Re: masajuly2001さん、気になる慰安婦
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2007/06/23 23:02 投稿番号: [106628 / 118550]
>何か日本人男子に恨みでもあるのかな?
いえいえ、加害を否定する政治中枢が存在し続け、
それでは余りにも【性奴隷被害者達】に申し訳ないという気持ちから、投稿しています。
>今セックスレス夫婦などが社会問題となっているようだが、
妻以外なら・・と言う男もいるんでしょ。
>個人的にあちこち旅して分ったことは、好き者は民族国籍を問わずやりまくり、そうでないものはやらない。
唯それだけのこと。
日本人が日本人がとあげつらっても余り意味もないような気がしますね。
キーセン観光は、日本人が主体でした。(持ち出したのは雅さんです)
買春は【カネを持った男が貧しい女を買う】という構図だとすれば、
先進国【アジアでは日本でした】の男が、アジアの貧しい女を。
★興味深い話がある。1941年11月、ビルマ建国の父・アウンサン将軍
(ビルマ民主化運動の指導者アウンサン・スーチーさんはその娘)の訪日の折りの話である。
「皇居訪問などの挨拶まわりなどが終わると、
日本軍の南方謀略工作を所管していた陸軍参謀本部第8課の鈴木大佐は、
ビルマ独立の軍事作戦を協議する前に、遊郭へ行き女を世話しようという。
その日まで女性と性的な関係を持ったことのないアウンサンは直ちに断るが、
大佐は『何も恥ずかしがることはない、入浴するようなものだ』と言って執拗に勧めた」というのである
(中村尚司「アウンサン・スーチーさんの語る日本人男性観」『アジアに生きる女たちの21世紀』1996年冬季号)。
ことほどさような人権感覚であったから、軍が「慰安所制度」をまたたくまにつくりあげ、
植民地や占領地の朝鮮や台湾、中国など多くのアジア人女性を「慰安婦」とし、性的蹂躙をかくもすみやかに大々的に行えたのである
・・
日本は1925年、「婦女売買禁止条約」加盟にあたって、内務省と外務
省との間で年齢問題の論議が交わされたことは、#1902<梶山発言と公娼制度>に述べたとおりです。
その当時、内務省は意外にも基本的に「公娼制度の存在は道義上および国家の体面上、きわめて望ましくない」という認識を持っていました。
・・ こうした時代の流れやモラルに反して、大量に作られていったのがいうまでもなく戦地の「慰安所」でした。
【こうした「慰安所」はあくまで軍本意であり、その論理の前には日本内地のモラルや公娼制度のある種の規制などまるで問題になりませんでした。】
・・
こうしたモラルが1980年ころの、「日韓ビジネスに女は不可欠」とい
う呉善花さんが主張する「常識」を生む素地になったのではないかと思います。
こうまで猖獗を極めたキーセン観光について、かって「従軍慰安婦」という新語をつくった千田夏光氏はその著書に次のように記しました。
「(著書の)『従軍慰安婦』を書くとき、かって従軍慰安婦の草刈り場に
していた朝鮮へ取材に行き、眼をおおうキーセン観光にソウルの街でたちすくんだ。キーセン観光に狂う日本人に、往事の軍刀をならしまくる軍人の姿が重なってきて仕方がなかった」
この「眼をおおうキーセン観光」について、ひとまずその推移を引用したいと思います(金富子他「朝鮮人女性がみた『慰安婦問題』」三一新書)。
ーーーーーーーーーーーーー
韓日条約が締結された1965年には3万人程度だった観光客は、70年
代に入り、朴政権の外貨獲得のための観光振興政策によって急増し、73年に
は68万に達した。
【そのうち47万人、70%が日本人観光客であり、さらに
そのほとんどがキーセンめあての男性の団体客】であった。
こうして「国策」としての観光振興政策の結果、73年の観光収入は2億7千万ドルに達した。これはベトナム戦争派兵の見返りで得た特需1億5千万ドル(68年)に比べても、はるかに上回っている。
当時、朴政権は貿易収支の赤字をベトナム派兵=若者の命で補い、今度はキーセン観光=若い女性の肉体でうめているとさえいわれた。同年6月文教部長官は売春を愛国的行為として奨励する発言さえはばからなかったのである。
・・
反対運動を意識した観光業界も表向きは目立たない形をとるなかでキーセン観光は定着していった。
http://www.han.org/a/half-moon/hm029.html
いえいえ、加害を否定する政治中枢が存在し続け、
それでは余りにも【性奴隷被害者達】に申し訳ないという気持ちから、投稿しています。
>今セックスレス夫婦などが社会問題となっているようだが、
妻以外なら・・と言う男もいるんでしょ。
>個人的にあちこち旅して分ったことは、好き者は民族国籍を問わずやりまくり、そうでないものはやらない。
唯それだけのこと。
日本人が日本人がとあげつらっても余り意味もないような気がしますね。
キーセン観光は、日本人が主体でした。(持ち出したのは雅さんです)
買春は【カネを持った男が貧しい女を買う】という構図だとすれば、
先進国【アジアでは日本でした】の男が、アジアの貧しい女を。
★興味深い話がある。1941年11月、ビルマ建国の父・アウンサン将軍
(ビルマ民主化運動の指導者アウンサン・スーチーさんはその娘)の訪日の折りの話である。
「皇居訪問などの挨拶まわりなどが終わると、
日本軍の南方謀略工作を所管していた陸軍参謀本部第8課の鈴木大佐は、
ビルマ独立の軍事作戦を協議する前に、遊郭へ行き女を世話しようという。
その日まで女性と性的な関係を持ったことのないアウンサンは直ちに断るが、
大佐は『何も恥ずかしがることはない、入浴するようなものだ』と言って執拗に勧めた」というのである
(中村尚司「アウンサン・スーチーさんの語る日本人男性観」『アジアに生きる女たちの21世紀』1996年冬季号)。
ことほどさような人権感覚であったから、軍が「慰安所制度」をまたたくまにつくりあげ、
植民地や占領地の朝鮮や台湾、中国など多くのアジア人女性を「慰安婦」とし、性的蹂躙をかくもすみやかに大々的に行えたのである
・・
日本は1925年、「婦女売買禁止条約」加盟にあたって、内務省と外務
省との間で年齢問題の論議が交わされたことは、#1902<梶山発言と公娼制度>に述べたとおりです。
その当時、内務省は意外にも基本的に「公娼制度の存在は道義上および国家の体面上、きわめて望ましくない」という認識を持っていました。
・・ こうした時代の流れやモラルに反して、大量に作られていったのがいうまでもなく戦地の「慰安所」でした。
【こうした「慰安所」はあくまで軍本意であり、その論理の前には日本内地のモラルや公娼制度のある種の規制などまるで問題になりませんでした。】
・・
こうしたモラルが1980年ころの、「日韓ビジネスに女は不可欠」とい
う呉善花さんが主張する「常識」を生む素地になったのではないかと思います。
こうまで猖獗を極めたキーセン観光について、かって「従軍慰安婦」という新語をつくった千田夏光氏はその著書に次のように記しました。
「(著書の)『従軍慰安婦』を書くとき、かって従軍慰安婦の草刈り場に
していた朝鮮へ取材に行き、眼をおおうキーセン観光にソウルの街でたちすくんだ。キーセン観光に狂う日本人に、往事の軍刀をならしまくる軍人の姿が重なってきて仕方がなかった」
この「眼をおおうキーセン観光」について、ひとまずその推移を引用したいと思います(金富子他「朝鮮人女性がみた『慰安婦問題』」三一新書)。
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韓日条約が締結された1965年には3万人程度だった観光客は、70年
代に入り、朴政権の外貨獲得のための観光振興政策によって急増し、73年に
は68万に達した。
【そのうち47万人、70%が日本人観光客であり、さらに
そのほとんどがキーセンめあての男性の団体客】であった。
こうして「国策」としての観光振興政策の結果、73年の観光収入は2億7千万ドルに達した。これはベトナム戦争派兵の見返りで得た特需1億5千万ドル(68年)に比べても、はるかに上回っている。
当時、朴政権は貿易収支の赤字をベトナム派兵=若者の命で補い、今度はキーセン観光=若い女性の肉体でうめているとさえいわれた。同年6月文教部長官は売春を愛国的行為として奨励する発言さえはばからなかったのである。
・・
反対運動を意識した観光業界も表向きは目立たない形をとるなかでキーセン観光は定着していった。
http://www.han.org/a/half-moon/hm029.html
これは メッセージ 106618 (namahamu3mai さん)への返信です.
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