教育と情報処理能力
投稿者: asean_peace11 投稿日時: 2004/06/18 09:35 投稿番号: [327 / 1982]
ライターさん
おはようございます。
途上国の多くでは「教育が必要だ」と現地の人間は口を揃えたように発言します。
僕が問題視するのはASEANでも、中東(僕が知っている)でも教育の内容よりも
『その教育の”され方”』
に対してなんですね。
前にも何度か「上位の者(強者)から庇護されることを目的に服従する」
社会通念が発達すると、礼儀作法として上位の者に対する無礼な振る舞い
が概念化して固定されてしまうと書きましたが、
その最たる例が「教師と生徒(学生)の関係」なんです。
初等教育から大学迄、こうした国々で行われる教育方法の基本は『丸暗記』なんです。
普通の授業の際にも学生から教師への「質問」は、その教師の体面を潰す
最大の非礼な行為に当るので、学生は教師から「何か質問は?」
と問われても”絶対に質問をしない”(例え理解出来ていなくてもです)のが
「(社会の)掟」なのです。
更に、試験問題も
「教師の言った言葉や板書を一字一句書かなければ点数が貰えない設問」
ばかりで、採点に時間が掛かるような学生の発想を必要とする論文形式
のものはほとんどありません。
体罰に関しても、教師が一方的に「悪い」と判断した生徒や学生に対して
一方的に振るわれます。
(学校での体罰禁止法を制定しようとしたタイ政府は教師達から
”威厳が保てなくなる”と猛反対を受けたことがあります)
このように、高卒や大卒であっても日本やその他の先進国の一般的な評価と
その内容は全く違うと言っても良いかと思います。
つまり、丸暗記の知識はあるが、それをベースにした応用力や
発想の展開能力が育っているとは言えないのが実情なのです。
これがこうした国々の「国内」で教育を受ける(受けた)実体なので
学校へ行かなった(行けなかった)人間との違いは
「丸暗記の知識量の差」のみであってその知識をクロスチェックする、
より高度な判断を下す為の違う角度の情報を求める
ことは「社会のタブーへの挑戦」にもなりますから、先ず発生しません。
つまり、学校へ行った人間と行かなかった人間の共通点は
「個人で判断する(決断する)能力と方法が育っていない」
ということです。
更にそこへ
個人の面子に対する拘りの高さから
「分からないことを分からない」と言うことは個人の弱さをさらけ出すことに
繋がってしまい、頑な迄に「分からない」と言う言葉を口には出しません。
(高学歴になればなる程、プライドが高くなってこの頑固さは増長される
傾向が強くなります)
そうした所へ
情報収集手段の脆弱さが加わりますから、個人の判断基準を持たない人間が
一元的な情報に晒され続けることになるので、ライターさんの仰るように
「偏った情報」になってしまうのはある意味、
当然の帰結でもあるかと思います。
実際(実物)を見たらそうした考えが変わるだろう
というのも実は欧米型の解釈でして武力行使トピで僕がmoriyaさんに書いた
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019567&tid=bpa5a4a5ia5afipno9tbbh&sid=552019567&mid=43008
の中で言っていることが簡単に起きますので、外国人からすると
何も言っても何を見せても通じない、と考えるのではないでしょうか。
かと言って、それを克服する方法が無い訳ではないのですが、1年や2年で
なんとかなるものでもないのも事実です。
やはり、結論は
自分の保身の為に、そうした素朴な人達を変な屁理屈で煽る人間に
全ての責任があると僕は考えています。
おはようございます。
途上国の多くでは「教育が必要だ」と現地の人間は口を揃えたように発言します。
僕が問題視するのはASEANでも、中東(僕が知っている)でも教育の内容よりも
『その教育の”され方”』
に対してなんですね。
前にも何度か「上位の者(強者)から庇護されることを目的に服従する」
社会通念が発達すると、礼儀作法として上位の者に対する無礼な振る舞い
が概念化して固定されてしまうと書きましたが、
その最たる例が「教師と生徒(学生)の関係」なんです。
初等教育から大学迄、こうした国々で行われる教育方法の基本は『丸暗記』なんです。
普通の授業の際にも学生から教師への「質問」は、その教師の体面を潰す
最大の非礼な行為に当るので、学生は教師から「何か質問は?」
と問われても”絶対に質問をしない”(例え理解出来ていなくてもです)のが
「(社会の)掟」なのです。
更に、試験問題も
「教師の言った言葉や板書を一字一句書かなければ点数が貰えない設問」
ばかりで、採点に時間が掛かるような学生の発想を必要とする論文形式
のものはほとんどありません。
体罰に関しても、教師が一方的に「悪い」と判断した生徒や学生に対して
一方的に振るわれます。
(学校での体罰禁止法を制定しようとしたタイ政府は教師達から
”威厳が保てなくなる”と猛反対を受けたことがあります)
このように、高卒や大卒であっても日本やその他の先進国の一般的な評価と
その内容は全く違うと言っても良いかと思います。
つまり、丸暗記の知識はあるが、それをベースにした応用力や
発想の展開能力が育っているとは言えないのが実情なのです。
これがこうした国々の「国内」で教育を受ける(受けた)実体なので
学校へ行かなった(行けなかった)人間との違いは
「丸暗記の知識量の差」のみであってその知識をクロスチェックする、
より高度な判断を下す為の違う角度の情報を求める
ことは「社会のタブーへの挑戦」にもなりますから、先ず発生しません。
つまり、学校へ行った人間と行かなかった人間の共通点は
「個人で判断する(決断する)能力と方法が育っていない」
ということです。
更にそこへ
個人の面子に対する拘りの高さから
「分からないことを分からない」と言うことは個人の弱さをさらけ出すことに
繋がってしまい、頑な迄に「分からない」と言う言葉を口には出しません。
(高学歴になればなる程、プライドが高くなってこの頑固さは増長される
傾向が強くなります)
そうした所へ
情報収集手段の脆弱さが加わりますから、個人の判断基準を持たない人間が
一元的な情報に晒され続けることになるので、ライターさんの仰るように
「偏った情報」になってしまうのはある意味、
当然の帰結でもあるかと思います。
実際(実物)を見たらそうした考えが変わるだろう
というのも実は欧米型の解釈でして武力行使トピで僕がmoriyaさんに書いた
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019567&tid=bpa5a4a5ia5afipno9tbbh&sid=552019567&mid=43008
の中で言っていることが簡単に起きますので、外国人からすると
何も言っても何を見せても通じない、と考えるのではないでしょうか。
かと言って、それを克服する方法が無い訳ではないのですが、1年や2年で
なんとかなるものでもないのも事実です。
やはり、結論は
自分の保身の為に、そうした素朴な人達を変な屁理屈で煽る人間に
全ての責任があると僕は考えています。
これは メッセージ 319 (lighter101rethgil さん)への返信です.
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