『戦争の霧』のマクナマラの言い訳
投稿者: syoumenkyousi 投稿日時: 2007/03/24 15:16 投稿番号: [103837 / 118550]
休みの日に雨が降るとホットします。晴れるとそわそわして休めないからね。
さて今日の夜、テレビ衛星第一で「混迷イラク、さまよえる100万人」が放映されます。
掲示板で個人の悪口に明け暮れても大して得るものもないでしょう。たまには映像や本で他の情報に触れましょう。
今、選挙戦たけなわですが、米国が昔ベトナムでしたことは選挙妨害が最初の目的でした。その後破壊しつくし、ベトナムの発展を50年遅らせたそうです。負けた侵略戦争でしたが、その意味では大勝利でした。
『フォッグ・オブ・ウォー』を見て―─。
マクナマラ曰く―─
(1964年)8月4日の攻撃はなかったのだ
誤認だった
8月2日の攻撃についても議論があったが、こっちは事実だった・・・
つまり我々の判断は一つは正しく一つは誤っていた
ジョンソンは報復攻撃を許可した
・・・誤った事実に基づいてだが
この際それは問題ではない
***
マクナマラは8月2日の攻撃について、【公海にいたので明白な侵略行為だ】と述べていますが、北ベトナム側の主張を見てみましょう
▼現代史・ベトナム戦争編
第1次トンキン湾事件
http://www.mekong.ne.jp/directory/history/tonkinwanjiken.htm
***
泥棒にも三分の理といいますが、強盗には一分の理とはいいませんね(笑)。
まあそれはともかく、「自由と民主主義」が大好きなテロ国家アメリカがベトナムを侵略するのは“民主選挙”を嫌がったためですね。
▼外交文書公開
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/1190/
・・・
トンキン湾事件 ベトナムのトンキン湾で米駆逐艦が1964年8月2日と4日の2度、北ベトナムの魚雷艇から攻撃を受けたとして、米軍は5日、北ベトナム海軍基地などを報復爆撃した。米議会は7日、ジョンソン大統領に東南アジアでの戦争権限を広範に与える「トンキン湾決議」を可決、本格的な北爆など戦争の拡大、泥沼化に突入する契機となった。しかし後に、北ベトナム側の最初の攻撃は米側のスパイ活動の結果起きたもので、2度目は攻撃の事実自体がでっち上げだったと判明。米国批判が高まる一因にもなった。
▼国名で考えるベトナム現代史
・・・1954年のディエン・ビエンフーの戦いで、ベトナム民主共和国はフランスに対して決定的勝利を収めました。その軍事的勝利のなか、ジュネーブ和平協定が締結されました(1954年)。これで停戦は実現しましたが、北緯17度線を境にしてベトナムは南北に分断されることになりました。当初の予定ではこの分断は一時的なものであり、1956年に自由選挙を行い、統一を図ることが決まっていました。ところが、フランスの後に乗り込んできたアメリカ合衆国はホーチミンの人気を恐れ、選挙での彼らの勝利を恐れ、自由選挙の約束を破ったのです。こうして、北緯17度線を境にして、事実上、ベトナムは北と南に分断されてしまったのです。
さて今日の夜、テレビ衛星第一で「混迷イラク、さまよえる100万人」が放映されます。
掲示板で個人の悪口に明け暮れても大して得るものもないでしょう。たまには映像や本で他の情報に触れましょう。
今、選挙戦たけなわですが、米国が昔ベトナムでしたことは選挙妨害が最初の目的でした。その後破壊しつくし、ベトナムの発展を50年遅らせたそうです。負けた侵略戦争でしたが、その意味では大勝利でした。
『フォッグ・オブ・ウォー』を見て―─。
マクナマラ曰く―─
(1964年)8月4日の攻撃はなかったのだ
誤認だった
8月2日の攻撃についても議論があったが、こっちは事実だった・・・
つまり我々の判断は一つは正しく一つは誤っていた
ジョンソンは報復攻撃を許可した
・・・誤った事実に基づいてだが
この際それは問題ではない
***
マクナマラは8月2日の攻撃について、【公海にいたので明白な侵略行為だ】と述べていますが、北ベトナム側の主張を見てみましょう
▼現代史・ベトナム戦争編
第1次トンキン湾事件
http://www.mekong.ne.jp/directory/history/tonkinwanjiken.htm
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泥棒にも三分の理といいますが、強盗には一分の理とはいいませんね(笑)。
まあそれはともかく、「自由と民主主義」が大好きなテロ国家アメリカがベトナムを侵略するのは“民主選挙”を嫌がったためですね。
▼外交文書公開
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/1190/
・・・
トンキン湾事件 ベトナムのトンキン湾で米駆逐艦が1964年8月2日と4日の2度、北ベトナムの魚雷艇から攻撃を受けたとして、米軍は5日、北ベトナム海軍基地などを報復爆撃した。米議会は7日、ジョンソン大統領に東南アジアでの戦争権限を広範に与える「トンキン湾決議」を可決、本格的な北爆など戦争の拡大、泥沼化に突入する契機となった。しかし後に、北ベトナム側の最初の攻撃は米側のスパイ活動の結果起きたもので、2度目は攻撃の事実自体がでっち上げだったと判明。米国批判が高まる一因にもなった。
▼国名で考えるベトナム現代史
・・・1954年のディエン・ビエンフーの戦いで、ベトナム民主共和国はフランスに対して決定的勝利を収めました。その軍事的勝利のなか、ジュネーブ和平協定が締結されました(1954年)。これで停戦は実現しましたが、北緯17度線を境にしてベトナムは南北に分断されることになりました。当初の予定ではこの分断は一時的なものであり、1956年に自由選挙を行い、統一を図ることが決まっていました。ところが、フランスの後に乗り込んできたアメリカ合衆国はホーチミンの人気を恐れ、選挙での彼らの勝利を恐れ、自由選挙の約束を破ったのです。こうして、北緯17度線を境にして、事実上、ベトナムは北と南に分断されてしまったのです。
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