司馬の先見性と先見性の無さ…
投稿者: messi19 投稿日時: 2007/03/26 21:45 投稿番号: [103877 / 118550]
私が「人間の集団について」で、司馬のベトナム戦争への批判を、「南ベトナムへの批判」としたのは、「取材をする者」として、南の安全な空間で、ベトナム戦争について語っただけで、彼には見たこともない「北」や「解放戦線」を語る資格が無いので、少なくとも彼が批判できるのは「南」だけであると思ったので、そう書いたまでの事である。
彼は「人間の集団について」の中で、この戦争は「ベトナム人が一人も居なくなるまで続くだろう…」と言っている。その理由として、「自分達で武器を作る事をせず、ただ無制限に大量の武器・弾薬を与えられ、負ける事も許されない戦いを強いられている」から…そして、地政学的に対峙する二つに勢力が決定的な勝敗を付けるような「場所」(例えば関ヶ原のような…ゲティスバーグのような…)が無いこと…少なくともサイゴンは針鼠の様に守られた難攻不落な要塞都市である点…などを挙げているが…司馬が南ベトナムを離れて(1973年)それほど遠くない将来に於いて、何が有ったかは明白な事実である。「北」や「解放戦」に対する取材をしっかりしていれば、間違う事も無かったかも知れないが、…命知らずの記者ではない…単なる物書きの限界は、致し方無いことでもある…
もちろん、その後カンボジアのベトナム系住民への迫害を含む恐怖政治に対抗するためと、膨大なカンボジア難民を食い止めるために行った戦争と、ポルポト支配に肯定的だった中国との戦になってしまったことは、真に不幸な出来事であったが…少なくともそれはベトナム戦争の残務整理だったとも言えよう。司馬の言う、「器械運動」の範疇に入る戦いでは無い。
更に、司馬はこの書物の中で、この他にもその先見性の無さを路程している…ベトナム人の抗戦性の強さを、仏教徒として「輪廻転生」を信じているからで、彼らがイスラム教徒やキリスト教徒であったら、ああ言った死をも恐れぬ行動には出ないだろう…と言うのである。…今、イラクで見られる自爆テロを見たら、司馬はどう思ったであろうか???
それでも、本書において、鋭い洞察力を見せて居る部分は無いのか…勿論ある…それは、「世界政略の虚構」と言うパラグラフである。その中で司馬は…
「…反共と言うこの不思議な思想ほど、二十世紀後半の政治を混乱させてきたものはない。だれが社会主義者であれ、またどこの国が社会主義体制をとろうが、あくまでもそれぞれの事情によるもので他者にとってはほとんど意ちするに足りないはずのものであるのに、ひとたび反共という魔術にかかる場合、視界にことごとく幼児のような幻想が立ち現れ、それを退治するためにはあらゆるものを犠牲にしてもかまわないと言う、呪術的昂奮に駆られる。…」とのべ
「米国が何故ベトナムの内乱に介入し、あれほどまでに血狂いしたかた言えば…」その、防共と言う呪術に支配されてしまったから…とも述べている。(「人間の集団について」P30〜31)
米国が呪術に支配されるのは、防共と言う文字だけでは無いことは、この度のイラク侵略を見れば分かることだが…司馬は、この点では、概ね正しい目を持ってたと言えよう。
まあ、無批判に礼賛する程の「書」では無いし(そんな書物の読み方も無いが…)、何よりも古いが、ベトナム人やベトナムの歴史を知るための参考資料としては良い読み物だろう。
彼は「人間の集団について」の中で、この戦争は「ベトナム人が一人も居なくなるまで続くだろう…」と言っている。その理由として、「自分達で武器を作る事をせず、ただ無制限に大量の武器・弾薬を与えられ、負ける事も許されない戦いを強いられている」から…そして、地政学的に対峙する二つに勢力が決定的な勝敗を付けるような「場所」(例えば関ヶ原のような…ゲティスバーグのような…)が無いこと…少なくともサイゴンは針鼠の様に守られた難攻不落な要塞都市である点…などを挙げているが…司馬が南ベトナムを離れて(1973年)それほど遠くない将来に於いて、何が有ったかは明白な事実である。「北」や「解放戦」に対する取材をしっかりしていれば、間違う事も無かったかも知れないが、…命知らずの記者ではない…単なる物書きの限界は、致し方無いことでもある…
もちろん、その後カンボジアのベトナム系住民への迫害を含む恐怖政治に対抗するためと、膨大なカンボジア難民を食い止めるために行った戦争と、ポルポト支配に肯定的だった中国との戦になってしまったことは、真に不幸な出来事であったが…少なくともそれはベトナム戦争の残務整理だったとも言えよう。司馬の言う、「器械運動」の範疇に入る戦いでは無い。
更に、司馬はこの書物の中で、この他にもその先見性の無さを路程している…ベトナム人の抗戦性の強さを、仏教徒として「輪廻転生」を信じているからで、彼らがイスラム教徒やキリスト教徒であったら、ああ言った死をも恐れぬ行動には出ないだろう…と言うのである。…今、イラクで見られる自爆テロを見たら、司馬はどう思ったであろうか???
それでも、本書において、鋭い洞察力を見せて居る部分は無いのか…勿論ある…それは、「世界政略の虚構」と言うパラグラフである。その中で司馬は…
「…反共と言うこの不思議な思想ほど、二十世紀後半の政治を混乱させてきたものはない。だれが社会主義者であれ、またどこの国が社会主義体制をとろうが、あくまでもそれぞれの事情によるもので他者にとってはほとんど意ちするに足りないはずのものであるのに、ひとたび反共という魔術にかかる場合、視界にことごとく幼児のような幻想が立ち現れ、それを退治するためにはあらゆるものを犠牲にしてもかまわないと言う、呪術的昂奮に駆られる。…」とのべ
「米国が何故ベトナムの内乱に介入し、あれほどまでに血狂いしたかた言えば…」その、防共と言う呪術に支配されてしまったから…とも述べている。(「人間の集団について」P30〜31)
米国が呪術に支配されるのは、防共と言う文字だけでは無いことは、この度のイラク侵略を見れば分かることだが…司馬は、この点では、概ね正しい目を持ってたと言えよう。
まあ、無批判に礼賛する程の「書」では無いし(そんな書物の読み方も無いが…)、何よりも古いが、ベトナム人やベトナムの歴史を知るための参考資料としては良い読み物だろう。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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