこそ仇討ちを叫ばない人間はいる。仇討ちなどという言葉自体が、殺し屋としての武士階級以外に元もと無縁なのだ。おまけに日本の死刑制度は武士の誕生とともに始まった。(又武士道などという詐欺のような言葉も日本をにぎわす。武士はだまし討ちや計略などを駆使しなくては生き残れない。)・・・まあいい、どうせヒマだろう映画『花よりもなほ』でも見て、弱い武士の仇討ち騒動でも見て頭を冷やせ。
世界中で一方的に殺される人間が、無数いる。そして莫大な被害者遺族が存在する。しかし運良く皆殺しを免れて遺族が存在し得たとしても、仇討ちなど叫ぶ余裕さえない場合もあるし、もちろんほとんどの場合叫んだって何もならない。日本の原爆二発だって同じだ。仇討ちの大合唱など起きなかった。だからこそ、中沢啓治は復讐の漫画を書かざるを得なかったのかもしれぬ。
要するに現代という時代の雰囲気は多分こういうことだ。大罪は許す、しかし、文春や新潮が大騒ぎする凶悪犯は容赦しない。もちろん文春や新潮は大罪を擁護する。おっと、心配するな、こういうことはドイツにもある。
戦争犯罪人には甘く、一般凶悪犯には極刑をと叫ぶ大衆の情動をドイツのダルフ・ジョルダーノが指摘している。【ナチ犯を告訴するのはやめろ、ドイツの裁判所でナチスの審理をするのはやめろ―─一体だれが金を出しているんだ。・・・免罪を求める声はナチ犯だけを対象としている。「集団的情動のその6」の信奉者たちは・・・】、一般凶悪犯には死刑の導入さえ要求するのだそうだ。【】部は『第二の罪』(白水社)の引用。
もちろん「ナチ犯にも死刑を?」と問えば、彼ら彼女らがキョトンとするのは明らかだ。
▼ 国家の「正当な暴力」の行使としての死刑と戦争
『派兵チェック』176号(2007年5月15日発行)掲載
太田昌国
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2007/kokkano.html
・・・昨年末に執行されたひとりである藤波芳夫死刑囚は75歳であったが、高齢であったこともさることながら、「一人で立つ事もあるく事も出来ないです。半病人です。 法相に抗議 被告人は立つ事も出来ず一歩も歩く事が出来ず 病舎処遇だからです」と訴えた遺書「旅立ちを前に」(前掲『インパクション』掲載)が、読む者に与える悲痛の念に限りはない。
日本での処刑は絞首刑によって行なわれるから、「一人で立つ事も出来ない」人間の処刑が、どんな様態で行なわれたかと想像するだけで、執行現場に居合わせることなく事務室で「任務を全うした」と強弁する法相・長勢が選び取った行為(=執行命令書に判を押す)の本質が浮かび上がる。
同死刑囚は、幽閉されていた東京拘置所の所長はじめ担当職員には感謝の気持ちを述べて、「当局には抗議しないよう」支援者に呼びかけながら、「その分法相に抗議を」と言い、「死刑執行には今後法相にも立会って下さるように」と訴えている。
***
こんな酷い光景を想像できて、それでも「私の身内を殺したあいつだけには死刑!」と叫ぶことができる?
で、どうだ?ここまで書いても「私は仇討ちをしない!叫ばない!」と言っても坊主君は信用しない。それでいいんだ、君は駄々っ子なのだから。もう一つ、仇討ちなど叫ぶと、被害者遺族も犯人が有する野蛮の領域まで落ちていくという意識が私に常にある。「犯人と同じ空気を吸いたくない」という遺族がいるなら、「犯人と同じ野蛮の空気を吸わない」という遺族もいていい。
>本来冤罪の可能性が1%でもあれば死刑は停止ないしは廃止すべきなのだが、ここでも多数決の原理が働いているという事さ。
と死刑是認論に聞こえるだろうが私はコテコテの廃止論者ではあるがその主張の根拠は言い出すと時間かかるから遠慮しておくわ。
このハッタリほら吹き坊主君、お前は精神論や根性論で技術を上げようとするアホスポーツ指導者と一緒だ。ここまでに何か新たな視点でも提供したか?君には何もない、それがすべてだ。それ(=死刑廃止)が、かりそめ\xA4
これは メッセージ 110192 (bouzumarumouke7 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019567/bpa5a4a5ia5afipno9tbbh_1/110209.html