nao-takato 2006-06-22
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2007/02/12 02:04 投稿番号: [102202 / 118550]
『犯罪被害者の気持ち』
夕べ、ラマディの友人と連絡が取れました。生きていました。連絡が取れてホッとしたのですが、反面とても心配になりました。なぜなら、連絡が取れるということは町の中にいるということです。また、この状況下でインターネットをやっている所を見つかれば、米軍に連行されるか殺される可能性が高いからです。
先週のうちに、彼は家族全員を郊外に避難させていましたが、いまだ逃げられずにいる家族たちのサポートに奔走しているということでした。それももう終わった、と彼は言いますが、そのまま町の中に残っているのがとても気になりました。
「早く町を出て。町にいれば全員が戦闘員としてみなされて殺されるよ!」と私は言いましたが、そんなことは彼は百も承知です。彼は、激しい怒りに突き動かされそうになる自分と、平
和的手段を選ぼうとする自分との狭間で葛藤していたのです。私はとても焦りました。
彼は何度も言いました。「僕の兄貴は死ぬまでその血を流し続けた……。米軍は通してくれなかった……」と。
彼の母親はお兄さんが亡くなったことのショックで寝込んでしまったそうです。死んだお兄さんは名前をバシムさんといい、1975年生まれ(31歳)でした。友人とは1歳違いで双子のように育ったそうです。お兄さんには妻と2人の子どもがいました。末っ子は、以前にここで紹介したラマディからの手紙3にも出てくる、戦闘中に生まれたアイーアちゃんです(アヤちゃんとも発音する)。アイーアとは奇跡という意味です。昨年の10月10日に生まれたばかりです。
長男はまだ3歳未満だそうです。彼の名はラフマンと言います。ラフマンは友人に「父ちゃんはどこ?お菓子とおもちゃを買ってきてくれるって言ってたのに…。父ちゃんはどこに行ったの?」と毎日聞くのだそうです。
「バシムに会いたい……兄貴に会いたい」と彼は言っていました。
私は彼に「武器ではなく、ペンを持て」と言いました。あなたが書いたラマディレポートは、より多くの人々の心を動かしている。やっと、やっと、あなたは自分たちの叫びを聞いてもらえる機会を作ることができたのだ。より多くの人が、あなたの叫びを聞く準備を整えた。だから、武器ではなくてペンを持って。あなたの張り裂けそうな怒りと憎しみをペンで吐き出して。今、あなたに冷静になれとは言わない。でも、その激しい怒りをペンでぶつけてきてほしい。それを私たちは受け止めるから。あなたは、真に平和を体現する人間で、私たちにはそれをサポートする責任があるのだから。
私は思います。彼は本当に平和を体現している人間でした。彼はいつも家族を殺された人たちに、報復の連鎖に巻き込まれないようにと説得して歩いていました。「破壊よりも再建を」、それは彼の強い信念でした。
最後に彼はこんな風に言いました。
「心配しないで、僕はわかっているんだ。自分が今何をすべきかをね。僕は家族を守らなくちゃならない。残された子どもたちも僕を必要としている。生きて行かなきゃならないんだ。大丈夫。僕は信念を守り通すよ。僕の中に平和は生きてるよ」
強い衝撃と深い悲しみの中で、彼は自分自身と戦っていました。雨あられのごとく、ふりかかる「犯罪」を受けながら……。
私は彼に謝りました。ファルージャの悲劇を再びくり返してしまっこと……。検問所からケガをしたお兄さんを通過させることさえできなかったことを……。
---------------- -
そして今現在も米軍によるイラク人に対する戦争犯罪は繰り返されている。
夕べ、ラマディの友人と連絡が取れました。生きていました。連絡が取れてホッとしたのですが、反面とても心配になりました。なぜなら、連絡が取れるということは町の中にいるということです。また、この状況下でインターネットをやっている所を見つかれば、米軍に連行されるか殺される可能性が高いからです。
先週のうちに、彼は家族全員を郊外に避難させていましたが、いまだ逃げられずにいる家族たちのサポートに奔走しているということでした。それももう終わった、と彼は言いますが、そのまま町の中に残っているのがとても気になりました。
「早く町を出て。町にいれば全員が戦闘員としてみなされて殺されるよ!」と私は言いましたが、そんなことは彼は百も承知です。彼は、激しい怒りに突き動かされそうになる自分と、平
和的手段を選ぼうとする自分との狭間で葛藤していたのです。私はとても焦りました。
彼は何度も言いました。「僕の兄貴は死ぬまでその血を流し続けた……。米軍は通してくれなかった……」と。
彼の母親はお兄さんが亡くなったことのショックで寝込んでしまったそうです。死んだお兄さんは名前をバシムさんといい、1975年生まれ(31歳)でした。友人とは1歳違いで双子のように育ったそうです。お兄さんには妻と2人の子どもがいました。末っ子は、以前にここで紹介したラマディからの手紙3にも出てくる、戦闘中に生まれたアイーアちゃんです(アヤちゃんとも発音する)。アイーアとは奇跡という意味です。昨年の10月10日に生まれたばかりです。
長男はまだ3歳未満だそうです。彼の名はラフマンと言います。ラフマンは友人に「父ちゃんはどこ?お菓子とおもちゃを買ってきてくれるって言ってたのに…。父ちゃんはどこに行ったの?」と毎日聞くのだそうです。
「バシムに会いたい……兄貴に会いたい」と彼は言っていました。
私は彼に「武器ではなく、ペンを持て」と言いました。あなたが書いたラマディレポートは、より多くの人々の心を動かしている。やっと、やっと、あなたは自分たちの叫びを聞いてもらえる機会を作ることができたのだ。より多くの人が、あなたの叫びを聞く準備を整えた。だから、武器ではなくてペンを持って。あなたの張り裂けそうな怒りと憎しみをペンで吐き出して。今、あなたに冷静になれとは言わない。でも、その激しい怒りをペンでぶつけてきてほしい。それを私たちは受け止めるから。あなたは、真に平和を体現する人間で、私たちにはそれをサポートする責任があるのだから。
私は思います。彼は本当に平和を体現している人間でした。彼はいつも家族を殺された人たちに、報復の連鎖に巻き込まれないようにと説得して歩いていました。「破壊よりも再建を」、それは彼の強い信念でした。
最後に彼はこんな風に言いました。
「心配しないで、僕はわかっているんだ。自分が今何をすべきかをね。僕は家族を守らなくちゃならない。残された子どもたちも僕を必要としている。生きて行かなきゃならないんだ。大丈夫。僕は信念を守り通すよ。僕の中に平和は生きてるよ」
強い衝撃と深い悲しみの中で、彼は自分自身と戦っていました。雨あられのごとく、ふりかかる「犯罪」を受けながら……。
私は彼に謝りました。ファルージャの悲劇を再びくり返してしまっこと……。検問所からケガをしたお兄さんを通過させることさえできなかったことを……。
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そして今現在も米軍によるイラク人に対する戦争犯罪は繰り返されている。
これは メッセージ 102180 (jyonnconner さん)への返信です.
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