自衛隊ベビー
投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2007/01/08 22:41 投稿番号: [100116 / 118550]
★私達の「美しい国へ」
<1>
自衛隊ベビー
■カンボジア支援NPO副理事長田口嘉孝さん
戦後レジーム(体制)からの脱却を掲げる安倍内閣が発足して三カ月。
昨年末には、改正教育基本法などを一気に成立させ、今年はいよいよ、本丸の憲法改正論議も本格化する雲行きだ。
愛国心や公共の精神などを強いる復古的な空気がまん延する中、果たして戦後体制を支えてきた価値観は大きく変わったのだろうか。
職場や地域、ボランティアなどの現場で、それぞれの人が抱く「私たちの『美しい国へ』」をお届けする。
鼻先で閉じられた戸がピシャリと音をたてた気がした。一九九六年二月、青森県の温泉町。「はるばる来て、このざまか」。田口嘉孝は、あざ笑うような曇り空を睨(にら)みつけた。フォイの顔が浮かんだ。
その前年、カンボジアのタケオ県。田口は自衛隊PKO(国連平和維持活動)部隊の宿営地跡を見渡していた。
「自衛隊ベビーがいるらしい」。そんなうわさを聞き込んできたのだ。
「現地女性をはらませた自衛隊員−正義感?」。自問自答して苦笑した。「柄じゃないっての」。自分はスクープに食らいつく猟犬なのだ。
自衛隊ベビーは、ほどなく見つかった。有刺鉄線越しに宿営地の自衛隊員らにコーラを売る女性が母親だったからだ。カンボジアの伝統的な高床式の家で幼子を抱きしめながら、その女性、ミアス・ダー・ウィーはほほ笑んだ。
「妊娠したとき、彼が『産んでいいよ。迎えに来るから』って言ってくれたのよ。彼に連絡してください」
幼子の名前はフォイ。自衛隊員との間に生まれた娘だ。
ウィーは彼の三文判が押された冊子に青森の実家の写真をはさみ、田口に手渡した。厚さ二センチほどの冊子は、彼がくれた日本語・カンボジア語単語ノートだった。
しかし、二十四歳の青年隊員から、養育費はおろか、手紙一通来ていない。
ここでは、一万円もあれば五人家族が一カ月間、暮らせるというのに。
■隊員の父親『そういう女』
彼は除隊していたが、自衛隊は親切にも、田口に青森の実家を教えてくれた。
まだ個人情報保護法がなかった時代だ。
しかし、自衛隊員、いや、フォイの父親には、ついに会えなかった。実家を訪ねた初日、隊員の両親は居間に上げてくれたが、フォイの話題で態度を硬化。
翌日、再び訪ねると、隊員の父は戸を閉める直前、言ったのだ。「“そういう女”だったんでしょ」。
ため息をつく田口を、犬が見つめていた。預かった写真の中にいた白黒のブチ犬だった。「初めての男性だったの」。ウィーの声がよみがえった。
母子の消息は二〇〇〇年には分からなくなってしまった。「フォイが二十歳になるまでは会い続けようと、なぜか、決めてたんだけどね」。田口の声がかすれた。
田口は今、特定非営利活動法人(NPO法人)「カンボジアの健康及び教育と地域を支援する会」の副理事長を務め、毎年二回、カンボジアで井戸掘りを行う。学校のない地区に校舎も建てる。
・・
アジア侵略の過去を背負って戦後、再出発した日本。
専守防衛の経済立国こそ「美しい国」と信じてきた太平洋の島国は、「金は出しても人は出さないのか? Show the flag」と、米国から思いもよらぬ非難を浴びせられ、自衛隊海外派遣にかじを切った。
ペルシャ湾派遣に続き、九二年からは停戦監視などのためカンボジアに派遣。
イラク戦争でも、独仏がイラク攻撃に異を唱える中、日本は英国とともに、米国の「大義」を支持し、自衛隊を派遣した。
米国は今、イラク戦争の誤りが指摘され、ブッシュ共和党が劣勢に。英国でもブッシュ大統領に追随したブレア首相はレームダック(死に体)化しつつある。
ひとり、日本だけは「ブッシュの戦争」を支持した小泉純一郎からバトンを受けた安倍晋三も意気軒高。
【昨年末には防衛庁を「省」に昇格させる法案を成立させ、自衛隊の海外派遣を本来任務に格上げした。】
今やアジア侵略の反省を口にしたり、在日外国人を擁護する人々は「自虐的」と非難の大合唱に遭う。「優しい日本」を捨て「勇ましい日本」を目指す動きが急だ。 (敬称略、市川隆太)
・・
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070101/mng_____tokuho__000.shtml
自衛隊ベビー
■カンボジア支援NPO副理事長田口嘉孝さん
戦後レジーム(体制)からの脱却を掲げる安倍内閣が発足して三カ月。
昨年末には、改正教育基本法などを一気に成立させ、今年はいよいよ、本丸の憲法改正論議も本格化する雲行きだ。
愛国心や公共の精神などを強いる復古的な空気がまん延する中、果たして戦後体制を支えてきた価値観は大きく変わったのだろうか。
職場や地域、ボランティアなどの現場で、それぞれの人が抱く「私たちの『美しい国へ』」をお届けする。
鼻先で閉じられた戸がピシャリと音をたてた気がした。一九九六年二月、青森県の温泉町。「はるばる来て、このざまか」。田口嘉孝は、あざ笑うような曇り空を睨(にら)みつけた。フォイの顔が浮かんだ。
その前年、カンボジアのタケオ県。田口は自衛隊PKO(国連平和維持活動)部隊の宿営地跡を見渡していた。
「自衛隊ベビーがいるらしい」。そんなうわさを聞き込んできたのだ。
「現地女性をはらませた自衛隊員−正義感?」。自問自答して苦笑した。「柄じゃないっての」。自分はスクープに食らいつく猟犬なのだ。
自衛隊ベビーは、ほどなく見つかった。有刺鉄線越しに宿営地の自衛隊員らにコーラを売る女性が母親だったからだ。カンボジアの伝統的な高床式の家で幼子を抱きしめながら、その女性、ミアス・ダー・ウィーはほほ笑んだ。
「妊娠したとき、彼が『産んでいいよ。迎えに来るから』って言ってくれたのよ。彼に連絡してください」
幼子の名前はフォイ。自衛隊員との間に生まれた娘だ。
ウィーは彼の三文判が押された冊子に青森の実家の写真をはさみ、田口に手渡した。厚さ二センチほどの冊子は、彼がくれた日本語・カンボジア語単語ノートだった。
しかし、二十四歳の青年隊員から、養育費はおろか、手紙一通来ていない。
ここでは、一万円もあれば五人家族が一カ月間、暮らせるというのに。
■隊員の父親『そういう女』
彼は除隊していたが、自衛隊は親切にも、田口に青森の実家を教えてくれた。
まだ個人情報保護法がなかった時代だ。
しかし、自衛隊員、いや、フォイの父親には、ついに会えなかった。実家を訪ねた初日、隊員の両親は居間に上げてくれたが、フォイの話題で態度を硬化。
翌日、再び訪ねると、隊員の父は戸を閉める直前、言ったのだ。「“そういう女”だったんでしょ」。
ため息をつく田口を、犬が見つめていた。預かった写真の中にいた白黒のブチ犬だった。「初めての男性だったの」。ウィーの声がよみがえった。
母子の消息は二〇〇〇年には分からなくなってしまった。「フォイが二十歳になるまでは会い続けようと、なぜか、決めてたんだけどね」。田口の声がかすれた。
田口は今、特定非営利活動法人(NPO法人)「カンボジアの健康及び教育と地域を支援する会」の副理事長を務め、毎年二回、カンボジアで井戸掘りを行う。学校のない地区に校舎も建てる。
・・
アジア侵略の過去を背負って戦後、再出発した日本。
専守防衛の経済立国こそ「美しい国」と信じてきた太平洋の島国は、「金は出しても人は出さないのか? Show the flag」と、米国から思いもよらぬ非難を浴びせられ、自衛隊海外派遣にかじを切った。
ペルシャ湾派遣に続き、九二年からは停戦監視などのためカンボジアに派遣。
イラク戦争でも、独仏がイラク攻撃に異を唱える中、日本は英国とともに、米国の「大義」を支持し、自衛隊を派遣した。
米国は今、イラク戦争の誤りが指摘され、ブッシュ共和党が劣勢に。英国でもブッシュ大統領に追随したブレア首相はレームダック(死に体)化しつつある。
ひとり、日本だけは「ブッシュの戦争」を支持した小泉純一郎からバトンを受けた安倍晋三も意気軒高。
【昨年末には防衛庁を「省」に昇格させる法案を成立させ、自衛隊の海外派遣を本来任務に格上げした。】
今やアジア侵略の反省を口にしたり、在日外国人を擁護する人々は「自虐的」と非難の大合唱に遭う。「優しい日本」を捨て「勇ましい日本」を目指す動きが急だ。 (敬称略、市川隆太)
・・
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070101/mng_____tokuho__000.shtml
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