翻訳通訳について
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/07/03 09:49 投稿番号: [722 / 1982]
[言葉の再定義化が先決]
おはようございます
かかしさん、ブルーパークさん
僕が、こうした地域に居て言葉に関して非常に
強く感じることはですね(語学の専門家じゃないので
あくまでも僕の主観と言うことで)
『使用される言葉(単語やセンテンス)の再定義化の重要性』
なんです。
つまり、英語に日本語にもアラビア語にも、タイ語、
マレー語にも共通する「単語」や「センテンス」ってのは
ある訳なんですが
そうしたものを使ってそれぞれの言葉を母国語とする相手と
話をする場合(通訳を通したとしても)お互いが
その言葉やセンテンスに関する定義を「同じレベルで理解」
していないと、どんなに流暢に現地語を話したとしても
通じない(理解出来ない)可能性が非常に高いと思うんです。
例えば、「Help」という英語に対応する日本語は「助ける」
なんだけど、この2つは共に「自助努力」みたいな概念を
後ろに持っているような気がするんですね。
ところが、アラビア語やタイ語、マレー語だとこの「Help」
に相当する単語は「純粋に”他者を助ける”」と言う意味と
背景しか持っていないんですね。
で、英語のSupportも同様で多くの現地語ではHelpの派生語として
存在しているんです。
(正確には、独立した単語ではなくて、接尾語の変化で、
HelpとSupportを使い分けるんですが)
ですから、かかしさんが仰ってた、溺れてることを理解していない
人間を救うことは出来ない・・と言う話は僕は理解出来るんですが、
純粋に他者を助ける、という定義しか無い言葉=概念がその意味しか
持っていない言葉を使う人達にとっては
文化や歴史的な背景も影響して「上位者は無条件で下位者を”救う義務”
がある」と言う意味で解釈してしまうんです。
(現地の一般的な人達の感覚的な英語で言うと(笑)
I can help youは成立しないけどYou can help meは成立する、ははは)
なもんですから、
第三世界から欧米に留学経験を持った(裕福層や特権階級の)人間
の多くは、確かに「英語はかなり流暢に話す」んですが
問題は、その使われる英単語やセンテンスを支えている彼らの中にある
定義が現地語であり、現地の概念であり、文化や風習といったのもなので
正直なことを言いますと、僕は英語が話せる現地人のその英語を
そのまま額面通りには、先ず100%鵜呑みにはしないんです。
(官僚でも同様っす、笑)
つまり、多くの第三世界で英語を話す人達が英語を話す場合は
「先ず現地語」からそれに対応する「英語等の外国語」
(聞く場合は当然、この逆ですね)を探すので、彼らの頭の中の
思考方法はいかに英語を話していても「現地語=現地の概念」なんです。
彼らが『頭の中で英語によって現地の概念を再構成(再定義化)して
それを英語で表現している』のであれば、それは相当正しい
現地事情を表現していると理解出来ますが、現在迄僕はそういう人間に
出くわしたことが無い(笑)
当然、この逆の現象は欧米人や日本人にも発生する訳です。
特にマスコミ等で使われる表現が、アラビア語の定義と英語の定義が
正確にリンクした状態で使われているなら問題はないんですが
英語(日本語)では「〜と言う状況を表す表現」は
「アラビア語では〜と言う概念を元にした状況で使われる表現」だと
『事前に言葉の再定義化の説明』が行われて記事でもコメンテーターの
説明にも入ていないのが普通だと思うんです。
(そんな悠長なことをしてたら紙面も時間も幾らあっても足りないだろうし
読者や視聴者が読まないか、飽きてしまってチャンネルをあっさり変えて
しまうでしょ?・・ははは)
で、妙な話なんですが、現地の概念を「例え話」で説明するのも
ちょっと変なんですね(笑)
なぜなら、そうした概念(文化や風習等の全て)は、欧米や日本に
無いはずで、それをどうして欧米や日本での「例」で解説出来るのかが
非常に不思議なんです。
(だから、僕は多くの欧米系マスコミの責任は相当に重いなぁ、と
思っていますです)
僕は正直な所「相互理解」と言うのは基本的に不可能だと思っているんです。
(悲観的な意味ではなくなんですが)
下手に理解しようとすると、必ずお互いが何処かで妙なストレスを抱え込んで
いるはずなんで、此処は率直に『違うんだ』とお互いが『分かれば大成功』
だと思うんです。
僕みたいな状況だと、そうした状況だから「現地語(の概念)」の方が
逆に理解しやすいと言うだけなんですが・・・
逆に自分のアイデンティティに悩む問題でもあるんです。
つま\xA4
おはようございます
かかしさん、ブルーパークさん
僕が、こうした地域に居て言葉に関して非常に
強く感じることはですね(語学の専門家じゃないので
あくまでも僕の主観と言うことで)
『使用される言葉(単語やセンテンス)の再定義化の重要性』
なんです。
つまり、英語に日本語にもアラビア語にも、タイ語、
マレー語にも共通する「単語」や「センテンス」ってのは
ある訳なんですが
そうしたものを使ってそれぞれの言葉を母国語とする相手と
話をする場合(通訳を通したとしても)お互いが
その言葉やセンテンスに関する定義を「同じレベルで理解」
していないと、どんなに流暢に現地語を話したとしても
通じない(理解出来ない)可能性が非常に高いと思うんです。
例えば、「Help」という英語に対応する日本語は「助ける」
なんだけど、この2つは共に「自助努力」みたいな概念を
後ろに持っているような気がするんですね。
ところが、アラビア語やタイ語、マレー語だとこの「Help」
に相当する単語は「純粋に”他者を助ける”」と言う意味と
背景しか持っていないんですね。
で、英語のSupportも同様で多くの現地語ではHelpの派生語として
存在しているんです。
(正確には、独立した単語ではなくて、接尾語の変化で、
HelpとSupportを使い分けるんですが)
ですから、かかしさんが仰ってた、溺れてることを理解していない
人間を救うことは出来ない・・と言う話は僕は理解出来るんですが、
純粋に他者を助ける、という定義しか無い言葉=概念がその意味しか
持っていない言葉を使う人達にとっては
文化や歴史的な背景も影響して「上位者は無条件で下位者を”救う義務”
がある」と言う意味で解釈してしまうんです。
(現地の一般的な人達の感覚的な英語で言うと(笑)
I can help youは成立しないけどYou can help meは成立する、ははは)
なもんですから、
第三世界から欧米に留学経験を持った(裕福層や特権階級の)人間
の多くは、確かに「英語はかなり流暢に話す」んですが
問題は、その使われる英単語やセンテンスを支えている彼らの中にある
定義が現地語であり、現地の概念であり、文化や風習といったのもなので
正直なことを言いますと、僕は英語が話せる現地人のその英語を
そのまま額面通りには、先ず100%鵜呑みにはしないんです。
(官僚でも同様っす、笑)
つまり、多くの第三世界で英語を話す人達が英語を話す場合は
「先ず現地語」からそれに対応する「英語等の外国語」
(聞く場合は当然、この逆ですね)を探すので、彼らの頭の中の
思考方法はいかに英語を話していても「現地語=現地の概念」なんです。
彼らが『頭の中で英語によって現地の概念を再構成(再定義化)して
それを英語で表現している』のであれば、それは相当正しい
現地事情を表現していると理解出来ますが、現在迄僕はそういう人間に
出くわしたことが無い(笑)
当然、この逆の現象は欧米人や日本人にも発生する訳です。
特にマスコミ等で使われる表現が、アラビア語の定義と英語の定義が
正確にリンクした状態で使われているなら問題はないんですが
英語(日本語)では「〜と言う状況を表す表現」は
「アラビア語では〜と言う概念を元にした状況で使われる表現」だと
『事前に言葉の再定義化の説明』が行われて記事でもコメンテーターの
説明にも入ていないのが普通だと思うんです。
(そんな悠長なことをしてたら紙面も時間も幾らあっても足りないだろうし
読者や視聴者が読まないか、飽きてしまってチャンネルをあっさり変えて
しまうでしょ?・・ははは)
で、妙な話なんですが、現地の概念を「例え話」で説明するのも
ちょっと変なんですね(笑)
なぜなら、そうした概念(文化や風習等の全て)は、欧米や日本に
無いはずで、それをどうして欧米や日本での「例」で解説出来るのかが
非常に不思議なんです。
(だから、僕は多くの欧米系マスコミの責任は相当に重いなぁ、と
思っていますです)
僕は正直な所「相互理解」と言うのは基本的に不可能だと思っているんです。
(悲観的な意味ではなくなんですが)
下手に理解しようとすると、必ずお互いが何処かで妙なストレスを抱え込んで
いるはずなんで、此処は率直に『違うんだ』とお互いが『分かれば大成功』
だと思うんです。
僕みたいな状況だと、そうした状況だから「現地語(の概念)」の方が
逆に理解しやすいと言うだけなんですが・・・
逆に自分のアイデンティティに悩む問題でもあるんです。
つま\xA4
これは メッセージ 717 (oxnardnokakashi さん)への返信です.
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