東海村【臨界事故】の住民
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2007/07/22 00:11 投稿番号: [107845 / 118550]
★私たちの苦しみと健康被害裁判
JCO臨界事故被害裁判原告 大泉 昭一
私達夫婦にとって忘れようとしても一生忘れることの出来ないJCO臨界事故であります。二十世紀末、最後の最悪の悲劇を体験し、今でも私達の苦しみは大です。
日本の原子力史上最悪の事故で、それは決して過去の事故の物語ではなく、今でも多くの問題を残しています。事故は経済性を優先させ、安全性を切り捨てた結果起こったが、その全体像はいまだに明らかになったとはいえず未解明のままです。
経済性を優先し安全性(健康被害)軽視の体質改善もされず、それは原子力産業界全体の根本的な構造です。
推進側はあれだけ多くの被害を生み出していながら、事故から何ひとつ学び取っていないことが大きく浮き彫りにされています。
【JCO臨界事故によって多くのヒバクシャが生み出されたが、未だに住民は十分なケアも補償もされないまま放置されています。健康被害に対するJCOや行政の無責任な対応は絶対許すことは出来ません。】
・・
裁判の回数は十八回となり、今回は二人の先生が証人となりました。阪南中央病院村田先生は低線量被曝による健康問題について詳細に説明された。
埼玉大学名誉教授で遺伝学を専門とする市川先生は、ムラサキツユクサによる微量放射線の検出、低レベル放射線の人体への影響、中性子線の危険について説明された。
これらに対して被告側弁護士の反論は、シドロモドロと見受けられた。
・・
JCO臨界事故から七年がすぎて
JCO臨界事故被害裁判原告 大泉 恵子
臨界事故以来すでに七年目に入りました。心も体もゆっくりと快方に向かっています。いまだに病院には通い続けていますが、体力のおとろえや集中力のなさはどうすることも出来ません。これは主人にも同じことがいえます。
内科に皮膚科、眼科に整形と体の不調はあちこちに出て来ています。
・・
事故直後からのはげしい下痢に始まり、毎夜の悪夢、口内炎により歯もみがくことができません。
寝ていても体はだるく毎日死ぬ事ばかり考えていました。
忙しいのに仕事の出来ない罪悪感やろくな料理も出来ない自己嫌悪と自分をせめつづけてばかり、最後は死ぬことにより解決しようと変な所にたどりついてしまうのです。
その後のパニックについては自分の思いとうらはらに体が反応してしまう為にどうすることも出来ません。不安と恐怖感はその後薬を飲むことによりやわらいで来たのですが、いつもボーッと生きて来たように思います。
早く立ち直らなければとあせる気持ちとこのままでも生きてゆけると自分なりに折合いをつけて心の中を整理しています。
裁判所に行く時はいつも大きな覚悟をして出向きます。でも私達の苦しみや悲しみは、けして相手に通じることはないようです。
反対に取るにたらないささいなこととして片づけようとしています。不利になるような事ばかりをカルテから取り上げ原告いじめをしているように感じました。・・
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/kuroha/jco_higaisaiban_sien18.htm
★1.住民の被曝や風評被害、心理的影響などについて
事故後、住民の被曝者たちは、「臨界事故被害者の会」を結成し、JCO と交渉を続けてきましたが、十分な対応はありません。
現場から120mしか離れていない自分の工場で働いていた大泉昭一さん、恵子さん夫妻は、体調悪化のため工場も廃業せざるを得ず、
ついに,2002年9月3日、損害賠償を求めてJCO と親会社の住友金属鉱山を水戸地裁に訴えて、民事訴訟を起こしました。被曝の真実を知ってもらうためです。
住民には様々な心理的影響も広がっています。今後実態調査や心身のケアーを行ってゆくことが望まれます。また,風評被害を含めた経済的な損害も大きく、被害者補償の課題は困難を極めています。
(損害補償や心理的影響については「JCO臨界事故と日本の原子力行政」七ッ森書館を参照してください。)
2.防災対策
原子力の中心地東海村での臨界事故は、
【日本には原子力事故に対する現実的な備えが全くなかった】ことを露呈しました。
「事故などありえない」と決めつけていたからです。今後は、原子力政策を抜本的に見直すとともに、万が一に備え、防災体制を整えることが大切です。
・・
http://www.nuketext.org/jco.html
JCO臨界事故被害裁判原告 大泉 昭一
私達夫婦にとって忘れようとしても一生忘れることの出来ないJCO臨界事故であります。二十世紀末、最後の最悪の悲劇を体験し、今でも私達の苦しみは大です。
日本の原子力史上最悪の事故で、それは決して過去の事故の物語ではなく、今でも多くの問題を残しています。事故は経済性を優先させ、安全性を切り捨てた結果起こったが、その全体像はいまだに明らかになったとはいえず未解明のままです。
経済性を優先し安全性(健康被害)軽視の体質改善もされず、それは原子力産業界全体の根本的な構造です。
推進側はあれだけ多くの被害を生み出していながら、事故から何ひとつ学び取っていないことが大きく浮き彫りにされています。
【JCO臨界事故によって多くのヒバクシャが生み出されたが、未だに住民は十分なケアも補償もされないまま放置されています。健康被害に対するJCOや行政の無責任な対応は絶対許すことは出来ません。】
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裁判の回数は十八回となり、今回は二人の先生が証人となりました。阪南中央病院村田先生は低線量被曝による健康問題について詳細に説明された。
埼玉大学名誉教授で遺伝学を専門とする市川先生は、ムラサキツユクサによる微量放射線の検出、低レベル放射線の人体への影響、中性子線の危険について説明された。
これらに対して被告側弁護士の反論は、シドロモドロと見受けられた。
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JCO臨界事故から七年がすぎて
JCO臨界事故被害裁判原告 大泉 恵子
臨界事故以来すでに七年目に入りました。心も体もゆっくりと快方に向かっています。いまだに病院には通い続けていますが、体力のおとろえや集中力のなさはどうすることも出来ません。これは主人にも同じことがいえます。
内科に皮膚科、眼科に整形と体の不調はあちこちに出て来ています。
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事故直後からのはげしい下痢に始まり、毎夜の悪夢、口内炎により歯もみがくことができません。
寝ていても体はだるく毎日死ぬ事ばかり考えていました。
忙しいのに仕事の出来ない罪悪感やろくな料理も出来ない自己嫌悪と自分をせめつづけてばかり、最後は死ぬことにより解決しようと変な所にたどりついてしまうのです。
その後のパニックについては自分の思いとうらはらに体が反応してしまう為にどうすることも出来ません。不安と恐怖感はその後薬を飲むことによりやわらいで来たのですが、いつもボーッと生きて来たように思います。
早く立ち直らなければとあせる気持ちとこのままでも生きてゆけると自分なりに折合いをつけて心の中を整理しています。
裁判所に行く時はいつも大きな覚悟をして出向きます。でも私達の苦しみや悲しみは、けして相手に通じることはないようです。
反対に取るにたらないささいなこととして片づけようとしています。不利になるような事ばかりをカルテから取り上げ原告いじめをしているように感じました。・・
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/kuroha/jco_higaisaiban_sien18.htm
★1.住民の被曝や風評被害、心理的影響などについて
事故後、住民の被曝者たちは、「臨界事故被害者の会」を結成し、JCO と交渉を続けてきましたが、十分な対応はありません。
現場から120mしか離れていない自分の工場で働いていた大泉昭一さん、恵子さん夫妻は、体調悪化のため工場も廃業せざるを得ず、
ついに,2002年9月3日、損害賠償を求めてJCO と親会社の住友金属鉱山を水戸地裁に訴えて、民事訴訟を起こしました。被曝の真実を知ってもらうためです。
住民には様々な心理的影響も広がっています。今後実態調査や心身のケアーを行ってゆくことが望まれます。また,風評被害を含めた経済的な損害も大きく、被害者補償の課題は困難を極めています。
(損害補償や心理的影響については「JCO臨界事故と日本の原子力行政」七ッ森書館を参照してください。)
2.防災対策
原子力の中心地東海村での臨界事故は、
【日本には原子力事故に対する現実的な備えが全くなかった】ことを露呈しました。
「事故などありえない」と決めつけていたからです。今後は、原子力政策を抜本的に見直すとともに、万が一に備え、防災体制を整えることが大切です。
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http://www.nuketext.org/jco.html
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